30日の夕ご飯、お正月のお飾り2011年12月31日 (土)
大晦日

2012年12月31日はからめランド。年内の暦製作作業を終えて、1年の最後1日。昨日まで動き動き動き回った、今日くらい休んで良いよな・・・・・とニコッとして・・・・・と伸びきって枯れている草たちを刈る。
ここにこんな建物を建てて、あそこにはあんなのがあってと考えていたイメージが、今年一気にぶっ飛んだ。ぶっ飛んだついでに放射能の雨。それを吸った草達がぐんぐん伸びて、平らにした土地を覆う。草ボウボウの場所を見ても素敵なイメージは浮かばない。
だから僕はやっと作れた時間に草刈りをした。お隣さんはエンジン音を聞いて何も大晦日に草刈りしなくても・・・・・と思っているだろう。草刈りをしながら僕は、「イメージできない事」ってのが何よりも恐ろしいと本気で思った。何をするんでも最初に必要なのがイメージであると思っている。あれがしたい、あそこに行こう、あれが欲しい、これを作ろう。何を見るかによってイメージの力が変化する。目の前にある目を通して見えるものをイメージと呼ぶのならば、「何をイメージするかによって次のイメージが変わってくる。」という事だろう。同じ場所でも綺麗な時と、草ボウボウの時ではイメージするものも変わってくるに違いない。だから僕は目の前のイメージを好きなように変えて、そこから次のイメージをしてみる。イメージしたものは必ず形にする事ができるのだと思い続けている。
ほんの小さなイメージを短時間で大きなイメージに変える高速増殖炉が僕の体の中にあると信じている。ただ電気を生み出すだけの機械のために、とんでもない数の人たちが苦しい思いをし続けているという現状の世界。2012年はイメージするだけでなくそれを形にしていかなければと、311の地震で温泉が止まってしまい水道水を沸かしている温泉施設のお風呂の中で思っている。
2011年、沢山の素敵な人たちと時間を過ごせてよかったと思う。みんな来年もよろしくね〜。  (匠)

出店の様子、トークの様子2011年12月23、24日
はっぴーあいらんどフェスティバル

早朝6時、ダブルスギさんに見送られながら福島に出発しました。今日明日と、「はっぴーあいらんどフェスティバル」というイベントが郡山市で開催されます。ふくしまの人を励ましたり、放射能の話をしたり、情報交換しあったり、という場になると思います。わたしたちが福島に帰ると立ち寄る穀物菜食レストラン「銀河のほとり」さんのご縁で、今回カレンダー出店させていただくことにしました。絆からはけいちゃん、ふくしま元気村スタッフミユキング、東京からもえもえも足を運んでくれました。
大きな会場、ステージでは常にライブや演舞が繰り広げられ、県外から応援に来たアーティストがふくしまの人たちを励ましたり、地元の人が熱唱したりと熱気あふれていました。
田中優さん(APバンク、未来バンク)、司会のてんつくマン(NPOメイクザヘブン、めぐみジャパン)、いしだ一成さん(俳優、ミュージシャン)、山本太郎さん(俳優)のトークタイムでは、放射能の除染についてや、情報をたくさんの人に伝えるためにはどうすればいいかなどを話しあい、みな真剣に聞いていました。
田中優さんが、火山の岩石が電磁波を吸収し、赤外線(熱)として放出するため、放射線量の高いところに撒くと数値が下がったという話をしていました。これまで「EM菌」「ゼオライト」などを撒いてみましたが効果がなかったので、次は溶岩を手に入れて実験してみたいです。あとから聞いた話しですが、溶岩だったらなんでもよい訳ではなく、黒曜石がよいとか。ただ、まだ実験段階の話だと思います。
マイケルと一緒に、須賀ジャズダンススタジオの皆さん「原発は津波の影響で爆発したのではなく、地震で爆発したのであって、福島原発は止めたけれど、日本中どこで地震が起こってもおかしくないこの状況では、日本中の原発を止めなければ危険、」との警告を今すぐにNHKや民放、インターネットやラジオすべてでみんなに伝えなければ、第二のふくしまをつくってしまうことになります。「私たちはインターネット、ユーストリームという新しいメディアを持った。このメディアを使ってたくさんの人に伝えることができる。」「原発に興味の無い人たちを引きつけるため、音楽の力やミュージシャン、タレントの力を使うべき。」タレントさんを招いてのトーク、確かに広く伝えるためには影響力が必要です。

