水、水、水
ボランティア支援ベースOPEN JAPAN 
 2024年1月31日(水)

能登町OPEN JAPANベース、今朝のミーティング7:30、参加者21人。
朝ミーティングは、今日から活動に参加する人、今日で活動を終える人の挨拶からはじまります。

宮城県丸森町から参加した3名が5日間の活動を終えて本日帰ります。
チーム丸森という名で丸森町の役場の職員さんがボランティア活動に参加してくれていました。能登町の行政のサポートに入って感じたこと、そして4年前に丸森町が水害に遭った時に経験したこと、OPEN JAPANが支援し続けてきたことへの思いなどを伝えてくれました。とかく縦社会で災害への体制が整っていない行政の対応や体質を理解した上でどのように現場で動き、どのように伝えていくか、丸森町役場の役割は今後の行政の手本となっていくと思います。

羽織れるあったかロールクッション

今日は1000リットルのタンク(水回り業界では「カボチャタンク」というようです。)を七尾市まで取りに行く予定でしたが、七尾を拠点とする災害NGO「結」のメンバーが能登町まで用事があるのでついでに届けてくれるというパーフェクトタイミングがありました。大きなタンクの受け取りと保管、明日はこの1000リットルのタンクを珠洲市まで運んで設置することになります。
上の写真は本日能登町内で物資の配布を行うため埼玉県からきてくれたCAINZチーム。配布する「羽織れるあったかロールクッション」を試着。これから避難所でお渡しするにあたって、どのように着用するのかをみんなで共有します。寝袋の中で着ることもでき、そのまま歩くこともできるというもので、クッションとしても使えるとのこと。大きな企業には大きな企業だからこそできることがあるのだなぁと感じます。

初めてのこと、給水車の操作もやりました。
ベース内の水が足りなくなったので、福島県いわき市からお借りしている給水車を使って水を補給することに。給水車の操作をしたことがないので匠くんがヤンさんと一緒に試行錯誤しながら給水車を動かしていました。昨年の水害のときのつながりで、いわき市が給水車を貸し出ししてくれています。かつての被災地が今の支援者となり、人との繋がりの中で支援活動が継続していきます。

オープンジャパンのロゴマーク

ボランティア活動にもいろいろあります。炊き出しや物資の配布、重機の操作や給水、役場や支援者のコーディネイトなど、人や物資と関わるものだけではありません。ポップを書いたりものを作ったり、活動がしやすくなる環境を整えることも仕事のひとつです。活動してくれるボランティアを支えるベースを整えること、ボランティア支援ベースOPEN JAPANとしての活動もあります。

テントにロゴを入れるという、ちょっと頭を使う作業をやりました。
まず外にテントを立てて見当をつけ、壁に張ってプロジェクターでロゴを投影します。その状態でトレースし、きれいに畳んでペンキでロゴを書いていきます。
「手書きでやっているんですか?」と何人かに驚かれました。
自分でデザインしたロゴを手書きでトレース、責任を持って仕上げたい仕事です。気づけば夜8時を回っていました。作業時間も自分で終わりを決めなければいつまでも続いてしまいます。緊急性のない仕事は根をつめないようにして、明日に備えたいと思います。
夜はみんなで今日の活動から見えてきたことをシェアしたり、明日の作業を調整したりします。炊き出しや物資の配布、必要なところへお届けできるよう情報の共有が必須となります。夜のミーティングも毎晩遅くまで続きます。



関連サイト :  OPEN JAPAN 災害支援のWEBサイト  ・ YAHOO JAPAN ネット募金

ランドリープロジェクト
珠洲にて、ランドリープロジェクト 
 2024年1月30日(火)

2週間ぶりの能登町、OPEN JAPANベースです。
ベース内の様子も随分変わりました。
人の出入りが増えてきて、それに応じてものや道具の置き場が整えられていました。同時にものが増えていてその整理に追われる様子も感じられます。

今朝のミーティング8:00、参加者23人。

本日の活動内容
炊き出し&元気カフェ(珈琲お茶とお菓子)
水汲み場の配管設営
コインランドリー復旧サポート
ベース整理
避難所のデータ管理の整理
支援物資の積み下ろし
役場の被災者台帳アプローチのサポート(チーム丸森)

各チーム、無線を持って活動します。

若いボランティアスタッフが率先して動いていました。OPEN JAPANの流れも随分変わってきました。リーダーが次のリーダを育てる流れが生まれており、確実に今回の災害によって変わっていくものを感じています。

ランドリープロジェクト

昨日手に入れた水タンクを設置しに珠洲市のコインランドリー「洗いグマ」に到着。
川俣シルクを渡す予定のミヤビさんが二層式洗濯機4台をなんとか使えるように奮闘していました。ミヤビさんが避難所でも一緒に過ごし、ご家族のようにお付き合いしているというご夫妻がコインランドリーを営んでいて、お孫さんのように可愛がられているとのこと。なんとか復活させてあげたいという気持ちと、水を通すことによって何かが流れ始めるだろうという使命を感じていました。
わたしたちも水を通すとことに意味を感じ、OPEN JAPANのサポートも受け気持ちを集中していきます。
水がないため使えないという状況の下、水汲み場へ水を汲みに20リッターのタンクを詰めるだけ積んで車で輸送して動かしていました。

ランドリープロジェクト

洗濯方法は洗濯層に洗濯物を入れ、20リッターの水を入れて生分解性の洗剤「海へ」を1プッシュ、8分洗って5分脱水、その後乾燥機へという流れです。コインランドリーの乾燥機は使えるので店舗は再開することができます。
水を汲みに行くのと洗濯機に水を入れるのが結構大変で、タンク設置にあたり強力な助っ人に協力を仰ぎました。朝のOPEN JAPANのミーティングでお会いした北海道から支援にきている熊さん、プロの水道設備屋さんです。 午前中の現場を終えた後に水道の蛇口を持ってきてくれました。タンクからどうやって洗濯槽に水を入れるかという問題を瞬時解決、ポンプを使って電気で動かすということで、同時に4つの蛇口から洗濯槽に水を入れることができるようにできるとのこと。今回初めて持ってきた大工道具が役に立ちました。匠くん、材を加工して設置していきます。
熊さんと二人でタンクから水が流れるようにしてくれました。

ランドリープロジェクト

朝は手動で水汲み、夕方には水道から水が出るという驚くほどのスピード感で物事が実現していきます。
通りに面しているので、通りがかる人が声をかけてきます。珠洲で活動しているボランティア仲間も立ち寄って、ランドリーがはじまることによる町のコミュニティの動きを感じました。

洗ったり乾かしている間に、持参したスコーンと珈琲でひとときおしゃべりの時間が生まれます。今置かれている現状を伺いました。
珠洲市では排水を流さないようにと言われているためトイレが使えない、避難所が閉鎖されて2次避難を促されるがそれを望まない人たちが半壊した自宅に仕方なく帰って暮らしている、大型避難所の閉鎖により移動された次の避難所での暮らしがとてもつらい、などなど。
「まるで1月2日に戻ってしまったかのよう…。」
ここにきてこのような現状を知ることになるとは…。場所によって状況は全然異なります。一瞬一瞬、今わたしたちにできることを考えます。

ランドリープロジェクト

コインランドリーを営むご夫妻も避難所閉鎖に伴いやむなく自宅に帰って暮らしているそうです。
自衛隊風呂から帰ってきたご夫妻が、朝とは異なる水のシステムを見た時の軽くなった表情が印象的でした。



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買い物
再び能登半島へ 
 2024年1月29日(月)

再び能登半島地震の支援に向かっています。
本日以降の月のカレンダー、手帳のご注文に関しましては、2月10日以降の発送となりますことをご了承ください。月のカレンダーのみのご注文に関しましては、販売店舗さんをご紹介させていただくこともございます。

前回の能登半島での支援活動から時間が経ち、現地の様子も支援の内容も変化しています。OPEN JAPANでは炊き出しも継続しておりますが、ほっと一息つけるカフェコーナー、お茶っこ場を設けてコミュニケーションが生まれる場のお手伝いもしています。

矢祭町の珈琲工房にて

福島県矢祭町の珈琲屋さん「珈琲香坊」さんが能登半島珠洲市の珈琲屋さん「二三味珈琲」さんとつながりがあるということがわかりました。「二三味珈琲」さんには前回OPEN JAPAN の仲間がモバイルバッテリーをお届けするなどしてお元気だったという話を聞いたところ、ニュースで再開に向けて応援されているという記事を見つけ、お伝えさせていただきました。
珈琲香坊さんが今回能登支援のために珈琲豆を焙煎してくれました。

