ミーティング2013年1月31日 (木)
石巻にて、会議。

13時、石巻のオープンジャパンのベースにて臨時総会を行いました。参加者13人、北海道、山形、富山、福島、長野、埼玉、東京、高知から集まり ました。まずそれぞれの活動の報告から。IBUKIプロジェクトは今後株式会社化していく方向で進めていくことになります。サンライスは昨年の 11月に戸別訪問を終え、その後徐々に終息へと向かいました。カーシェアリング協会は行政とも協力し合い今後も継続、スマイルシードは年間計画を提出し、街の復興に取り組んでいきます。アースデイ東京タワーは昨年麦を植えて石巻で地ビール大作戦を開始、仮設住宅の方々との交流をはかってきまし た。現在事務所は閉鎖し、活動は3月を持って休止予定。今後は個人的に東京でのイベントなどを通して情報発信していくことになります。まなみ組は雄勝の硯組合と一緒に被災地の状況を伝える活動をコーディネートしています。渡波の明神社は今年も5月5日のお祭りを開催、それまでに社の引き起こし作業を実施予定。また、3月11日の追悼行事も行い、今後も神社からの復興をやっていくとのことです。和歌山水害復興支援からの情報は、未だ泥だらけになった田んぼの田起こしが進んでいないため、地元の人たちとそこをどうしていくかを話し合っているとのこと。それぞれの活動はオープンジャパンという団体から枝分かれし、独自に活動しています。
今後オープンジャパンをどうしていくか、という話になりました。解散するか、継続するか。結果からすると継続ということになりました。次回の総会 は3月9日、翌日10日は長く炊き出しをしていた避難所となっていた湊中学校にて追悼行事、11日南境生活センターに集結。そんな流れになってい ます。
徹夜続きでデザインしたオープンジャパンの報告書が刷り上がりました。これからご縁ある方々のところへ徐々に発送していきます。  (よ)


関連サイト OPEN JAPAN

雪、雪2013年1月26〜30日
雪のはからめランド

西の旅から戻り、次の準備をして東北へと向かいます。
関東でも交通パニックを起こすほどの積雪日から数日が経ち、しばらく空けている福島のはからめランドはどうなっているのか気がかりです。テントなので雪が降ったらつぶされてしまう可能性があるため、雪下ろしに行かなければと日に日に焦っています。
帰路途中群馬に寄りました。親戚のお墓参りに行き、そこから車で一時間弱、高崎市役所の21階展望ロビーに展示されている上杉画伯の絵を見に行きました。広島、石巻、高崎。作者の旅した軌跡とともに、絵と一体になる眼下に広がる高崎の街がとても身近に感じられました。その後画伯宅を訪れ、 上杉ご夫妻との話題は宇宙から魂論へと広がり、楽しい時間を過ごさせていただきました。おいしいおもてなしに、身も心も癒されたひととき、ありが とうございました。
那珂川経由ではからめランドに戻りました。一面銀世界、美しい…と言う前に、車が入れるかぎりぎりのところでした。途中何度も切り返し、ユンボを取ってくるか否か悩みながらも、なんとかはからめ号で到着できました。気になるテントはというと、「よかった!形が残ってる!」屋根のタープの垂木が折れてテントに突き刺さりそうになっていた箇所が2つ、あとはほぼ無事でした。日が暮れて来たので雪下ろしは明日にして、今夜は応急処置でテントに入りました。気温ー6℃。雪があるから暖かいのかもしれません。
29日、朝のテント内ー10℃。汲んできた水も凍っています。ストーブに火を入れ、暖をとってから今日は二人で雪下ろし大会。これまでここで経験した中で一番の積雪量でした。
30日、手帳作業。突然のゲストに驚きながらも(この雪の中よくたどり着いたこと!)テントの中で手帳をちくちく、いただいたヤーコン茶を飲みながらたくさん話をしました。疲れていた体調も回復、次は石巻へと向かいます。 (よ)