出店ブースではふくしまの野菜、お米、そしてお惣菜のコーナー、「銀河のほとり」からコーヒー、お茶、県外から書籍や雑貨の販売、情報コーナーでは疎開、受け入れ情報のチラシの配布がありました。その他オーラソーマやマッサージなどの癒し系などが連なり、快医学という民間療法のコーナーもありました。銀河の克子さんのおすすめで快医学を受けさせてもらいました。結果からいうと、「腎臓にセシウムが溜まっている。」とのことで、スギナ茶を処方してもらいました。ただ何よりも、「休んでください。」それが一番必要だとか。

ステージでのアピール、パフォーマンスはふくしまの中でがんばっている人を励ますものばかり。勇気づけられた人たちもたくさんいたことでしょう。

2日目フィナーレ、1日目フィナーレ今わたしが感じたこと、ふくしまの中でがんばっている人たちを励ます事は必要なことかもしれませんが、あまり応援するともっともっとがんばってしまうのではないかと心配です。放射能は知れば知るほど、戦うものではなく、共存するかどうかも考え物、よくわからないからこそやみくもに関わらない方がいいのではないかと思います。
はからめランドにいても、ガイガーカウンターを気にしながらの生活、呼吸する事でさえ気がかりです。腎臓にセシウムが溜まっているといわれても、お茶を飲んで排出するしか方法がありません。多くのふくしま県民がこのような不安を抱えながら毎日を送っていると思うと、もうふくしまでがんばらせないで、遠くに避難、移住、疎開した方がいいのではないかと思います。
交流会で田中優さんが「いたずらに福島に入らないほうがいい。」と言っていました。母子だけでなく、若い(若くなくても)人も、放射能の低いところへ移動した方がいいです。そのためにはどうすればいいのか、一緒に考えてください。 (よ)

続いて一緒に参加してくれた絆のメンバーけいちゃんからのレポートです。

12月24、25日に福島の郡山で行われたハッピーアイランドフェスティバルに行ってきました。全国各地から福島を思う人々が集まりました。
今回感じたことは2つ。ひとつは今福島に住む選択をしている人々がたくさんいるということです。県外に出ずに福島にいるということは1人1人理由が違うと思います。でも福島が好きなのです。ここで生きていきたいのです。福島の方々と話や、イベントが終わった後の福島の方々の表情からもそう感じました。
もうひとつはダンスの力を感じたということです。特に印象的だったのは、SUGAジャズダンススタジオ、福島の遊舞炎舞です。無関心、無気力、無感動をなくし良い社会を作っていくということがモットーと言っていました。とってもパワーがありエネルギーを感じました。何かに熱中するということはとても大切だと思います。迷いの中にいる福島に住む方々にとってもその役割はとても大きいのではないかと思います。
今回、交流会にも参加させてもらい、ブースにもお邪魔させてもらったおかげで様々な繋がりがこの場でできました。これからの活動にこの繋がりを生かしていけたらと思います。 (けいこ)


関連サイト:はっぴーあいらんどフェスティバル ・ 石巻ボランティア支援ベース絆

朝の石巻、片付け名人アノさんの後ろすがt2011年12月22日
石巻、雪景色。

昨夜から本降りとなった雪で真っ白となった石巻。日が昇るとともに雪は融けていきましたが、寒さは変わらず残っています。朝のミーティング参加者10名、今日来た人、今日去る人おらず、みな知ったメンバーで活動しています。
主な活動は「サンライス元気村」仮設をまわってお米をお届け、車を失った人のための「カーシェアリング」、事務所での報告書印刷、封入、発送業務、コミュニティカフェコーナーの床張り大工作業などなど。助さん、ケンくんは金華山へ出張しています。
書類申請に市役所に行ったり、大工材料を購入しにホームセンターに走ったり、みな忙しくしています。事務所の電話もなるし、集荷や宅急便の届け物もあるので留守番も必要です。昨夜は女子部屋でひとり悠々と眠りました。気づけば今回事務所から外に出ていません。みんなの食事をつくったり、キッチンでひとりもくもくと過ごす時間もあり、これまでとは違った感じです。
さて、今いるメンバーでひときわおもしろい方がアノさんです。アノさんは神戸、中越と、個人ボランティア歴の長いエキスパート。どうやらお片づけが得意な様子です。はじめのうちは様子を伺いながら、3日目となると本格的にお片づけがスタート。この人の少ないうちに、特技を最大限に生かしていただけるように完全おまかせコースでみんな見守っています。 (よ)


