月の手帳2020の誤植

お詫びと訂正・
旧上巳の節句 2020年3月26日(木)

月の手帳の月間ページに色のミスがありました。
4月1日(水)の1日が赤字で印刷されていますが、正しくは黒字です。エイプリルフールだからというわけではなく、こちらのミスです。赤字になっているため、もしかして休日か祝日かと勘違いさせてしまいましたらすみません、平日です。ご迷惑混乱を招いてしまった方々、謹んでお詫び申し上げます。黒字を赤字にすべきところと赤字を黒字にすべきところを間違えてしまい、手帳の月間ページをご覧の方々にはご迷惑おかけしてしまいました。本当にすみません。今後は色ミスのなきよう、しっかりと校正いたします。
詳しくは「月の手帳2020の誤植について」というページを設けましたのでこちらをご覧ください。

上巳の節句
弥生月の三日、旧暦上巳の節句です。
私が生まれたときに祖母が買ってくれたお雛様がありました。大人になってお雛様を飾ることはありませんでしたが、私が家を出てから母が女雛と男雛だけを毎年飾っていました。母は実家からの習慣で毎年旧暦に合わせていましたので、母の遺品からお雛様を見つけて初めてお雛様を飾りました。お内裏様とお雛様が父と母のようにも思えてきます。
先日の新月の日が四十九日でした。横浜へ行き、叔母と食事をして母を忍んで帰ってきました。今回で3度目の遺品整理、今回は母が育てていた植物を整理しました。

四十九日経つと故人はどうなるのでしょう。

死者と話せる人によれば、死者にとっては初七日も四十九日も何も変わらず、お経をあげても何の意味なのかは分からず何の供養になるのかも分からないとのこと。お墓にも入ったりしないそうです。
それでも四十九日、という節目を気にするのは、生きている側が故人に思いを馳せる日々へのリミットを設けることで、生きている人の心が死の世界から生の世界へ戻ってくることができるようにしているのかもしれません。供養と言われる数々の行いは、死者のためにと思って生きている人が納得するための行為なのかもしれないですね。
生きている人も人それぞれなのですから、死んでいる人も人それぞれであるはずで、死んだからといってみんなが同じ供養を求めるわけではない、と思えてきます。それぞれのかたちで故人を忍ぶことができれば、それがもっとも自然なかたちなのではないかな、と。

死んでしまっても親は子を育ててくれます。
「成長のステップ」とメッセージをいただき、その言葉を噛みしめています。

外作業

啓蟄
 2020年3月5日(木)

暖かくなってきたからそろそろ動き出そうって感じの啓蟄。よし子の母が立春の日に旅立ってから1ヶ月が経った。悲しみというのは何かをしたらとか時間が経ったらとかで癒えるものではないのだろう。悲しさが悲しくならないわけではないのだから。忘れるのかな・・・。
僕はというと、次々と目の前に現れることをこなしていっていたら今日になったといった感覚だ。中でもここ半月ほど時間を費やしていたのが、毎年作っているOPEN JAPANの報告書。全国にちらばる仲間たちと連絡を取りながら、作り上げる報告書なのだが、いろいろ一筋縄でいかないところが面白い(?)。
昨年の台風19号で被災した宮城県丸森町を中心に現在ベースを構えているOPEN JAPANの災害支援チーム。発災時より現地に滞在しながら活動を続けている仲間たちの気持ちを一人でも多くの人に少しでも伝えられたらと思って今回もデザインをしてみた。報告書といっても、昨年1年間の活動内容を報告するだけでなく、僕にとっては未来に繋がる扉をページの中に設置するようなイメージのもの。いつもこの報告書を作っている間は、いろいろなことが頭をめぐる。
さて、デスクワークばかりの日々が続いたが、報告書も仕上がりようやく外作業も開始。ユンボくんのエンジンをかける。今年は雪が少なかったせいもあり山の風景がちょっといつもと違う。辺りを見回すと手をかけたい箇所が多いこと。まずは家の近くからと、冬の間に気になっていた倒木の処理など久々に汗をかきながらの外作業だ。体を動かすのはいい。
2020年のスタートはいろいろあって気持ちがなかなか前に進まなかったけれど、僕の気持ちとは関係なくメープルは樹液を吸い上げるし、ワサビの花は咲く。山の中で生活をしていると、僕たちはただただ自然のリズムについていけば良いだけなのかもしれない・・・と思えてくる。

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