那須、アワーズダイニングにて

栃木県那須町にあるレストラン「アワーズダイニング」さん。毎年年末の「大日向マルシェ」の会場でもあり、月のカレンダーを通してお繋がりをいただいております。
能登支援のために焼き菓子を作ってくれました。お茶タイムにも喜ばれますし、すぐに食べられるので行動食にもなります。前回もスコーンが食事の支度ができないときなどにとても役にたちました。
大日向マルシェでつながる仲間たちも心を寄せてくださって、少しの時間ですが前回の報告などもさせていただきました。災害は被災地だけでなく、つながるすべての人々に降りかかる問題です。こころを痛めているのは被災地の方々だけでなく、もんもんとした思いを消化できずにいる苦しみもあるのです。それぞれの思いを語れる場が必要なのだと感じました。

今回は特に支援物資を募りませんでしたが、こよみの話会で直接会った友人たちから基本調味料や保存食を託していただきました。神奈川県本厚木の「晴れ屋」さん、葉山町の「葉月」さん、横須賀市の「玉姉妹」さん、お話会を通して出会った方々からいただいた能登へのお気持ちも持っていきます。

これから続く被災地でのこれまでとは異なる生活に、少しでも心と体を癒していってほしいとの思いから、インスタントでなく、時間を使って発酵させてつくられた味噌、醤油、酒、梅干し、乾物などを選びました。どれも日持ちのするもの、日々の暮らしの食生活に使えるものです。少しづつですが、自炊ができる環境になったところもあります。
と同時に、お店も再開し始めましたので、必要なものは地元で買って応援していくことも考えています。

買い物

能登へ向かう高速道路上で先日あった珠洲市の女性から連絡が入ります。洗濯をするための水を貯めるタンクを設置してほしいとのこと。急遽高速を降りてホームセンターを探します。
300リッターの水タンク2つ、それを設置するための材、現地にあるひとつを受ける台をつくるための材料などを調達します。もうすでに車には入らないので上に取り付けるしかありません。前回はタイヤを、今回は水タンクを。積載精一杯で能登入りします。

夜、皆さんが寝ている間に

能登半島に入ってからの道路も舗装され直して通れるようになってきています。
22時を回ってもアスファルトを敷く工事をしていました。みんなが寝しづまってから作業をしてくれる方々もいます。見えない力に支えられてわたしたちも活動をさせていただけます。



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紺野機業場にて
能登染めと川俣シルク 
 2024年1月26日(金)

能登半島珠洲市の避難所で声をかけられ、福島からシルクを運んできて欲しいとの要望を受け、福島県川俣町の紺野機業場へ行ってきました。

1月9日に珠洲市の避難所となっていた飯田高校で炊き出しをした翌日にお鍋の回収に行った際に声をかけてくれた染色を営む女性、室山雅(みやび)さん。今年の1月1日は彼女が珠洲市で草木染めの工房をオープンさせたその日でした。雅さんの作品は、福島県川俣町のシルクを仕入れているとのことからの今回のご縁。

当初は私たちがシルクを預かって珠洲へ運ぶミッションだったのですが、なんとご本人もちょうど本日東京にいるということで、新幹線で福島入りして同じタイミングで紺野機業場へ行き現地で会おうということになりました。

紺野機業場にて

紺野機業場は100年以上続く川俣シルクの製造所、社長の紺野峰夫さんで5代目だそうです。
川俣シルクの歴史を伺い、機業場の見学をさせていただきました。
髪の毛より細い糸のシルクを機械で織っていく工程で、濡らした糸で織りあげるというここでしかやっていない方法を用いて繊細な織物が作られていました。その工夫された製造過程をご説明いただき、実際に動いている機械を拝見させていただきました。これが日本の製造業、この技術と工夫が日本を作ってきたのではないかと、感心感動を覚える時間でした。

雅さんはご友人からこちらのシルクを紹介してもらい、仕入れて能登の植物を用いて染めているそうです。ずっと訪れたいと思いながら、こちらを訪れたのは今回が初めて、当初来る予定ではなかったそうですが、東京に行くことになり、私たちがシルクを預かりに行く予定を組んだタイミングと合致してこのような運びになりました。

「ここのシルクでしかこの色がのらいないんです。この色が出るのはこのシルクだからこそ。」
震災後の家から救出したという作品を見せてもらいました。
珠洲の桜で椿の灰を用いて染めているそうで、何色もの美しいスカーフがカバンの中から出てきました。薄い生地なので軽くて小さくなり、広げるとふんわりとボリュームがあるこの繊細なシルクのスカーフはまるで天女の羽衣のようでした。

紺野機業場にて

雅さんは現在二次避難先の加賀市と、自宅のある珠洲市を行ったり来たり、能登半島支援のために都内へ出向いて企業へのアプローチなどもしているとのこと、
「25歳以下だと飛行機代が安いんです。豪雪の中、今出なければ動けなくなる、と出発を0.5秒で決めました。」すごい行動力です。
震災がなければこういう展開にはなっていない、すべて必然だと言っていました。
話しているうちに共通の知人やキーワードが出てきて、わたしたちも必然でこの不思議な展開に巻き込まれたような気がしています。
シルクを預かり雅さんを郡山の駅まで送り、数日後に珠洲で雅さんと会ってシルクをお届けする予定です。



関連サイト : 染雅-some.miyabi- のInstagram  ・ 紺野機業場
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ザ・ピープルの古着リサイクル倉庫にて
日本リ・ファッション協会 & ザ・ピープル 
 2024年1月24日(水)

被災地支援やリサイクルファッションを通しての教育事業をしている一般社団法人日本リ・ファッション協会代表理事鈴木純子さんと連絡をとり、いわき市のNPO法人ザ・ピープルさんのラボでお会いしました。鈴木純子さんとはお互い東京にいたときからの古くからのおつきあいです。今回は相談があり、いわき市のラボを訪れさせていただきました。

日本リ・ファッション協会の定義するリ・ファッションとは、
「いいものを長く愛用する」ために、日本の伝統の技や知恵を活かして、現在の生活を見直し、ライフスタイルを変えていくこと。
とあります。今回は着物に関しての相談に乗っていただきました。

ザ・ピープルの古着リサイクル倉庫にて

NPO法人ザ・ピープルは、「古着をゴミとして燃やさない社会づくり」を目指して、福島県いわき市を拠点に衣類リサイクルに取り組んでいる団体です。
鈴木純子さんはザ・ピープルさんと連携して被災地支援も行っていて、今回も能登支援への協力をしていただく準備があることを伺いました。
今回わたしたちは衣類への呼びかけは行っておりませんが、現地で必要とされるものがあったらぜひ協力していただきたいと思います。支援は長きに渡って必要とされることと思います。
じゅんじゅん(鈴木純子さん)とは東京に住んでいた頃からのお付き合いで、じゅんじゅんの会社の短期アルバイトから引越し手伝いまで、長きに渡りつながりをいただいております。時を経てこうしてまた福島で出会えるのも何かの縁かもしれません。

住む場所や活動内容が変わっても、核になる部分が変わらなければこうしてまた出会うことができるという、この世の答え合わせのような再会でした。



関連サイト : 一般社団法人日本リ・ファッション協会  ・ NPO法人 ザ・ピープル
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はからめランド
ただいまランド 
 2024年1月22日(月)

能登半島の災害支援活動、その後の神奈川県でのこよみのお話会から福島県に戻りました。
いない間に雪が降り、昨夜の雨でその雪が溶けています。時間の経過を感じる間もなく次の予定の準備に追われていますが、いったんここで心身ともに整理をしたいところです。
ただいまお待たせしていた暦の製作と発送作業をしています。
年が明けてからもご注文をいただき感謝申し上げます。

2024年のこよみの発売は2月3日の節分まで、と決めておりましたが、その時期再び能登半島で支援活動をしていると思いますので、今年は臨機応変に対応させていただきます。
今年に入り、カレンダーに関しては売り切れているお取扱店が多いので、直接ご連絡いただければ発送させていただきます。(通常はカレンダーのみの販売は行なっておりません。※月の手帳、ムーンサークルカレンダーと一緒にご希望の場合は、一緒にご注文を承っております。)右下のメールアドレスまでご連絡くださいませ。
本日から1月28日までにご注文いただきました分に関しましては1月29日に発送させていただきます。