関連サイト:石巻ボランティア支援ベース絆

みんなの報告書会議、米ニティカフェ作り2011年12月20〜21日
石巻、ボランティア支援ベース。

20日に予定していた「古民家再生IBUKIプロジェクト」のミーティングは延期になり、急遽金華山支援プロジェクトが起動しました。ベースに到着すると、「今日はベースに誰もいなくなるから、事務作業、留守番をお願いしたい。」とのことで、絆ベースで作業をすることに。ちょうどケイちゃんがいたので、ふくしま元気村プロジェクトの話をしたり、みんなの食事を作ったりしました。夕食のメニューはサンマみりん焼き、揚げ出し豆腐、キャベツのスパイス炒め、差し入れ明太子、カブのお味噌汁に玄米&雑穀米。しっかりご飯を食べて、こころとからだを癒して作業にのぞんでほしいと思います。報告書の増刷、印刷、封入作業も床一面に広がっており、やることは山盛りの様子。寒さも厳しく、みんな助け合っていかないと心も寒くなる季節です。
エントランスのスペースを米ニティカフェというコミュニティカフェスペースにすることになりました。なかなか着工できずにいたのですが、匠がいるタイミングで施行することに。まず材を購入し床をはり、そして絨毯を敷くところまでやっていこうと思います。みんなが暖まってお茶を飲みながら、サンライスのお手伝いもしつつコミュニケーションをとれる場所、まずはそんなイメージからスタートしたいと思います。 (よ)

21日昼、専修大にて「みんなの報告書」会議。石巻に集まったボランティア、それぞれの報告書ではなくてみんなの報告書を作ろうという試み。3月11日に形にするために、これからみんなでがんばる。本日は、起床、ミーティング、床張り、報告書会議、メール、暦製作、就寝な感じ。 (匠)


関連サイト:石巻ボランティア支援ベース絆

はからめランド2011年12月19〜20日
はからめランド。

19日、役場で手続きなどをすませ、久しぶりの我が家(我がテント)はからめランドに到着。雪がちらほらと残っています。葉が落ちて、森の様子がよくわかるようになりました。
「今この時期に木を切りたいなあ。」「年末年始にでも作業しようよ。」
テントの中でストーブを焚き、作ってきたお弁当を食べながら冷えきった手足を暖めます。土が凍てついており、もう地面を掘れる状態ではなくなってしましました。ガイガーカウンターで放射能の数値をはかります。空気中0.14マイクロシーベルト、土の上0.21マイクロシーベルト。残念ながら、放射能はそうそうなくなるものではないようです。
明日は早朝出発のため、荷物は運び入れずにほとんど最低限のもので調理をし、久しぶりに睡眠をとりました。
20日、 朝の室温ー10℃。寒いです。いつもならストーブに火を入れるところですが、時間を節約するため、このまま石巻に出発することにしました。昨夜作っておいたお弁当を持って、カセットガスでコーヒーだけいれてレッツゴー。また朝の清々しいドライブの始まりです。北上するにつれて吹雪いていく道路、3件もの事故を見ました。どれも大事ではなさそうですが、雪道ドライブ、注意が必要です。もちろんタイヤもスタッドレスにはきかえ、オイル交換、ライトの取替えなど、車のメンテナンスをしてきたので、あとは気をつけて安全運転で進むのみです。 (よ)


