Hotelli aalto 2024年7月23〜24日 福島県の裏磐梯、Hotelli aaltoの敷地には月とカヌーが製作したwood&canvas canoeがあります。ホテルの庭には池があります。 年々藻が増えてきているそうで、カヌーを使って藻を取るお手伝いをしました。カヌーは人を乗せるだけでなく、水辺の仕事にも役立ちます。かなりの量の藻を取り出しましたが、まだまだ先は長そうです。 池のほとりにカヌーの艇庫と桟橋を作る計画をされていて、建築家の益子義弘さんともお会いさせていただきました。Hotelli aaltoは益子さんの美術館のような空間で、自然ととけこむ北欧のデザインが施されています。裏磐梯の雄大な景色とデザインによる心地さが調和した美しいホテルです。源泉掛け流しの温泉、一部屋一部屋デザインされた居心地のいいお部屋、地元の新鮮な食材を用いたお箸で食べるフレンチディナー、すべてにおいて素晴らしいおもてなしです。 すぐ近くにはサルヴァドール・ダリの作品を集めた諸橋近代美術館があります。 「生誕120周年 サルヴァドール・ダリー天才の秘密ー」展が開催中でした。 ダリの作品の多さもさることながら、美術館にも感銘を受けました。池には花が咲いていて、館内の窓辺から眺める景色もまるで作品のようです。敷地内に流れる川や雄大な自然までも美術館の風景として味わうことができます。 美しいものに触れることができ、裏磐梯のよさを感じることができた二日間。 福島の素晴らしいところを知ることができ、東北玄関口の神秘を感じさせていただきました。
石巻から友人 2024年7月20〜21日 宮城県石巻市より友人が訪ねてくれました。 これから西の旅に出るそうで、その旅の始まりに寄ってくれました。 先月は北の旅に出ていたそうで、旅の話に花が咲きます。 車にキャンプ道具を積んでの一人旅。 いい出会いがありますように。
水の祈り 2024年7月12日(金) 今年の8月5日、6日広島へ行きます。 太田川の上流から原爆ドームの前まで水を運びカヌーでくだるようになって10年が経ちます。 5日夕刻から水合わせ、水の祈りの時間を持ちます。 もともと平和活動家バウさんが灯籠流しをカヌーでサポートしていたという経緯があり、2015年にバウさんが魂の世界へ旅立った年からわたしたちがその意志を引き継ぐ形で広島に通うことになりました。福島からわざわざカヌーを積んでくるなら、太田川をくだりませんか?という広島の方の一声から「カヌーで献水」させていただくこととなり、5日の夕刻に水合わせを行い各地からも集まった水をひとつに合わせ、太田川に捧げています。バウさんが旅立ってから10年、今年はご縁ある方々が集まりそうです。 当時の灯籠流し実行委員長だった下井さんも代が変わり実行委員長ではなくなりましたが、今も福岡県星野村に灯されている原爆の残火「平和の火」を採火しに赴き、灯籠流しの火とされています。 < 写真は「水の祈り2023」2023年8月5日 > 災害支援としてのOPEN JAPANは東日本大震災のときのボランティア支援ベース絆が源となっていますが、OPEN JAPAN という名は阪神淡路大震災のときの神戸元気村で活動していたバウさんのブログから引き継いだものであり、その名付け親である「あるでばらん」の中村俊一さんが水の祈りの世話役として毎年広島でこの日を一緒に過ごしています。災害支援活動だけではないOPEN JAPANに関わる仲間が集まる機会でもあります。 水合わせ、水の祈りはどなたも自由にご参加いただけます。カヌーで一緒にくだりたい方は自艇参加自己責任でご参加ください。8月5日朝、太田川の上流から原爆ドーム前まで水を運ぶという目的を持って一緒にくだってくださる方でしたら大歓迎です。(天候や体調によりくだれないこともあります。) 年々暑くなる気候が脅威です。体調管理が重要ポイントになりつつあり、水合わせは夕刻となります。
梅仕事again 2024年7月9日(火) はからめランドの梅を収穫しました。 今年初めて実をつけた木もあります。 木を植えてからしばらく経ちますが、いつかこうして収穫できる日がくると思えば果実を植える楽しみもあります。 昨年収穫できなかったブルーベリーも今年は動物に食べられずに残っていました。 ドクダミも伐採を兼ねて収穫、花はチンキに葉は乾燥させてお茶にします。 土があれば季節ごとに恩恵を授かることができ、森にはそれを実感できる喜びが溢れています。