待っててくれました。

お正月を味わうような三が日ではなかった方も、旧正月から新年と気持ち新たに過ごしていただくことができるのではないかと思います。
「はからめ月のカレンダー」では日々の月の満ち欠けの中に漢数字で旧暦を入れています。現在わたしたちが使っているグレゴリオ暦を用いながらも、かつてわたしたちの祖先が使っていた旧暦と呼ばれる太陰太陽暦を用いることもできるのが今を生きるわたしたちに与えられている自由です。
月の満ち欠けとこよみとが一体になっていた時代のことを思えば、日本の行事が自然と繋がっていることを感じることができると思います。
「はからめ月のカレンダー、月の手帳」今年は旧暦新年まで発売いたします。



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SHO FARM
SHO FARM、こどもホスピス 
 2024年1月18日(木)

玉姉妹のご案内の元、SHO FARMさんへ伺いました
ここは「1000年続く農業」をビジョンに神奈川県横須賀市で農業を営んでいる農園です。ちょうどたくさんのみなさんが野菜を仕分けしている最中でした。玉姉妹がわたしたちを紹介してくれ、SHO FARMのしょうさんが農園を案内してくれました。
ここでは不耕起栽培で野菜を育てています。不耕起栽培にしてから雨が降っても土が流れ出すこともなくなり、収穫量も安定してきたそうです。
にわとりも飼っていて、たまごや堆肥づくりだけでなく、エリアを区切って畑の草や虫を食べてもらうチキントラクターもやっていました。
何より驚いたのは、働いている方がみんな若くて活気があるということでした。
これからの未来を担う若者たちが楽しそうに農業をやっている姿に感銘をうけました。

SHO FARM
(Photo 玉姉妹)

お父様のカズさんが果樹園を案内してくれました。様々な柑橘類やベリー類が日当たりのいい斜面に植えられています。暖かな気候と豊かな大地を生かし植物の力を自然に引き出してあげるような工夫がなされています。三浦半島の気候の豊かさを感じます。

こちらに仕事に来ている方から手作りの梅干しを預かりました。
能登への関心を寄せていただき、支援として梅干しをいただきました。

春日と再会
(Photo 玉姉妹)

午後は玉姉妹とご縁のある料理家の山田奈美さんのお宅へ能登への支援物資を取りに伺いました。奈美さんは以前「こよみの話会」に参加してくれて、玉姉妹とのご縁もあり、今回支援物資を集めてくださいました。奈美さんはお留守だったのですが、在宅の旦那様から物資を預かりました。
話をしているうちに、「たくみ?」と。
「え?」
「代ゼミ行ってたでしょ、〇〇覚えてる?」
「え!!!」
なんと、匠の予備校時代の友人だったのです。
30年ぶりのまさかの再会。こんなかたちで会うことになるとは、まさに天の計らいのような出来事でした。

支援物資を運ぶ
(Photo 玉姉妹)

帰路に着く途中にある金沢八景、友人が今そこに勤めているというので連絡をもらい、会いに行きました。友人はずんこという愛称でカヌー仲間に愛されている看護師の資格を持つ女性。現在「横浜こどもホスピス うみとそらのおうち」で仕事をしています。
この施設は18歳までの子どもとそのご家族が利用できるホスピスです。
病気で余命宣告された子どもとそのご家族がここで楽しい時間を過ごしたり、家族との思い出を作ったり、安心して時間を過ごしてもらうためにさまざまなアイディアを駆使して環境を整えた場所です。今日は利用者さんがいないとのことで、施設内を案内してくれました。日中の利用だけでなく、宿泊して過ごすこともできるような設備が整っていました。キッチン、トイレ、お風呂、ベッドなど、ご家族と一緒に宿泊して過ごすこともできるようになっていました。

横浜こどもホスピス うみとそらのおうち

いろいろなことがあたまを駆け抜けます。ずんこ曰く、
「かわいそう、とか悲しいとか、そういう感覚ではないです。今をいかに楽しく過ごすか、生きているうちにやってみたいということを、いかに今実現させてあげるかに集中しているので、みんな一生懸命です。」
今を生きる、ということしかないという状況になったらどう生きるか。
現に、今しかないという子どもたち、そしてそのご家族たちがここにいるということ知り、能登への支援だけでなく、今わたしたちができることは何かを考えます。
ずんこからも、能登支援に行きたいが、車がない中で今短期で現地入りすることはできるのか、行って自分が役に立つことがあるのかなどの相談も受けました。

これから続く被災地での暮らしはまだまだ支援が必要とされていくと思います。
現地へ行くこと、そして現地へ行かずともできること、それが今なのか、それともタイミングが来た時になのか、そのタイミングを待つのか自分で作るのか。
これは被災地支援だけでなく、人生のあらゆる側面でも言えることなのではないのかな、とこの文章を書きながら思ったりしました。

横浜こどもホスピス うみとそらのおうち にてズン子と一緒に

このこどもホスピスのように会員登録をすれば自由に使えるところは日本でまだ二つしかなく、東日本ではこの「うみとそらのおうち」しかないそうです。こちらの施設はすべて企業や個人からの支援金で賄われているとのこと。ずんこのやっているこの活動も大きな意味のあることだなぁと思います。



関連サイト : SHO FARM  ・ 横浜こどもホスピス うみとそらのおうち
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暦と暮らすこよみのクラス
暦と暮らすこよみのクラス @玉姉妹
 2024年1月17日(水)

神奈川県横須賀市にあるお花屋さん「玉姉妹」の恵子さん純子さん姉妹による「暦と暮らすこよみのクラス」を開講しました。(上の写真は玉姉妹撮影) 玉姉妹とは長いお付き合い、お花と一緒に月のカレンダーもお取り扱いいただいております。 会場となったのは衣笠駅から徒歩3分、insideoutというキャサリンさんが主催するアトリエ&ギャラリー、和室を素敵に彩った空間です。
部屋いっぱいにたくさんの方々にお集まりいただき、玉姉妹のネットワークの広さとこよみへの関心の深さを感じました。

暦と暮らすこよみのクラス

今回玉姉妹が能登半島地震への支援品を募ってくれました。何が必要か、欲しいものはあるかと聞かれたので、「梅干しかな…。」と答えたら…。
驚くほどの支援品が集まりました。玉姉妹とつながる友人知人たちのつながりの強さ、助け合いの精神が溢れていて、ここで災害が起こってもこの友人同士だったら自分たちで助け合って乗り切れるだろうな、と思いました。災害が起きてから助け合うのではなく、普段からコミュニケーションをとっておくことの大切さを感じます。

暦と暮らすこよみのクラス

夜は玉澤家にお邪魔して、千恵子さん(母)、そして桜都(娘)にも協力してもらって支援物資の仕分け作業をさせていただきました。梅干しだけなく、乾物や食品などがたくさん集まりました。みなさん紙袋で持ってきてくれたので分別して段ボールに入れていきます。自分たちで把握できる量を超えたので、誰が見ても入っている物が何なのかわかるようにマジックで中身を書きます。合計13箱の段ボールとなりました。

暦と暮らすこよみのクラス

恵子さんが近所に住む友人ゆうすけさんを呼んでくれました。彼は消防に勤めていて、今日能登半島から戻ってきたとのこと。聞けば神奈川県の消防のチームが輪島市と珠洲市に入り、1週間交代での支援活動をしているそうです。
話を伺いました。
「朝から午後3時くらいまでスコップで土砂出しをしていました。活動場所は山間部の家があった所に土砂が流れて家が埋まってしまったところ。朝4時にベースを出発、消防車で2時間かけて現場に着き、道具をかつぎ1時間歩き山間部の家があった場所まで行きます。携帯食を持参して時折口にしながらひたすら現場で作業をしていました。住民さんと触れ合うことはありません。誰もいない山間部で生存者を探すための作業です。七人くらいでひたすら掘って、3時過ぎに作業を終えベースに戻って着替え、三人の後方支援部隊が食事などの用意をしてくれます。食事はカップラーメンやご飯にレトルトのカレーなど。温かい物が食べられておいしい!と思うのですが、1週間も続くと体がおかしくなると思います。あー野菜が食いたい!と思いました。正直しんどい作業でした。」とのこと。
同じ半島内にいても支援内容が異なるので、わたしたちが消防の人と関わることはまずありません。雪降る中での作業、人と触れ合わず、ひたすらスコップで土砂を出し、ようやくトタン屋根が見えてきた、まだ土砂の下に家が埋まっていると話してくれました。
ゆうすけさんたちが戻っても神奈川県の消防のチームでの連携なので、横須賀のチームとは入れ替えにまた他のチームが入ってきて作業を継続していくそうです。
能登半島地震、全国からの支援の手が入ります。