製材、舟になる木2013年1月10〜20日
瀬戸内海をグルッと。

今年、瀬戸内海の島々や港で瀬戸内国際芸術祭という3年に一度のフェスティバルが行われる。春、夏、秋と3回に分かれて開催されるうち、夏のフェスティバルに参加することになった。期間中に和船を作るというプロジェクトでの参加だ。メインで動いてくれているのは数年前、一緒にカヌーを作った俣野さん、そしてアメリカに行ったときにもお世話になっている和船オタクのダグラス・ブルックスさん、アンド僕たちだ。
今回はその和船の材料となる木を切り倒すべく徳島県の平谷というところに足を運んだ。12日(新月)の朝、現場にたどり着くと、地元の山師さん達がすでに目当ての材を出しやすくするために他の木を切ってくれていた。山師さんがチェーンソウで切り込みを入れ、楔(くさび)を打ち込むと、大木がミシミシと音を立てる。茂った葉っぱがスアーっと風を切りながら倒れる。6m半に切ったあと、トラックに乗せて製材所へと運ばれる。運ばれていく木の後姿に”船になる旅の始まりだね”と声をかけた。しかし節があると使えないため、明日、製材して中を見てみるまではドキドキが続く。
風しもの村、神野さんのお店SOH SOHで 翌日朝、製材所へ向い、早速丸太を板状に製材する。結果、節が少ない良い目での製材ができたのでちょっと安心。
さて12日は新月だったのだが、実は小犯土(こつち)の入りの日(最初の日)でもあった。新月に伐採した木は、腐りにくく長持ちすると言われている。しかし、大犯土や小犯土に木を切ると虫が入りやすく腐りやすいとも言われている。今回山師さんが話してくれたのは寒切り(かんぎり)と土用切りという考え方だ。寒切りは寒いこの時期に切るのを良しとした考えで、土用切りというのは、その名の通り土用の期間に切るのを良しとする考え方だ。それぞれ検証してみると、木が水分を吸い上げているときに切ると良いと言う考えと、木が水を吐き出しているときに切るのが良いという両極端の考えがあることが分かる。その理由は皮にあるのだと僕は思っている。水を吸い上げている木の方が皮を剥きやすいので、切った後すぐに皮をはぐような作業が出来る場合はその時期を選ぶべきである。逆に葉がらしといって木の皮や、葉っぱをつけたまま山で乾かすといった場合、皮の間に虫が入るのを防ぐために水分ができるだけ無い方が良いというわけだ。それと木の皮についてもうひとつ、現在では木の皮は邪魔なだけで捨てるのも一苦労なのだけれど、この皮を綺麗にはがして使うという文化が日本にはある。屋根の下などに敷いたり、直接屋根材として使う場合もある。この皮を畳みたいに綺麗に採取するために時期を選ぶといったことももちろん考えられることである。他、杉の特徴と、ヒノキの特徴が違ったり、木の事を考えるのは非常に奥深いものだ。
白馬堂、姫路城その後僕達は、20日に横浜にたどり着くまで瀬戸内海を陸路で一周して、途中途中色々な居酒屋に入り土地の匂いを感じながらの旅をした。愛媛県松山では、石巻で現在進行中の古民家再生IBUKIプロジェクトのミーティングを、お馴染みの助さんとIBUKIプロジェクト代表の神野さんが営む驚くほど素敵なお店「SOH SOH」で行い、道後温泉とか入ったり。岡山県笠岡では、薬効染めのアルデバランさんが開催した展覧会のお手伝い。チェルノブイリ原発事故の後、ベラルーシに住むサマショール(ロシア語でわがままな人たちという意味。放射線量が高い地域なので立ち入り禁止区域に指定された村から移住しろといわれても、その土地で暮らすことを選択した人たちのことをこう呼ぶ)の方々を描いた貝原浩さんの原画展「風しもの村」の設営を手伝った。讃岐も通ったけれどこの日のお昼に笠岡で食べたうどんがこの旅で一番美味しかった、といったら香川出身の人が怒るかな。姫路城が絵なのがびっくりしたけれど、絵の中に入れて感動。ぜひ完成してしまう前に足を運んで見て欲しい。改修の様子や天守閣が外から目の前で見られる。神戸、大阪では白馬堂あさやんとオーガニッククロッシングのでぐっちゃん他、仲間と久々に再会。琵琶湖のほとり大津では、僕たちのカレンダーを長く扱ってくれている「ビオチェド」さんを初めて訪ねる事ができた。
tuttycafe、ビオチェド 名古屋でモーニングを食べて(小倉トーストは食べなかったけれど)、久々の伊豆修善寺のtuttycafeへ。男の子×2のパワーで自分のエネルギー出し切って、男の子×2の可愛さで充電完了。横浜に着いたら、カレンダー・手帳を待っている人がいるので、チクチク作業開始。
旅の途中、いままでぼんやりしていた色々な物事がだんだんとはっきり見えてきていることを感じた。ちょっと角度を変えて見てみたら、そんなに大した事じゃなかったり、意味のある時間が目の前で僕を待っていたり。この後は、福島、月末には石巻。今は福島にいる時間が短いのが辛いところだけれど、今年は一気に福島に時間を費やしていこうと思っている。早めに冬眠から目覚めたいところだ。 (匠)