関連サイト:石巻ボランティア支援ベース絆

シンヤくんと。2011年12月19日 (月)
偶然。

石巻へ行く前に福島のはからめランドに寄ることにしました。カヌーを積み替えて、23日の郡山で行われるハッピーアイランドフェスティバルの準備をします。横浜を夜中出発の予定でしたが作業が終わらず、早朝出発にすることにしました。「朝の方が朝日を浴びれて気持ちいいよね。」と、睡眠不足ではありますが、清々しい気持ちで高速を走っているときに、「ん?あのキャリアは…。」「あ、カヌーのステッカー張ってる。」「誰だろう?!」追い越し車線で並び、隣を見ると、「シンヤくんだ!」窓を開けて手をふります。もちろんシンヤくんもカヌーを摘んだハイエースが気になっていたはずです。手で合図して次のパーキングで止まることに。「震災直後はよくこういう偶然おきていたよね。」
仕事で次の出口で高速を降りるところだったそうで、このタイミングのよさにびっくり。「毎日災害地に行っているみんなのことが気になっていたんだ。」「会えてよかったね。」シンヤくんもシンヤくんの弟も、友だちのテツくんも、みんな子どもが生まれて子育てに時間を費やしているそうです。ちょうど持っていた報告書と、できあがった月のカレンダーを渡して、「よいお年を〜!」
今年はクリスマスパーティも、忘年会もナシで動き続けているので、こうやって一年の締めくくりに人と会えるのは神さまからのプレゼント、ひょっとしてサンタさんからのプレゼントだったのかもしれません。 (よ)


関連サイト:カナディアンカヌー.jp石巻ボランティア支援ベース絆

ライブ後、そら2011年12月11
清史祭り

午前中に石巻ベースを出発し、夕方さいたま市のHeaven's Rockというライブハウスに到着。Rock'n Rollの流れる会場にて、絆とはからめのブース出店をさせていただきました。お声をかけてくださったのは清史さん。釧路とうろの宿のオーナーでカヌーイストでもある清史さんは、そのもっと前はレッドウォリアーズというバンドのベーシスト。演奏もさることながら、トークもとても面白かったです。「すごい!スターだね、清史さん!」ステージの上で輝いている清史さんを見て、カヌー仲間たちが集ってスターの姿に感動していました。ステージの上でボランティアベース絆の活動を紹介してくれ、ファンのみなさんが絆ステッカーやはからめカレンダーを購入してくれました。清史さんはひとりひとりにサインをしてあげていました。こうやって支えてくださる方々のおかげで、今日も明日も元気に動くことができます。
おいでくださったレッドウォリーアーズ、プノンペンのファンのみなさま、清史さんファンのみなさまのところに、絆の報告書が折りこまれ、「みんな捨てないで、家に帰ってよく読んでね!」とのスターの言葉で、今頃みなさま熟読してくださっていることと思います。震災から9ヶ月が経ち、町の復興とともに忘れ去られてしまいそうな津波、放射能の被害。まだまだこれからやること、やれることがたくさんあります。気にかけて、思い出していただけるよう、日々わたしたちは発信し続けます。
いつもボランティアベースと現場しかみられなかった環境から、夜のライブハウスというギラギラした世界(といっても年齢層高くてみなさん礼儀正しい方々ばかり)に身をおけて楽しかったです。シャケさんが、「これいいね、清史祭り、また来年もやろうよ。」と話していたので、次回は絆ボランティアもライブで盛り上がりましょう。 (よ)