わたしたちは炊き出しや物資の配給などの支援が主でしたので、今回玉姉妹さんは日持ちのする食品に限り物資を呼びかけてくれました。ひとりひとりできることをできるかたちで。

こよみの話を聞いていただくと、意味なく起こることはないのではないかと考えると思います。
災害、支援の仕方、 自分たちの備え、日頃からの心掛けなど、ここに住むわたしたちができることが必ずあります。

阪神淡路大震災から29年。
震災からわたしたちは何を学んだのか。
神戸で炊き出しをしていた仲間がOPEN JAPANの前身です。支援の仕方も時代と共に進化していきますが、人の心と思いやりの精神はいつの時代も変わることはありません。


暦と暮らすこよみのクラス、 2月は秋田と山形で開催します。

◆2024年2月17日(土)  秋田県 大仙市 
《 高梨商店 》
場所:秋田県大仙市高梨米打橋11
時間:11:00〜15:00
お問い合わせ:080-8732-6295(リフレッシュサロンあおいて ツクダ)
フレッシュサロンあおいてのインスタグラム
または0187-73-7871(高梨商店 松本)
高梨商店のインスタグラム


◆2024年2月18日(日)  山形県 鶴岡市 
《 朝めし膳  》
場所:山形県鶴岡市鳥居町34−17
時間:13:00〜16:30
お問い合わせ:090-5834-1505(manosube 齊藤)
manosubeのインスタグラム


YAHOO JAPAN ネット募金

YAHOO JAPANの ネット募金にてOPEN JAPANを通した支援金の募集を開始しています。
現地に行くことはできないけれど支援をしたいという方、こちらのサイトからOPEN JAPANをご支援ください。



関連サイト : 玉姉妹のInstagram
OPEN JAPAN 災害支援のWEBサイト  ・ YAHOO JAPAN ネット募金

暦と暮らすこよみのクラス
暦と暮らすこよみのクラス @葉月
 2024年1月16日(火)

神奈川県三浦郡葉山町にあるオーガニックショップ「葉月」さんにてこよみの話会「暦と暮らすこよみのクラス」を開講していただきました。店主の高野辺ゆみこさんは以前お話会に参加してくれた方で、ぜひご自分のところでも開催したいとのことで呼んでいただきました。
会場となった「葉月」さんはご自宅の一室を店舗として解放し、オーガニックの食材や調味料などを扱っています。旦那様とハーフビルドされた素敵なお家、机や椅子も手作りで、薪ストーブの温もりの中でスタートしました。

暦と暮らすこよみのクラス

事務方からオープンジャパンの手拭いを送ってもらい、今回能登支援として手ぬぐいの販売もさせていただきました。葉山町、ここも半島の中にある町です。もし自分たちが住んでいるところが災害になったらどうするか、と考えます。
「水が汲めるところを知っておいた方がいいね、」
「あそこで汲めるよ。」
「あの水は飲める、あっちは飲めない。」など、ご近所同士で情報交換し合っていました。普段から水汲み場を知っていると、もしものときに役立つかもしれません。

暦と暮らすこよみのクラス

葉月さんで取り扱っている調味料を支援物資としていただきました。お話会に参加してくださった方がその場で購入し手渡してくれました。
葉月さんからも料理酒、お醤油をいただきました。炊き出しや必要としている方へのお届けなどに使わせていただきます。手に入るものだったらなんでも、という段階からできれば天然醸造、自然素材の調味料へ、という方へ考えたものをお届けしていきたいと思います。



暦と暮らすこよみのクラス、明日は横須賀で開催します。

◆2024年1月17日(水)  神奈川県 横須賀市 
《 玉姉妹 》
場所:衣笠駅から 3分ほどの和室
時間:13:00〜16:30
お問い合わせ:090-4428-4248(玉姉妹)
玉姉妹のインスタグラム


◆2024年2月17日(土)  秋田県 大仙市 
《 高梨商店 》
場所:秋田県大仙市高梨米打橋11
時間:11:00〜15:00
お問い合わせ:080-8732-6295(リフレッシュサロンあおいて ツクダ)
フレッシュサロンあおいてのインスタグラム
または0187-73-7871(高梨商店 松本)
高梨商店のインスタグラム


◆2024年2月18日(日)  山形県 鶴岡市 
《 朝めし膳  》
場所:山形県鶴岡市鳥居町34−17
時間:13:00〜16:30
お問い合わせ:090-5834-1505(manosube 齊藤)
manosubeのインスタグラム


YAHOO JAPAN ネット募金

YAHOO JAPANの ネット募金にてOPEN JAPANを通した支援金の募集を開始しています。
現地に行くことはできないけれど支援をしたいという方、こちらのサイトからOPEN JAPANをご支援ください。



関連サイト : 葉月のInstagram
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暦と暮らすこよみのクラス
暦と暮らすこよみのクラス @晴れ屋
 2024年1月14日(日)


神奈川県厚木市にあるオーガニックカフェ&エコロジカル雑貨・食品を扱っている「晴れ屋」さんにてこよみの話会「暦と暮らすこよみのクラス」を開講していただきました。昨年1月以来、3回目の開催にリピーターの方もいらっしゃって、嬉しい再会もありました。

能登半島地震での支援活動から、こよみの話のスライドにいくつか関連づけて現地の話もさせていただきました。みなさん熱心に聞いてくださって、関心の深さを感じます。

暦と暮らすこよみのクラス

晴れ屋店主の小泉さんはじめスタッフの方々もわたしたちの現地での活動を応援してくれ、OPEN JAPANについて話をさせていただく時間もいただきました。
現地へ行かなくても支援することはできます。
現地へ行く人を通して気持ちを届けること、現地へ行く人を支えることも大きな支援活動となります。わたしたちを通して能登半島地震の復旧活動に関わっていただけること、つながりつづける仲間とともに一緒に活動をしているという意識を広げていくこともわたしたちができることのひとつではないかと思っています。わたしたち二人だけでは限りがありますが、こうしてつながる仲間がいれば支援の幅も活動の幅も広がります。みんなで一緒にやっている、そういう気持ちで動いています。

晴れ屋さんでいただいた野菜を中心とした丁寧な食事に癒されました。
温かい手作りのご飯が食べられること、横になって眠ること、トイレに行けること、水が使えること、電気が使えること、この当たり前だと思っていた世界は当たり前でなく、誰かの努力のおかげです。自分でいちから作らなければならないとなったとき、どうするか。

助けを必要としている人のところへ支援が行き届くまでには時間がかかります。1日かもしれないし1ヶ月かもしれません。それまでの間は自力で生きのびなければなりません。
土があればトイレを作れる、水源を知っていれば水を汲みに行ける、薪があれば火を焚ける、鍋があればご飯を炊ける。
暦の基本となる木火土金水はあたりまえのようにこの世に存在している物質です。その特性を知り、活用し、暮らしに役立てることができれば日々の豊かさだけでなく、災害時への備えにもつながります。

暦と暮らすこよみのクラス

被災地にこんなお店があったらいいな、と広い店内を見渡して思いました。靴下やレギンス、肌着、国内循環の古着、安心安全な食材や石鹸、シャンプーなどのアメニティ、衣食住の基本となるものたちが並んでいます。

何度も店内を周り、「これがあったらいいな。自分だったらこれが欲しいな、これが嬉しいな。」と思うものを購入しました。次に能登へ行くまでには時間があるので、すごいスピードで変化していく現地の様子を想像力を働かせてイメージします。先週まで必要とされていたものと2週間後に必要とされているものとでは異なります。直接使うものや直接渡せる方に渡すものとして、数ではなく、質を取りました。被災地に向けてこういう買い物ができるのは晴れ屋さんだからこそ。質の高い品揃えにお店の方々のお心も込めて、現地へ届けるものを集めました。


暦と暮らすこよみのクラス、以下の予定で開催します。


◆2024年1月16日(火)  神奈川県 葉山町 
《 葉月 》
場所:神奈川県三浦郡葉山町堀内(詳しくはご予約後、 お伝えします)
時間:10:00〜14:00
お問い合わせ:下記イベントページより葉月のDMへお願いします。
イベントページ(葉月のインスタグラム)


◆2024年1月17日(水)  神奈川県 横須賀市 
《 玉姉妹 》
場所:衣笠駅から 3分ほどの和室
時間:13:00〜16:30
お問い合わせ:090-4428-4248(玉姉妹)
玉姉妹のインスタグラム