関連サイト: 瀬戸内国際芸術祭2013 ・ SOH SOH -草草- ・ あるでばらん ・ 貝原浩「風しもの村」
 姫路城「天空の白鷺」 ・ 白馬堂 ・ オーガニッククロッシング ・ ビオチェド ・ トゥッティカフェ(tuttycafe)

おせち、遠くの山が見えるところまで歩いた。2013年1月1〜8日
あけましておめでとう

あけましておめでとう。と書いているのは1月8日。春の七草も食べ終わってしまった後だ。
僕達のカレンダーでは「師走」というと旧暦の十二月を表している。グレゴリオ暦の12月は「12月」であり「December」である。今年でいうと師走は1月12日から始まり2月9日まで。そして2月10日に正月(旧正月)を迎えることとなる。
なぜ正月早々に「師走」の話からはじめるのかというと、自分自身がただただ忙しく、12月が終わった今、忙しい理由を旧暦の師走のセイにしようかと思っても、まだ旧暦で霜月(十一月)で、なんだか僕の味方がいなくなっちゃったような・・・。そんな暦のセイにしようとしている自分がずるい人間だなぁって自分で思って、ますます味方がいなくなっちゃったような、そんな寂しい時間を瞬間過ごしたり、でもずーっとじゃないからまだいいか・・・・なんて思ったり。そんなお正月を過ごしていた。
ここ数年、年末にはどんな状態でカレンダーや手帳を作ったりしているかが、なんとなく想像できるようになってきた。年末に色々な物事が詰まってしまわないようにその前にできることは先手先手でやっていく。そんな年にしたいと思っている。って書いたり思ったりしながら、沢山の宿題を抱えた夏休み前の子ども達みたいだなぁって・・・・。こんな事から思うことは、1度限りの今回の人生、生まれ変わりがあったとしたって今回の人生は1度限りだから、そう、誰が何を言おうとハッキリしているのは、そのことと、いま自分の心臓が動いている事だけなんじゃないかなって。そして今、僕は時間という大きなテーブルの端っこに立って、テーブルの中心の方を向いている。右に1歩進んで、もう1回右に1歩進んだら、テーブルから落ちちゃう。今まで何をしてきたかという事は、目の前のテーブルには書いていないし、テーブルの上には、何も乗っかっていない。歩き方次第でテーブルの中心にも行けるし、落ちるか落ちないかのぎりぎりをずーっと歩き続ける事もできる。ただ、重要なのはどこに向って歩き出すかという事だけ。テーブルの中心は盛り上がっていて1人しか立てないくらいのスペースしかないと想像する人もいるけれど、僕の目の前にあるテーブルはそんな事なくて、ただそこを目指せば歩いて行ける他と変わらないフラットな場所。
2013年、僕のはじめの1歩は、遅れていてまだ踏み出していない。みんなはどこへ向って踏み出したのだろうか、また踏み出すのだろうか。では、ことよろ。  (匠)

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