あばれ祭り@能登町 (よ) 2024年7月5〜6日 能登町宇出津で開催された「あばれ祭り」にOPEN JAPANの有志として参加しました。 あばれ祭りでは夕方から「よばれ」といわれるお呼ばれの席が各家庭で設けられるらしく、その日はどこのお宅へお邪魔してもご馳走が振る舞われるそうです。家がまだ再建できずよばれの席を設けることが難しいエリアの「よばれ」炊き出しをOPEN JAPAN有志、通称ODEN JAPANで行いました。 「よばれ」リーダーは北海道石狩から幸を準備してくれたクマさん。 メニューはジンギスカン、BBQ、鮭の汁物、じゃがバター。生ビールやかき氷も振る舞われ、大人も子どももお祭り広場のようなテント場で盛り上がりました。
日中はキリコといわれる山車が町内を練り歩きます。ご縁ある地区のキリコを担がせてもらったり、ODEN JAPANのメンバーもお祭りに参加させてもらいました。 夜はいやさか広場で大きな松明が焚かれ、そのまわりをたくさんのキリコが回ります。火の粉が飛び交う中での壮大な練り歩き、みんな興奮状態でした。 6日はいよいよ神輿があばれます。 観光客が少ないため、キリコの担ぎ手も少ないとのこと、OPEN JAPANも協力を頼まれ、有志でキリコを担ぐことになりました。足袋を買って肩にかかるクッションとしての座布団も町の商店街で購入、20名近くが担ぎ手として祭りに参加しました。 14時過ぎに集合して明け方3時過ぎまでキリコを担いで町内を歩きました。キリコの上では子どもたちが太鼓や鐘、横笛でのお囃子を同じく午前3時までやり続けます。すごい祭りです。 神輿の担ぎ手は選ばれし男たちで、あばれればあばれるほど神が喜ぶとのことで凄まじい光景を見させてもらいました。地面に叩きつけたり投げ捨てるだけでなく、川に投げ込み火の粉を打ちながら川の中でも大あばれ、こんな命懸けのお祭りを毎年開催しているとは、この町のことが少しだけ感じられたような気がします。 酒垂神社、白山神社から神輿が出て八坂神社に奉納して祭りは終わりを迎えます。 半年前には被害の状況が凄まじく、お祭りができないかもしれないと言っていた町の人たちが昼から朝まで一生懸命に祭りを行う姿に涙するボランティアたちも多くいました。 思えば酒垂神社に最初に伺ったときに、お祭りができるようになれば人々にも復興の兆しが感じられるだろうとの思いで支援に入らせてもらいました。その後数々の神社の崩れた鳥居の撤去や土砂出しを行いました。八坂神社でのクライマックスを見ながら、隣で「ここもやりましたよ。神社40箇所はやりましたね、」と言っていたボランティアの言葉を聞き、ずっと宇出津の町で活動をしてきた重機チームの気持ちもひとしおだろうな、と感慨深い思いでした。 ベースに戻って仲間と一息ついたときには、空が明るくなっていました。 能登支援、まだまだ先は見えませんが、お祭りができたことで人々の意識は確実に前に向かっていくことになります。 私が能登支援に入ってから今日でちょうど6ヶ月。町ではお祭りが開催され、人々の活気が戻ってきました。自分のなかでもひとつの節目を感じています。 それにしてもすごいあばれ様で、そのトランス状態が波及したとしか思えないほど、休む間もなく過ごした2日間でした。
那珂川でカヌー(匠) 2024年7月5〜6日 先週に続き今週もよし子と僕は別行動。別行動というだけでお互い良い刺激を感じる、感じていると思います。よし子は石川県能登半島へ、僕は栃木県と茨城県を流れる那珂川へ・・・。 梅雨だというのにこの気候、陸の上にいるとTシャツが絞れるくらいの汗まみれになってしまいます。。そんな気温のなか、水に浮かべば少し涼しく、さらに暑ければ川に飛び込めば良いのでちょっと気持ちが落ち着きます。 今回一緒にカヌーに乗ったのは、普段はアメリカに住んでいる僕の妹家族&と僕の母です。 僕がカヌーに乗るようになってから25年ほど経つのですが、一度も弟、妹と一緒にカヌーに乗ったことがなかったので、この機会を逃さない方が良いと思い日程を組みました。天候が味方してくれたこともありのんびり楽しい時間を過ごすことができたのではないかなって思っています。 いつもお世話になっているキャンプ場「オートキャンプ那珂川ステーション」の桧山一家にまたまたいろいろお世話になりました。ありがとうございました。
梅仕事 2024年7月3日(水) 梅をいただきました。 はからめランドの梅は熟すまでにもうちょっと時間が必要ですが、いただいた梅は今、という感じです。いつもいただくお家の梅の木は裏年でしたが、梅園は豊作だったそうです。 早速梅干し作りのための塩漬け作業、明日から外出してしまうので夜なべして仕込みます。 梅仕事が始まると梅雨を感じます。