◆2024年2月17日(土)  秋田県 大仙市 
《 高梨商店 》
場所:秋田県大仙市高梨米打橋11
時間:11:00〜15:00
お問い合わせ:080-8732-6295(リフレッシュサロンあおいて ツクダ)
フレッシュサロンあおいてのインスタグラム
または0187-73-7871(高梨商店 松本)
高梨商店のインスタグラム


◆2024年1月18日(日)  山形県 鶴岡市 
《 朝めし膳  》
場所:山形県鶴岡市鳥居町34−17
時間:13:00〜16:30
お問い合わせ:090-5834-1505(manosube 齊藤)
manosubeのインスタグラム


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OPEN JAPAN 災害支援
能登での活動、次のために
 2024年1月12日(金)

(※本日の記事の写真はここ1週間のもの。全てOPEN JAPANパウロくん撮影です。)

一週間の能登半島での支援活動、今日で一旦被災地を離れ、関東での「暦と暮らすこよみのクラス」に向かいます。この一週間はあっという間で、毎日すごいスピードで変化していく状況に自分たちの頭を最大限に活用し、臨機応変に対応していくという課題に向き合う日々でした。

OPEN JAPAN 災害支援

支援活動、当初はすべて自己責任で活動できる人に限られます。寝るところ、食事、活動に至るまで自分たちで動いて決めていくことからはじまります。徐々にボランティアに来る人が増えていくにつれ、活動範囲も広がっていきます。仲間が増えればできることも増えていきます。
水が出ない中での生活、トイレ問題、インターネット環境の整備や食事など、支援に来る人を支えるベースを整えていくことで活動をサポートしていくということも大きな役割となってきました。 はじめは手持ちの機材だけでなんとか工夫していきますが、徐々に必要なものが増えてきて現地入りする人に頼んだり、時には用事がまとまれば金沢まで購入しに行くなど、状況も動いていきました。

OPEN JAPAN 災害支援

能登町のガソリンスタンドも動き始め、給油の心配も回避されました。ドラッグストアも営業を再開し、少しづつですが動きが出てきました。同時に季節はどんどん寒くなっていき、避難所での温かい食べ物へのニーズが高まります。
町にはまだ倒壊した家屋が手つかずのまま残っています。瓦礫の撤去もゴミの収集もありません。

OPEN JAPAN 災害支援

今回持参したチェンソーや大工道具を使う機会はほぼありませんでした。まだその段階までいっていないというのが現状です。
今は生きるため、いのちをつなぐための活動です。
炊き出しや生活必需品などの物資の配給がようやくできはじまったという段階です。配給が行き渡ったといってもまだ炊き出しもなく冷たい食事をしている避難所や、足りない物資に不安を感じている方もいらっしゃいますが、大規模避難所へ行くと配りきれない物資がダンボールで山積みになっていたり、毎日配給されるおにぎりがあまって処分されていたりするという現場があります。すべてに平等に同じ支援などできるはすもなく、人ぞれぞれが違うようにその環境や人数によっても生きる状況は異なります。

OPEN JAPAN 災害支援

今大切なのは人数や物資の数ではなく、人間同士のコミュニケーションです。助けを待つ段階から自分たちで生きる力を持つところまで支援していかなければなりません。どこの避難所へ行ってもこどもたちが騒ぐ声を聞くことがありませんでした。みんな静かに目を伏せています。今まで通り遊べなくなり、人に迷惑をかけてはいけないと親御さんも気を使い、ときどきもらえるお菓子で時間をやり過ごしているような印象を持ちました。
炊き出しをしていると、こどもたちが興味深そうに寄ってきます。いつもとは違う人がやってきて何かやっている、なんだか笑顔でみんなに話しかけている、そういった雰囲気が大人だけでなくこどもたちへも伝わるのではないでしょうか。

OPEN JAPAN 災害支援

破壊されたものを再構築していくのは容易ではありません。でもここは戦場ではなく人々が行き交う町です。誰かが誰かのために何かをしたいという人たちの思いが溢れている場所です。どこへ行っても必ず誰か手を差し伸べてくれる人がいます。あきらめずに声をあげ、声を聞き、声を届け、その先に生まれる何かのために動きつづけている人がいます。日本中から心を届けたいという思いが向けられているところです。環境は厳しいですが、小さくても少なくても、毎日どこかで奇跡が生まれています。

OPEN JAPAN 災害支援

ベースとしてお借りさせていただいている施設の管理人さんにご挨拶をし、この施設のこと、周りの環境のことなどを伺いました。施設の事務室では管理人さんや事務員さんが働いています。日々新しいボランティアが自分たちのベースとして出入りしますが、この場所をお借りできていることへの感謝と礼儀を忘れずに。新しく来てくれたボランティアに作業を引き継ぎ、8日ぶりに能登を出発しました。

穴水町までの道路はだいぶ補修されてきました。コンビニやスーパー、ドラッグストア、ガソリンスタンドも再開し始め、町が動き出しているのを感じます。

能登に入る道は支援に入る車両が数珠繋ぎで渋滞していました。
医療チームのDMAT(Disasuter Medical Assistance Team)や自衛隊、砂利を積んだ大型ダンプなど、物資を積んだ車も多数、全国から支援が来ています。

OPEN JAPAN 災害支援

七尾市にいるOPEN JAPAN緊急支援代表のひーさーと会い、 今後の展望など話しました。
今できることだけでなく、この先の行方まで。災害は予告なく起きるものですから、平時のときの生き方から備えておくことが必須となっていきます。その生き方を養うためにOPEN JAPANは何ができるか何をするか。
雨がみぞれになり雪に変わりました。未だ厳しい状況ですが、この仲間たちがいる限りエネルギーは尽きることがないと思います。
久しぶりに髭を剃ってすっきりした顔のひーさーに笑顔で見送ってもらいました。

富山に住む友人日和子ちゃんと連絡をとり、8日ぶりに富山でお風呂に入りました。
外への情報発信の仕方など、現場にいる私たちがまだまだ追いついていないことへのアドバイスをもらい、久しぶりに味わえる食事をしてから一気に福島へ。

キャンプ用品やチェンソーからこよみのお話会への道具に積み替えて、本厚木へと向かいます。
お近くの方はぜひいらしてくださいね。


◆2024年1月14日(日)  神奈川県 厚木市 
《 晴れ屋 》
場所:神奈川県厚木市中町2-8-6中町ビル2階
時間:16:00〜19:30
お問い合わせ:046-295-1161(晴れ屋)
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◆2024年1月16日(火)  神奈川県 葉山町 
《 葉月 》
場所:神奈川県三浦郡葉山町堀内(詳しくはご予約後、 お伝えします)
時間:10:00〜14:00
お問い合わせ:下記イベントページより葉月のDMへお願いします。
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◆2024年1月17日(水)  神奈川県 横須賀市 
《 玉姉妹 》
場所:衣笠駅から 3分ほどの和室
時間:13:00〜16:30
お問い合わせ:090-4428-4248(玉姉妹)
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◆2024年2月17日(土)  秋田県 大仙市 
《 高梨商店 》
場所:秋田県大仙市高梨米打橋11
時間:11:00〜15:00
お問い合わせ:080-8732-6295(リフレッシュサロンあおいて ツクダ)
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または0187-73-7871(高梨商店 松本)
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◆2024年1月18日(日)  山形県 鶴岡市 
《 朝めし膳  》
場所:山形県鶴岡市鳥居町34−17
時間:13:00〜16:30
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新月
 2024年1月11日(木)

昨日から配布をはじめた今治タオルプロジェクト、藤波運動公園にある自衛隊のお風呂の男湯女湯の待合所に棚を設置させてもらい、お風呂に入りにきた方々にご自由にお持ち帰りしていただけるようにしました。今治からタオルを運んでくれたいでっちと京極さんに棚の制作と設置とをお願いしました。
女湯にタオルを運んだ京極さん、「あんなに女性に囲まれたこと人生初!」と言っていました。
能登町へ支援にきて、現地の方と直接コミュニケーションをとれる機会を見つけるのはそうそう簡単ではありません。一期一会もありますが、現実的には何度も通ってようやく心を開いてくれるというケースの方が多いです。初めて会う人間同士ですから。昨日の夕方に避難所でタオルを配り、夜は自衛隊風呂での配布、そして今日はそこへのタオルコーナの設置と、一貫した活動に、二日間ではありましたが感じるもの、受け取るものがあったのではないかと思います。