関連サイト 小川清史さんのブログ「大湿原の小さな町から北の大地で思ふことblog」 ・ 石巻ボランティア支援ベース絆

皆既月食、にぎやかな絆ベース2011年12月10日 (土)
月食

朝6時、うっすらと夜が明けはじめます。旧北上川沿いには、犬の散歩、鴨にえさをやる人、ランニングしている人など、日常のひとこまが見られます。雪が降っていましたが、日が昇り始めると同時に青空になりました。
朝7時30分、絆ベースの朝のミーティングをはじめます。これまで7時からだったミーティング時間を冬時間の7時30分からにしました。本日のミーティング参加者29名。他、モデルチーム21名、50名以上が絆ベースで活動しています。主な活動は仮設支援として「サンライス元気村」「カーシェアリング」、継続事項として「写真プロジェクト」、牡鹿半島大原で始動し始めた「古民家再生IBUKIプロジェクト」(次回12月20日13時@大原)、その他事務局業務が山盛りです。ボランティア支援として、差し入れをしてくださるご近所さんにはありがたい限りです。
12月、誰もがあわただしくなるこの季節、日々たくさんのボランティアさんが出入りする事務所の中の片付けだけでもひと仕事。少ない人数のときにはひとりひとりができることも、集団となると謀殺されてしまうことが多々あります。貴重なミーティングの時間に、玄関の靴を揃える、スリッパを揃える、使った食器は洗った後ふいてもとあった場所まで戻す、作ってくれた食事の後片付けをする、など、基本的なことを説明するようになりました。でも結局自分はできているけれど、誰かがやっていないんだ的な発想で何も変わらないので、そこにいて手の空いていそうな人を指名して、5分間のお片づけボランティアをしてもらっています。もしベースでわたしに声をかけられたら、自分の徳があがると思って、絆ベースを気持ちよく保つお手伝いに協力してください。
本日23:36分、満月ちょうどの時間です。21:45〜25:18分までは皆既月食となります。わたしたちが気にしていること、それは次の震災が満月近くに起きるんじゃないかとの見解を伝えられていることです。津波の注意、避難路の確保、それぞれ心して今日も現場で作業しています。 (よ)


関連サイト:石巻ボランティア支援ベース絆

古民家屋根裏から出てきたもの2011年12月8〜9
古民家再生IBUKIプロジェクト

8日夕方から牡鹿半島大原の集会所で、古民家再生IBUKIプロジェクトの合宿ミーティングを行い、大原の石森区長さんはじめ、地元の方々と関わるボランティアたちの顔会わせ会を開催しました。大原のことを取りまとめてくれている助さん船頭のもと、大工チームバブさん率いるグラビティフリー、そして松山から神野さんが地元の方々と交流を深め、今後このプロジェクトを通して大原の地域が活性化していくような展開を話し合いました。神戸からきてくれたふれあいチームも参加してくれ、地元たいらさんが用意してくれた牡蠣をいただきながら、楽しい時間を過ごしました。
9日、歴史資料研究をしている東北大学の佐藤さんに来ていただき、古民家を調査していただきました。昭和12年に建築された建物で、程度もよく、ここが再生されることで地域の重要な資料として生かせるとの気持ちを持ちました。今後このプロジェクトで資金を集め、大工チームに作業着工をしてもらい、みんなで大原の古民家再生をサポートし、地元の幸を使ったおいしい食事を提供できる場としてオープンさせていく予定です。(よ)


関連サイト 石巻ボランティア支援ベース絆

にこまるクッキー作り2011年12月8
にこまるクッキープロジェクト

石巻の駅近くで雑貨さろんを営んでいた「もも」さん復興のお手伝いとして、一般社団法人チームむかごさん主宰でつくっている「にこまるクッキープロジェクト」のサポートをしてきました。むかごさんの事務所は東京にあるため、頻繁に石巻には来られないとのこと。石巻で活動しているボランティアに協力してほしいと相談を受けたのが7月、プロジェクトをはじめたのが8月でした。試行錯誤しながら何度もやりとりをしていく中で、やはり距離というのはコミュニケーションをとっていく上で難しい問題が生まれてくることを痛感しました。そういうやりとりを経た上で、またさらに向上していこうという強い意思や熱意により、距離はぐっと縮まるものであるということも。小さいながらもその橋渡しをしてくれたボランティアのみなさん、どうもありがとうございました。わずか数ヶ月の間にもたくさんのドラマが生まれました。震災前と同じスタイルでカフェとしてお店を再開する方向から、それぞれの特性を生かして手仕事によるコミュニティづくりと新たなカフェの可能性へと自然と流れができてきたのは、このプロジェクトに関わるみなさんの努力のたまものだと思います。
にこまるクッキーは「もも」さんと「むかごさん」の間で今後も継続していくことになり、わたしたちボランティアはそのサポートと、手仕事を必要としている人たちへの支援へと活動を飛躍させていくことにしました。こうやって1歩ずつ、個人が、仲間が、店舗が、町が活性化し、石巻が復興していくためのお手伝いを今後とも継続していきたいと思います。 (よ)


