プランキング製材
プランキング、プランキング。
 2024年3月28〜29日

カヌーのパーツであるプランキング材を作ります。
カヌーを作るというとよく聞かれるのが、
「一本の丸太から作るのですか?」という質問です。

>月とカヌー Instagram

答えはyesなのですが、多分イメージしているのは一本の丸太をくり抜いて作っているのだと思われていると思います。アイヌの丸木舟などそうやって作っているものもありますが、わたしたちが作っているカヌーはwood and canvas canoeといって、一本の丸太から製材した木と、釘と帆布で作っているものです。
今作っているデザインは今から123年ほど前にアメリカで作られたインディアンガールという型のカヌーです。形がとても美しく、湖や川を旅する操作性にも長けています。

丸太購入
(昨年、サワラを購入した時の写真。同じ服の組み合わせ、しかも同じ手ぬぐいをしている。)

使う木は国産材の杉とサワラとヒノキ、外国産のタモとオーク。
杉とサワラは丸太で購入しています。

プランキング製材

今日は先日スチームベンドしたリブの上に張っていくプランキング材を作ります。
板材をさらに薄く引いてサイズと厚みを整えていきます。
手押しカンナ、テーブルソー、バンドソー、自動カンナを使って一枚の板が3/16インチになるまで製材します。3/16インチと言われても、センチメートル法に慣れているとイメージわきません。1インチを16分割してその3分目のサイズまで、定規を充てて正確なサイズを測っています。

カヌーで漕ぎ出す

一本の丸太が山から切り出され、カヌーになって水の上を旅するまでもうしばらくかかります。



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雪のはからめランド
リブとリール。
 2024年3月26〜27日

雨が雪に変わり寒い日となりました。
今日は先日製材したカヌーのパーツであるリブをスチームしてカヌーの型に張っていきます。

フキノトウ in はからめランド

インスタグラムにリールの練習を兼ねてカヌーの製作動画をアップしています。
どうやってスチームベンドしているのかが見えると思います。
リブとはカヌーの肋骨のようなもので、この後ここにプランキング(製材した板材)を張っていきます。



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梅の花 in はからめランド
春を探しに。
 2024年3月25日

如月の満月、旧暦2月16日です。
新暦3月になってからも雪が降る日が多かったのですが、ようやく春らしさを感じられるようになってきました。
七十二候では「櫻始開(さくらはじめてひらく)」 。
はからめランドでは梅が開花しました。

万葉集でも梅、桜を詠んだ歌が多く残されていて、古来から日本人に愛でられています。
昔から桜の開花は農作業の目印とされ、地方によっては田打ち桜とか種まき桜という言葉があるんですね。

フキノトウ in はからめランド

春になると虫や動物たちが動き出すように、人も動きはじめます。
わたしも春を探しに森の中に入る機会が多くなりました。まず探すのはフキノトウ。フキノトウは毎年同じところに出るので見つけやすいです。
東北以北では「ばっけ」と呼ばれます。これはアイヌ語の「ばっかい」からきているそうです。アメリカやヨーロッパにはなかった野草だそうで、アジア原産の植物です。この地では縄文時代から食べられてきたのだとか。

葉わさび in はからめランド

ワサビの花が咲きました。
これで花わさび漬けを作ります。
この花を見て亡き友を思い出します。

食在庫の屋根を張る

先日着工した食品庫の屋根にルーフィングを張りました。 この上に張る屋根材の注文をしなければ…。大工仕事は段取りが大事です。

能登関連の連絡が続きます。
4月の予定を組んでいます。


帆杜inはからめランド
15の夜。
 2024年3月20〜23日

「自然をたたえ、生物をいつくしむ」という趣旨の国民の祝日、春分。
天文学上では春分の日から夏至までを春としています。

そんな春のはじまりの日に15歳の青年がやってきました。
高知県在住、名前は帆杜(ハント)。
以前高知でお世話になった友人ご家族のご長男、中学校を卒業した春休みの期間です。
今日から3泊4日、はからめランドに滞在して過ごします。

帆杜と話し合って、
朝6:30ラジオ体操、7:00朝食、夜8時〜9時就寝ということになりました。
学生生活を送っていたので規則正しい生活です。

帆杜inはからめランド

春の始まりだというのにまさかの雪。
準備していたことはいきなり天候によって左右されました。まぁそれが山の生活というか、そのときにできることを考えるというライブ感、わたしたちの経験値も鍛えられます。

工房でストーブを焚いて暖をとりながらカヌーのパーツを作ります。
リブの製材、カヌーを作るための準備です。
これは他ではできないはじめての経験だと思います。
趣味などではなくWood&Canvas Canoeを製作販売している人は日本に二人しかいませんから。