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わたしは穴水町にある避難所へ。今治タオルとバッテリーを届けに行きました。前回伺ってお話ししていたので話もはやく、事前に匠が連絡を入れて必要かどうかを聞いていたので笑顔で迎えてくれました。前回なかった仮設トイレが設置されていました。この前来た時には近くで遺体捜索がされていたので消防の車が何台も止まっていてものものしい感じでしたが、今は無人でロープが張られていました。状況の変化が目まぐるしいです。

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午後は前回伺った小規模避難所へ、頼まれていた調味料をお届けに行きました。
「みりんが欲しいと言っていたので持ってきました。お味噌と塩、お砂糖も」
「さしすせそ、ね。この前来てくれた人でしょう?、ありがとう。どうぞどうぞ。」
はじめてキッチンに入れてもらうことができ、女性たちとお話しする機会が持てました。もしかしたら、と思って持参した鏡に大喜び。わたしも支援に来てから鏡を見ていませんが、鏡を見るという余裕が持てるようになれたら少しは自分の時間を持てるのではないかと思ってお渡ししました。

「年寄りはみんな昔の暮らしに戻ったと言っているんだよ、水汲んで使って、電気もないから暗くなったら寝る、当たり前だった昔の暮らしに戻っただけだって。」

ここは山のふもとの小さな避難所です。町から離れているので物資も支援もそこまで届きません。そんな中で助け合ってみんながなかよくしている様子が伝わってきました。
「年寄りは家で一人でいるよりも、みんなと一緒に暮らしていて楽しいって言ってるんだよ。」

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(珠洲市の直小学校での炊き出し)

避難所によって環境も状況も異なります。どんな支援が必要か、物資の配布だけでは賄えない状況がきています。場所によっては置いて行かれた支援品が段ボールに入ったまま積み上げられているところもあります。職員さんがいるわけでもなく、誰が誰に何をすればいいのかわからないという状況の中、毎日たくさんの支援品が届くということもあります。できれば直接手渡ししてあげたらいいのですが、そうもいかないことの方が多く、人に託してしまうとその後のことまではわかりません。その先のことまで考えられる想像力を持つこと、その意識が大切だと実感しています。

OPEN JAPAN 災害支援
(炊き出し後、避難所のみなさんが外までお礼に出てきてくださいました。)

夕方は珠洲市の直小学校での炊き出し補助に行きました。大きなお鍋で120食の元気鍋、 広島の知人から託された酵素玄米スープを最後に一袋入れました。からだのことを考えて作られたありがたい酵素玄米の粉末です。
友人知人、心を寄せてくれるたくさんの方々の思いが伝わりますよう、その気持ちを届けることも支援なのだと感じています。

OPEN JAPAN 災害支援

OPEN JAPANのベースに月のカレンダーを使ったOPEN JAPANへのドネーションコーナーを設けました。
カレンダーを手にしていただくとその金額の全額をOPEN JAPANの活動資金にすることにします。
できるときにできることを。
小さな一雫はやがて大きな流れへと注がれると信じて。


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今治タオルプロジェクト
 2024年1月10日(水)

本日の月とカヌーは別行動、私は今治タオルお届けするプロジェクト。昨日から自衛隊が設置してくれたお風呂に入れることになりました。そのタイミングで愛媛県今治市から今治タオルが支援物資として届けられることになり、そのアテンドをしたがってん率いる今治チームいでっちと京極さん、小豆島からきた小泉こいちゃんと一緒に今治タオルを配りに行きました。まずは今治タオルの支援について、ひーさーと一緒に市役所に行き、避難所へ出入りするための腕章をお借りしてから市長にご挨拶。

手分けして小規模避難所をまわりましたが、閉鎖されているところもあり、ニーズを拾うことにも根気がいります。先日炊き出しをした宇出津小学校へと伺いました。市役所で避難所の支援をしている方に出会った時に伺ったのですが、大きな避難所には支援物資がたくさんきていて飽和状態、配る人員も不足していて置きっぱなしになっているところもあるとのことでした。
先日お会いした小学校受付の方とお話しして、物資を置いていくのではなく、直接必要としている方に配らせて欲しいとお願いしました。
快くお返事していただき、いでっちと二人で今治タオルを配らせてもらいました。先日の炊き出しで顔を合わせた女性たちや中学生たちがすごく喜んでくれて、一緒におしゃべりしながらお渡しさせていただきました。

OPEN JAPAN 災害支援

夕方がってんチームと藤波運動公園に設置している自衛隊風呂で待ち合わせ、こちらでお風呂に入りに来た方々に今治タオルを配らせていただきました。
自衛隊の方に伺うと、昨日から始まったお風呂に、昨日は400人が入りに来たとのこと。災害発生後初めてのお風呂になる方々も多いです。今日も400人くらいが来られるでしょうとのことで、わたしたちが伺ったときにも長い列ができていました。女湯は1時間以上の待ち時間があり、それを聞いて帰る方々もいらっしゃいました。入れるのは13時から21時までの時間帯です。夜は冷えるので、待っているのは大変だと思います。そんな方々にも「明日使ってください。」とタオルを差し上げるとすごく喜んでくれました。未だ洗濯ができませんから、タオルはいくつかあったほうがいいのだと思います。ご家族の分やお隣りさんの分を欲しがる方々も多くみえました。

OPEN JAPAN 災害支援

タオルをたたんだりポップを書いたり配ったり、自衛隊の部隊の方とお話ししたり炊き出しとはことなるミッション、支援はあらゆる側面を見ていかなければなりません。
匠くんはバッテリーを調達する任務に珠洲市まで行きました。
お互いできることをできるだけ。

ベースに帰ってきてみんなと情報共有します。
長期組には疲れも見られますが、支援にくる仲間が増えてきたので士気も上がります。
ここのところ耳にするのが
「奇跡が起きている」 という言葉です。
欲しいと思っていたものが手に入る
会いたいと思っていた人に会える
これは被災地でいえば、必要な物資が手順を積まぬとも偶然手に入る
探していた人が連絡をする前に目の前に現れる
ということが言ったその数時間後に起こるというスピードで起きているとのこと。
どの被災地へ入っても思うのが、1日が数日間のようなスピードで過ぎていき
1週間が数ヶ月のことのように思えるということです。
わたしたちが日常感じている時間というものとは異なる時間の流れが確実に存在しています。

以上よし子
以下匠

今回の能登半島地震の被災地には、まだ電気も水も通っていない避難所があります。そこにソーラーパネルで充電できるポータブル電源を設置することを急ごうと、とーるさんとOJの仲間で自衛隊の物資倉庫である体育館にいきました。多くの若い自衛隊員が集まってきた様々な物資を届けるべきところへと絶え間なく動いています。
電気が来ていない避難所のいくつかは、道に亀裂が入っていたり崖崩れがあったりなどで、車で辿り着くことが難しいところもあります。発災後10日経った今がそのような状況です。

OPEN JAPAN 災害支援
(ソーラーパネルで充電できるポータブル電源の使い方と必要性を自衛隊に伝えるとーるさん。)

とーるさんはそのままいくつかの避難所をまわり、僕はその後、炊き出しを行う高齢者施設へ。入所されている方々は部屋から出られないため職員さんがお盆でみんなの食事を運んでくれます。その高齢者施設にはテレビがないとのこと。震災後ほとんどの時間をその施設で過ごしているご自身も被災された職員の方に聞くと、地震の後の毎日を一生懸命過ごしていると、それが日常のように感じてしまうのだけれど、時々施設を出て街に降りると「こっちが現実なんだ・・・」と感じるとのこと。

OPEN JAPAN 災害支援
(職員の方々も「元気が出ました!」と声をいただきました。)

復興という言葉をまだ使うイメージが湧いてこない、というのが現地にいて感じます。これからもっと寒くなるという季節のせいもあるのかもしれませんが、なんとか生き延びる、そのことだけをただただみんなで必死になってやっているような気がします。

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珠洲市へ
 2024年1月9日(火)

今日は珠洲市へ、避難所となっている飯田高校で炊き出し、400食の「元気鍋」を作ります。機材、材料、水、燃料をすべて持っていくので前日の夜は遅くまでチェックリストを作って段取りを頭の中に入れます。

午後イチで水を汲んで現地に向かいました。道には亀裂や段差があるところが多いので、気をつけながら車4台7人のチームです。

OPEN JAPAN 災害支援
(私有地を解放してくれている方がいてみんなが助かっている沢水の汲み場。)

テントを立てて準備をして野菜を切り始めていると別の避難所に避難している荘吉さんけいこさんご夫妻が来てくれました。荘吉さんけいこさんは四万十塾とーるくんの古くからの友人で、その縁でわたしたちも知り合い、ずいぶん前ですが家を訪れさせてもらったことがあります。久しぶりの再会、会うことができてとても嬉しかったです。
わたしたちが訪れたときに作っていた手作りの土の家は全壊してしまい、道も通れず行くこともできないとのこと。避難所生活での疲労もあり、行き先はまだ決まっていませんが早々に出る準備をしていると伺いました。

料理人でもある荘吉さんに元気鍋の味を決めてもらいました。
雨の降る中、みんなで作った「元気鍋」。「元気鍋」とは、阪神淡路大震災の時に作った汁物です。野菜いっぱいの暖かい汁物で元気を出していのちをつないでもらいたいとの思いから、東日本大震災のときも石巻で大きなお鍋で作りました。

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(400食の元気鍋を一回で料理できる「まかない君」という調理器具。)

作っているときに外出先から避難所に帰ってきた女性が、みんなが料理をしている姿を見て泣き崩れてしまいました。今回の災害は本当に大きな衝撃をもたらしており、慰めようにことばもありません。一緒に料理作りに誘ってみました。料理はいつもしているとのこと、笑顔が出てきてほっとしました。当たり前のように行っていた暮らしの中での営みがこんなにも大切なことだったのだと、ことばだけではできないコミュニケーションを感じます。
何百人もの方々がご苦労をしています。暖かい汁物がたったひとりの方のこころにでも寄り添うことができるのなら、大きな意味があるのだろうな、と思います。

OPEN JAPAN 災害支援
(部屋から出られない方への配食のことを考えなければとみんなで知恵を出し合います。)

珠洲でボランティアをしている仲間の団体にもお裾分けしました。被災地にこの人ありといっても過言ではないクロさんこと黒澤司さん。日本財団の災害支援を長く担当されていて、OPEN JAPANになる前のボランティア支援ベース絆では寝食をともにしながらみんなを率いてくれた頼もしい先輩です。現在はDRT JAPANとして、技術系ボランティアチームを率いています。

炊き出し終了後、クロさんのベースを訪れさせていただきました。日本財団佐渡さんゴローさんもご一緒で、東日本大震災以来の懐かしい顔が揃いました。

OPEN JAPAN 災害支援
(珠洲市に拠点を置く技術系アライアンス珠洲チームの仲間と一緒に。Photo Pauro)

友人の友人のお父様が住んでいるという大谷地区の状況を伺いました。電気がないので通信手段もなく連絡はつかない、行こうと思ったけれど雪で行けなかったなど、未だ安否確認ができていない方々がいらっしゃるエリアです。
危険なエリアや過酷な状況を切り開きながら活動してくれている技術系支援チーム、本当に命懸けの活動をしています。彼らがいるおかげで道が通れるようになったりと、復興の第一歩をになっています。

OPEN JAPANに集まる仲間たちの中にはお坊さんもいます。熊本地震のときに被災された経験から災害現場で支援を続けられている岩崎哲秀さん、長石龍光さん。他県からは議員をしている小泉さん、政治も宗教も超えて壊れたこの国を作り変えていくために本気で動いています。

災害支援現場で出会う方々は、どこの世界に行っても出会えないほど素敵な方ばかり。こちらが学ばせてもらうことだらけです。

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ベース
 2024年1月8日(月)

朝起きると一面銀世界。いよいよ寒さも極限に近づいてきました。車中泊から室内に移動できたのは昨夜、これも何かの計らいかと、ぎりぎり救われたような気がしました。雨風凌げるベースを見つけ昨夜移動しました。
朝8時30分、室内でのミーティング。みんなの疲れが出てきた頃なので、少しゆっくり目の朝にしようということになりました。

OPEN JAPAN 災害支援

午前中はベース作りです。駐車場から資材を運び、仕分け作業をしました。

午後は他団体の炊き出しの手伝いを頼まれたので、車2台4人でヘルプに行きました。炊き出し場所は避難所となっている小木高校、350食の夕食を作ります。被災地では他団体とも連携を取りながら協力し合って活動を行います。
過去の災害現場で何度も顔を合わせていると次第に信頼関係が生まれます。今回雪で人員が来られないとのことで、手伝いに行きました。何か一品作って欲しいとのことで、現場で火を使わずともできるものとして白菜大根人参のお漬物を作りました。

OPEN JAPAN 災害支援

通りがかる避難所の方々がすごく喜んでくれました。パンやカップラーメンが続いていると、お漬物のような普段食べていたあっさりした野菜が恋しくなるものです。福島と栃木の友人たちから預かった冬野菜を使わせてもらいました。白菜も人参も甘くて色もきれい。立ち寄って、「何が入っているの?色味が綺麗で美味しそう。お漬物食べたかったのよ!ありがとう!」と声をかけてくれました。

OPEN JAPAN 災害支援

今日お手伝いした団体はBOND&JUSTICE、通称ボンジャスさん。災害が起こると被災地で炊き出しをしている団体です 。

匠くんも来るはずだったのですが、雪道で車のトラブルが続出し、動けなくなった車両のレスキューに向かいました。常に臨機応変に動くこと、被災地では現場対応が求められます。
雪道で道の亀裂や穴の空いているところがわかりにくく、活動を制限せざるを得ないボランティアも出てきます。無理をするとボランティアのボランティアをすることになるので、必要以上の注意が求められます。

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ベースはみつかりましたが、水の出ない暮らしは続きます。トイレはありますが使えません。
匠くんがヒーサーとがってんに声をかけ、外に環境不可のないトイレを作ることを提案しました。山で暮らしていた時にわたしたちがやっていた方法と同じ、穴を放って埋める、あとは自然に還すだけ。これによってみんなのトイレ事情が解決。仮設トイレを借りるか水道を通すかなどの解決策はありますが、毎日のことですからまず今。

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炊き出し
 2024年1月7日(日)

朝は海沿いの駐車場で目が覚めました。私たちは昨日が移動日でほとんど眠れていなかったせいか、夜中にベースとして使っていたタープが風で飛ばされてポールが折れて・・・といった状況に気がつくことができませんでした。が、仲間たちが夜に起きて対処してくれていました。寝ても覚めても常に周りに気を張っているOPEN JAPANのメンバーです。

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今日は宇出津小学校へ炊き出しに行きました。昼は市役所前でやっていた炊き出しをデリバリーしてその場で温めてサーブをしました。暖かい食べ物がきたのは初めてだったとのこと、
「涙が出そう…。」とこの言葉にこちらが涙が出そうでした。

OPEN JAPAN 災害支援

夕食はその場で作ることにしました。15時頃にお米、野菜、調味料、お鍋とガスコンロを持って行き、校内で調理しました。わたしたちが作ってあげるというのではなく、そこにいる方々にもお手伝いをしてもらい、一緒に作るスタイルで始めます。中学生の男子3名が率先してお手伝いをしてくれました。それを見ている大人たちが横からサポートに入ります。切り方を教えてあげたり手順を教えてあげながらいつもの会話が始まったのか、冗談や笑いが出たりして楽しいクッキングとなりました。
「料理教室ですか?」
「夜ご飯の準備です。」
「うわぁ、作ってくれるの?ありがとう!」
お手伝いしている子どもたちもちょっとした責任感と新しいチャレンジで楽しそう。楽しそうな雰囲気が調理場となったロビーに漂います。校長先生もずっと近くで見守っていました。子どもたちの笑顔がみんなの笑顔につながります。おじいちゃんおばあちゃんもやってきてアドバイスをし始めました。だんだん人が集まってきました。炊き出しをその場で作るということから始まるコミュニケーション効果です。
「ごぼうはどうやって切るの?」
「お年寄りが多いから小さい方がいいですね、じゃあササガキにしましょう。」
今まで見たササガキの中で一番美しいササガキでした。そう告げると、「このくらいの年齢ならみんなできるわよ。」と。包丁を握るという日常をとりもどせるといいな、と思います。料理をしているときや食器を片付ける時間、そんな当たり前だった日常がはやく取り戻せますように。

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雪が降ってきました。
今日はがってんと3人で130食分のご飯を炊き、高野豆腐と小松菜の卵とじ、具沢山味噌汁を作りました。
水が出ない中で大鍋を洗うのは大変ですが、学校のプール傍に流れている山の水を貯めているものを使わせてもらいました。寒い中での作業。屈強なツワモノがいてくれてありがたいです。