帆杜inはからめランド

薪割り薪積み体験。
さすが剣道部。
きれいにできました。

ミミズは完璧だった

大工仕事。
メープルシロップの作り方とケーキの作り方。
薪風呂。

帆杜inはからめランド

夜はバックギャモンというゲームで匠くんと勝負しました。
15歳にしてバックギャモンデビュー。

木工や山の生活などいろいろな経験ができたと思いますが、夜に覚えたこのゲームほど人生の役にたつものはないかもしれません。その可能性は無限大、いつか旅に出ることがあればこの夜の経験が生かされる、そんな日が来るでしょうか…。

帆杜inはからめランド

4日目最終日、磐城塙の駅までお見送り。
水郡線に乗ってお父さんの待つ千葉まで帰ります。

いつか帆杜が大人になって誰かの面倒をみるとき、今日のことを思い出してください。
pay it forword,
経験したことはいつか誰かの役にたちます。


ミミズは完璧だった
全力で生きる
 2024年3月18日(月)

この日の夜に集まり一つのテーブルを囲んだ8人。みんなが椅子に座ると、そのうちの1人が僕に「がっかりさせてやるよ」と、ひとこと。その隣に座る女性が「この人いつもこう言うんだよ」とつづいた。そこからみんなで話がはじまった。

テーブルにやってくる美味しいお料理と美味しいお酒を頂きながら話題は次々と流れを乗り換える。アイルランドのセントパトリックスデーの話。草と野菜、セルロースの話。千両みかんの話。フリチンで冬を過ごせない人間の話。ナナフシやオトシブミの話。ジョンソンさんやウォーターズさんの話。ジャガーさん、リチャーズさん、ヤングさんの話。とにかく話は尽きなかった。

結果、がっかりどころか、いろいろな話を聞いた僕は、自分の体の中で一回それら全てをミックスして分かれ目のない液体にし、それを環境に合わせて形成し直して表に出す、その作業が自分の中ですでに始まっているのを感じた。

先人や虫や発明品が教えてくれるのは、一歩一歩目の前にあることに対して全力をだして生きるということ。 ただそれができれば他には何も・・・。
そ〜か、そ〜なのか、そ〜いうことなのか。

関わる全ての魂にありがとう! 


SPRING LOVE 春風 2024
SPRING LOVE 春風 2024
 2024年3月16〜17日

東京代々木公園で行われているイベント「春風」に行ってきました。「春風」のはじまりは仲間内のお花見で、だんだん規模が大きくなってステージと出店者が連なる春のイベントとなりました。関わっている人や参加する面々も時の経過とともに変化していきますが、実行委員長となったカドマンさんとその仲間たちが今も変わらずこの春の代々木公園での集いを続けてくれています。東京に住んでいたときには毎年遊びに行っていたイベントに久しぶりに足を運びました。

カヌーを積んだ車で焼酎バーをやっている「四万十塾」のまわりに仲間たちが集っていて、わたしたちもお仲間に入れていただきました。
懐かしい友人知人に再会でき、時が過ぎイベントの雰囲気が変わっていっても「ああ、春風に来たなぁ、」という感覚を思い出しました。

SPRING LOVE 春風 2024

この会場に「アースデイ東京」の実行委員と能登支援を継続している仲間たちが集まっているので、4月13日、14日に代々木公園で開催される「アースデイ東京」でのOPEN JAPANの活動報告&出店の打ち合わせを行いました。
発災から3ヶ月経過し、現地での活動を知ってもらうことで関心を持ってもらうこと、活動を支えてもらうことも大事な役割となってきました。時の経過とともに新しい情報で埋め尽くされていく時代です。現実はまだ解決していない問題が取り残されていて、誰かの力を借りたいという状況があります。それをどう伝えていくのか、どう関わることができるのかを発信していくことで次の段階へと進めていくこと、変化し続ける世の中で、わたしたちができることを考えます。

SPRING LOVE 春風 2024

PEACE STAGEでは今年12年ぶりに開催される「いのちの祭り」の対談が行われました。
1988年8月に開催されたいのちの祭りでは、ビートニクやヒッピームーブメント、カウンターカルチャーの流れをイメージする人たちが多いと思います。
1986年にチェルノブイリ原発事故が起こり、日本でも原子力に変わるエネルギーや地球環境へのメッセージが込められたアートやまつりが生まれていきました。
2000年、2012年、そして2024年と、ドラゴンイヤー(辰年)に開催されるいのちの祭り、今年は主催が世代交代します。

いのちのまつり2024

ポストカードのチラシはワラの紙で作られています。どんな祭りになるか、カレンダーを早く完成させて参加しようと思います。


関連サイト :  SPRING LOVE 春風 2024  ・  四万十塾  ・ OPEN JAPAN 災害支援

薪、薪
薪、薪
 2024年3月15日(金)

今日はカヌーのパーツを作る予定でしたがご近所さんから連絡があり、ユニックを使わせてもらえるとのことで、急遽木を運ぶことになりました。
軽トラにも乗せられない、ましてや手で運べない大きさの木です。そのままではユニックからもはみ出してしまうのでチェーンソーで乗せられる長さに切って、ワイヤーで吊って積み上げます。
うっかり木を落としたり指を挟んだら骨折どころか潰れてしまう重さなので、作業は慎重に行わなければなりません。疲れてくると気を抜きがちになるので注意しながら作業をしました。
一人がワイヤーをかけて一人がユニックを操作します。二人で2往復、最後に残った木とゴミ拾いに軽トラ一往復で作業終了。なんとか今日中に運び切ることができました。

薪、薪

運んだあとのここから先も大仕事となります。
この木を薪のサイズに切って割って積んで乾かさなければなりません。
この木を使えるのは来年以降、山の暮らしは季節のめぐりとともにあります。


関連サイト :  OPEN JAPAN 災害支援

アサイラム
アサイラム
 2024年3月11日(月)

東日本大震災から13年目。
これまで追悼イベントなどに行くことはなかったのですが、今日は縁あっていわきのライブハウスに行くことにしました。
能登半島地震の災害支援で出会った「橋の下世界音楽祭」の永山愛樹(ながやまよしき)さんがALKDO(アルコド)という音楽ユニットでいわきのライブハウスに出演するというので、会いに行くことにしました。
出演者の中に「じゃんがら遊劇隊」とあったので、友人も出演するとのこと、3.11にライブハウスというのは予想外でしたが、今年は行ってみよう、と決めました。

会場に入って最初にお会いしたのは本日のイベント「アサイラム」の主催者でもあるタテタカコさん。東日本大震災の後に須賀川にある「銀河のほとり」で開催のお手伝いをした「星野道夫写真展」で弾き語りをしてくれた方でした。13年という月日が流れて今こうしてここにいるという不思議を思います。

出演者の方々が思い思いの言葉でメッセージを伝えているのを聞いて、こういうアンダーグラウンドな世界では熱い想いを発信し続けているのだと知ることができました。

club SONIC IWAKI

いわきの念仏踊り「じゃんがら」を見たのも初めてで興味深かったです。
見える魂も見えない魂も一緒になって踊った夜、こうして13年という月日が記憶を呼び覚まし、今をどう生きるかというメッセージを伝えてくれます。


関連サイト :  OPEN JAPAN 災害支援

はからめ月の手帳&カバー
新月
 2024年3月10日(日)

如月となりました。
魚座の新月、旧暦二月一日です。

今日は手帳カバーを作ってくれているLittle Eagleかおりこさんと次の手帳カバーのデザインについて、愛知県西尾市のアトリエと福島のはからめランドとでオンラインミーティングを行いました。
素材や色などを決め、サンプルを作ってもらうことになりました。
手縫いでひとつひとつ製作してもらうので、今から素材を決めていかないと秋に間に合いません。Little Eagleさんは主に女性の洋服を作っている会社です。今期の流行りや売れ筋などを伺い、当初こちらが考えていた色や素材とは異なるものに決まりました。手帳を作るのは月とカヌーですが、カバーを作るのはLittle Eagleさん。ひとつのものに対して、他分野の方々とこういうやりとりができるのはとても面白いと感じています。自分たちの思っていたものを超えたものができるという醍醐味、2025年の手帳カバー、どうぞお楽しみに。

はからメモ

夜は能登半島地震で支援活動を続けているOPEN JAPANのメンバーと報告書ミーティングを行いました。毎年3月11日発行予定でOPEN JAPANの年間報告書を作るスケジュールを組んでいるのですが、ここ数年予定を大幅に過ぎてからの発行となっています。なぜかというと、原稿の締め切りを過ぎても原稿が集まらないという理由からです。編集・デザインをしている側としてはたまりませんが、忍耐強く取り掛かっています。原稿の催促をしたら急遽ミーティングを行うこととなりました。これで決まるといいのですが…。



関連サイト :  リトルイーグル  ・ OPEN JAPAN 災害支援

倒された木
 2024年3月5

2度目のスチームベンドをしたそばからご近所さんから連絡があり、
「え?今からですか?すぐ行きます。」
「今から道の木を切りに行ってくる、」と匠くんがチェーンソーを持って出かけました。
強風で道に木が倒れたのかと思いきや、昼食に帰ってきて「午後は二人で行ったほうがいい。今日じゃ終わらない量だから。」とのこと。午後からはわたしも手伝いに行きました。
見通しが悪かったところの木を営林署の人が切ってくれたそうで、河川にかかっている木の片付け作業をしました。伐採した木は処分するそうなので、わたしたちが薪としていただくことになりました。かなりの量です。