夜は屋根のある場所でみんなでミーティング。暖かいというだけでみんなの心もほっとして今日は眠ることができそうです。

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能登町
 2024年1月6日(土)

午前2時、富山県で燃料を満タンにして能登へ向かいます。現地では燃料が手に入りにくいので入れられるところで給油しておく必要があります。午前3時過ぎに七尾市手前のコンビニで状況を伺い、TOYOTA通れたマップを見て通れる道を検索して進みました。通行できても亀裂が入っていたり段差ができてしまったり、片側が崩落していたりとかなり気をつけないと危険な道路状況です。朝5時半、まだ暗い中でも車の列が出来はじめました。前の車の後をついていくような感じで進みながら、世が明けてけくると見えてくる周りの状況に言葉を失います。

OPEN JAPAN 災害支援

朝8時30分、OPEN JAPANの仲間と合流。ちょうど炊き出しに行く準備をしているタイミング、急いで車から食材を出します。「うどん持ってる?乾麺ある?」ご支援いただいたものや持参したもの、うどんだけでは足りないのでそうめんもあわせてなんとか150食分くらいに間に合わせる量を見つけ出し、四万十塾のとーるくんたちは避難所へ炊き出しに向かいました。
わたしたちはしまなみ野外学校を主宰しているがってんの案内で自炊している避難所へと食材を届けに行きました。火と水が使えない状況下、外で炭を起こして煮炊きをしていました。野菜、調味料、お米をお渡ししているあいだに雷とひょうが落ちてきました。とても寒い中での避難生活となります。この冬をどう越えるか、家には帰れない状況下、これからのことをどう考えていけばいいのか、先の見えない中でわたしたちができることは何なのか、今だけ物資だけの支援でいいのか、支援に頼るだけでなく自分たちでやれるようにしていく流れをつくれるのかどうか、考えてもすぐに答えが出ないことがたくさんあります。

OPEN JAPAN 災害支援

福島と栃木の友人知人たちが集めてくれた野菜、調味料、お米はどれもとても思いのこもったものでした。メッセージを添えてくれたり、からだのことを考えた食材ばかり。天然醸造の調味料や手作りのマフィン、この1日の間に焼いてくれたのかと思うと、みんなが本当に自分たちのできることで現地の方々へ支援をしたいという思いやりと心遣いが伝わります。
支援しているボランティアたちへの心遣いも感じます。
支援物資を見た時のOPEN JAPANのみんなの笑顔がすごかったです。
「これ手作り味噌だ!オーガニック食材がいっぱい!これは喜ばれるからあの場所に届けよう!」
渡せる人のことを思い浮かべたり、いい食材で炊き出しをできることへの喜び、支援している側の心意気が感じられるものばかり。被災地では手に入ればなんでも、ということになりますが、災害前はわたしたちと同じ生活を送っていたのですから、いい素材のものや手作りのものがいただけるのだったら本当に嬉しいのです。小さなお子さんがいるご家族もいらっしゃいます。ご高齢の方も多いです。災害前は食事に気をつけていた方々が毎日おにぎりとパンとカップラーメン生活になってしまうのです。自分だったら、と考えてみると、今回集めてくれた支援物資に心からありがたさを感じます。

OPEN JAPAN 災害支援

午後には2箇所の避難所をまわり、支援物資をお届けしたりニーズを伺ったりしました。行ってみなければわからないことばかりです。電気も水道も使えない中、雪を溶かして使ったり火を焚いたり、自然界にあるものをいかに使うかという工夫をしていました。

夜に到着するチームもいます。車の渋滞や道路事情が悪いので時間の予測がつきにくく、暗い中雨が降っていても積んできた物資を下さなければならない状況にもなります。どんな状況にも臨機応変に対応できる能力が養われます。
今はみんな車中泊をしています。電気、水道なし、トイレなし。
今夜はかなり冷えました。明日には吹雪との予報という過酷な状況ですが、仲間と助けあいながらどんな状況にも真剣に対応しているOPEN JAPAN、かならず誰かが問題を解決していく鍵を持ってきます。

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OPEN JAPAN 災害支援
能登半島へ
 2024年1月5日(金)

新年最初の暦の発送をしたその足で地震の被害があった能登半島へ支援に向かいます。道中、縁のある仲間たちに声をかけ能登への支援物資を募らせていただきました。
カレンダーでつながる仲間たち、その仲間とつながる仲間たちへと思いは伝播していき、1日という短い時間の中にもかかわらず、たくさんの野菜やお米、調味料などのご支援をいただきました。

OPEN JAPAN 災害支援

月のカレンダーを扱ってくれている棚倉町にある天然酵母パンとお菓子のGET WELL SOONさん。石巻でボランティア活動をご一緒した猪苗代町にお住まいの小林竜也さんと「NPO法人猪苗代研究所」。

OPEN JAPAN 災害支援

今回お話会も開催してくれカレンダーの販売もしてくれている白河市にあるハナリンオフィスのハナリンさん。栃木県那須町で野菜を作っている那須野が原生き物ネットワーク「菌ちゃんファーム」の飯沼さん、そして大日向マルシェの仲間たち。

OPEN JAPAN 災害支援

有機野菜や天然醸造の調味料、お米、乾麺など、現地ですぐに炊き出しに使えるものをご支援していただきました。彼らの思いが伝わるようなからだにもこころにもやさしいものばかりです。

現地からの頼まれ物資などを探して購入、すべて積み終えて出発できたのは夜7時過ぎとなりました。夜中の高速道路はスムーズで午前2時に富山を通り最後のガソリンを入れ、朝3時半には七尾市まで辿り着くことができました。

YAHOO JAPAN ネット募金

YAHOO JAPANの ネット募金でも支援金の募集を開始しています。
現地に行くことはできないけれど支援をしたいという方、こちらのサイトからOPEN JAPANをご支援ください。



関連サイト : OPEN JAPAN 災害支援のWEBサイト  ・ YAHOO JAPAN ネット募金

OPEN JAPAN 災害支援
令和6年能登半島地震
 2024年1月3日(水)

最大震度7を観測した能登半島地震から今日で3日、一般社団法人OPEN JAPANのメンバーも現地入りして支援活動を開始しています。

OPEN JAPAN 災害支援

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現地に行くことはできないけれど支援をしたいという方、こちらのサイトからOPEN JAPANをご支援ください。

YAHOO JAPAN ネット募金

現在、わたしたちも現地へ行く準備をしています。それに伴い1月5日から10日間ほど、メールの返信や暦の発送が遅れる、またはできない可能性があります。 災害支援に行っておりますので、ご不便をおかけしますがご了承ください。

1月14日から予定している「暦と暮らす こよみのクラス」は予定通り開催いたします。現地の様子、支援活動内容など報告させていただければと思います。



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お正月
元旦
 2024年1月1日(月)

あけましておめでとうございます。
グレゴリオ暦の新しい年がはじまりました。
ひとりひとりの魂が人生を謳歌し、世界が平和に導かれますよう、誰もが健康で幸多き年となりますようお祈り申し上げます。
今年は辰年、1月のカレンダーの絵は竜宮城からはじまります。
タツノオトシゴやリュウグウノツカイも描いています。

お正月

伐採された山から敷地にかかるところまで歩いてみました。以前の景観を忘れてしまうほどに変化した様子をみると、人の手によって変えられた世界の縮図を見たような気持ちになります。変化はゆるやかに行われるものと破壊と再生によって急激にもたらされるものとがあります。
広くなった空には鳥たちが飛び、人も動物も環境に適応して生きるものだと思えばどの世界も自分たちで生きるところを決めるだけ、進む道を選択していくことができればどの世界にも生きる場所を見つけられます。
山の尾根はまるで龍の背骨のようです。降りていくと巨石が散らばり、苔むした倒木がその年月を教えてくれます。森の時間は独特の荘厳感を漂わせています。

お正月

空を見上げると月が出ていました。
明治5年までは太陰太陽暦(旧暦)を使っていましたので、元旦は常に新月でした。
「元旦に月が見えるなんてことはなかったんだ…。」
月が満ちて満月になると小正月を祝い、常に月の始まりは新月でした。月の満ち欠けが1ヶ月をあらわしていたので、七日や九日といえば半月、十五日といえば満月という日にちと月の相が同じであることによって、その月のもとで人々は暮らし、その月のもとで行事や儀式を行っていたことが伺われます。

太陰太陽暦の元旦はグレゴリオ暦では2月10日です。
月の満ち欠けのもとで、わたしたちはもう一度元旦を経験することができます。

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