倒された木

木が切られて川に降りられるようになったので、気になっていたゴミも拾うことにしました。多分何年もの間ずっと残されていたものだと思います。まだまだこの倍量くらいはありそうですが、雪が激しくなってきたので今日の作業はここまでとなりました。

拾ったゴミ

木がなくなると随分と見晴らしが変わります。
綺麗になって見通しがよくなれば、ゴミを捨てる人もいなくなる…といいな、と思います。

雪が降る

公道にかかっている場所なので、雪が溶けたら急いで薪作業にとりかからないといけません。
カヌーに報告書に確定申告、山の暮らしは休みなしです。



関連サイト :  OPEN JAPAN 災害支援

スチームベンド
カヌー製作
 2024年3月3

先日アイロンで行ったスチームベンドが気温が低すぎたためかうまくいかなかったので、今回はスチームボックスに火入れをして再度チャレンジすることにしました。

氷点下の工房の中での作業は通常の気温のときとは異なりうまくできないことがあります。
蒸し曲げしていく最中に木が冷え切ってしまい割れてしまったり、ニスなどの塗料がうまく塗れなかったりします。だからといって暖かくなるのを待つほどのんびりとしているわけにもいかないので、製材などできる作業を行ったり、アイロンでできる少量の蒸し曲げ作業をスチームボックスで時間をかけて蒸してみることにしました。

スチームベンド

今日はカヌーのパーツであるデッキとステムとガンウェルをスチームベンドします。

スチームベンド

蒸し時間を長めにとったこともあり、うまくいきました。

OPEN JAPANの報告書の原稿が締め切りを過ぎても集まらず、3月11日に発送することを目標にスケジュールを組みましたが、肝心の原稿が来ないと編集ができません。その間待っていても仕方がないので、カヌー製作をちゃくちゃくと。できるときにできることをやる、当たり前のことですが、自分で決めないと何一つ進まないのが山の生活です。


関連サイト :  OPEN JAPAN 災害支援

メープルの樹液を採取
メープルシロップ
 2024年3月1

楓の樹液を集めて薪ストーブで50分の1になるまで煮詰めます。

メープルの樹液

フィルターで濾して、琥珀色のメープルシロップが出来上がりました。

メープルの樹液

昨日は福島テレビの方が訪れ、能登半島地震の災害支援についての取材を受けました。
発災から2ヶ月経ち、支援の仕方も、そして報道の頻度も変化していきます。
現地に行ければ行って支援活動をすることで直接お役に立つことができますが、行けなくても力になれることがあります。現地に行っている団体や個人を支えること、能登に気持ちを寄せること、そして今暮らしている自分の生活を見直すこと、小さくても日々の暮らしの中の防災意識を育てていくことも大きな意味での災害支援につながると思います。
災害支援は今だけの問題ではなく、半年後も1年後もそのもっと後になってからも必要とされていきます。壊れた町やコミュニティが半年や1年で再生されるはずもなく、何年も経ってからでも誰かの手助けがありがたいということがあります。今だけの問題でなく、ずっと長く気持ちを寄せ続けることが大きな意味での支えとなっていくと思います。
そして災害は能登半島だけの問題にとどまらず、今後いかなる場所で起こるかもしれません。普段から水の使い方や使う道具のことを考え、まずは自分たちの暮らしから見直していくことも災害からもたらされた学びだと思います。



記事はこちら
福テレ《能登半島地震から2カ月》「水のことばかり」福島県のボランティア夫婦が感じた違い 自分の事として


放射能汚染というレッテルをはられた福島という地だからこそ発信できるメッセージもあります。原爆が落とされ被爆国といわれた国が災害により再び被爆したという事実は、これからの暮らし方への大きなメッセージを投げかけられているのだと気づかなければ、次の災害で原子力発電所がどうなるのかという怯えを抱ながら暮らすことになります。
まもなく3月11日がやってきます。
人によって捉え方が異なると思いますが、わたしは放射能という目に見えないものが自分の身に降りかかってきた日として忘れることができないでいます。10年以上経ってもきのこからは放射性物質が検出され、原子力発電所からは放射能が含まれた水が海洋放出されています。この事実がすべてだと思うのですが、世の中は2011年3月11日前とどれくらい変化したのでしょう。



関連サイト :  OPEN JAPAN 災害支援
2024年4月<  >2月