関連サイト:チームむかご ・ 石巻ボランティア支援ベース絆

神戸お話、スターンのお話2011年12月6〜7
大雪、神戸より。

再び石巻より。
雪が激しくもなる頃、二十四節気の大雪(たいせつ)です。今日は雪は降っていませんが、とても寒いです。仮設住宅にお住まいの方々はどんな日々を過ごしているのか、気になるところです。
助さんのつながりで神戸より3名、絆ベースに来ていただきました。阪神淡路大震災のときの仮設住宅の自治会長をされていた大西さんから、当時の仮設住宅で出てきた様々な問題とその対応を聞きました。お年寄りに毎月お米を配っていた「サンライス神戸」の話をしてくれて、そのアドバイスや効果を聞かせてもらいました。絆でも「サンライス元気村」という名前でこの活動を始めましたので、現場の声はとても参考になります。
鶴岡からスターンこと草島さんが県会議員の仕事の合間をぬって、話をしに来てくれました。草島さんは阪神淡路大震災のときに鶴岡からボランティアとしてかけつけ、3日のつもりが半年以上、神戸で活動していた方です。当時ニュースで放映された「サンライス神戸」のときの映像を交えながら、石巻で始まった「サンライス元気村」の進め方などをアドバイスしてくれました。 まもなくクリスマス、お正月。町がにぎやかになると同時に、寒さと淋しさを感じる季節でもあります。 (よ)


関連サイト:草島進一の「持続可能な鶴岡」日記 ・ 石巻ボランティア支援ベース絆

測定器、銀河でランチ2011年12月5
銀河のほとり

朝8時、お茶屋さんに見送られ、元気村を出発。須賀川経由で移動することにしました。須賀川には「銀河のほとり」という穀物菜食レストランがあります。 震災後、こちらが福島の支援拠点になっていました。情報や物資だけでなく、放射能対策レシピの食事を伝え、福島の中で生活をしている人たちを支え続けています。みんなでこちらのお店により、店主克子さんのお話を伺っておいしい昼食をいただきました。
毎回伺う度にいろいろなものが紹介されるのですが、ついに 銀河のほとりに放射能測定器がやってきました。放射能を計りたい野菜などを1kg、機械に入れて測定します。正直な結果が出ますからショックもありますが、市民の間で真実を知れるのですから、とても重要な役割を果たします。ここで見て聞いて感じたことを胸に、今自分が何ができるか、何がしたいかを宿題に、わたしたちはそれぞれ次の場所へと出発しました。 (よ)


関連サイト:銀河のほとり

芋煮つくり、ヒメマスの塩焼き2011年12月4
ふくしま子ども元気村3日目。

今回も大活躍のあんこ大先生からのレポートです。

前日の夜からの雨が降り続いて始まった最終日。雨の気配も感じさせずに遅くまで語り合ったお母さん達はちょいと眠気まなこで食堂に集合しましたが、味噌汁やお漬け物等の優しい和朝食で眼も冴えた様子。
最終日は朝から沼沢湖畔でお母さん達と一緒に昼食の芋煮つくり。外では屋根のある場所で、炭火でじっくり塩化粧した姫鱒を焼いています。お昼ごはんまで子ども達は湖畔を遊ぶ予定が、霙まじりの天候の為室内で待機。とは言え、室内でも目一杯ハシャいでいました。芋煮は子ども達が丸めたすいとん入りでボリュームたっぷり。心までほっこり暖まるお昼ごはんとなりました。
食後は、宿泊施設の教育村会館に戻って皆でお掃除。帰り支度をして、お別れ前の集いでも嬉しい事が。元気村は今回で3回目。参加ゲストもリピーターが大半。楽しかった出来事を子ども達自ら発言してくれました。たった3ヶ月の間で成長していく姿を感じられるのも嬉しいものです。
豪雪地帯の金山町、教育村会館は除雪車が入れない様で使用出来るのは今回が最後になるそうです。大分、元気村もイベントとしては軌道に乗ってきた様に感じますが、今後の運営やふくしま在住の人々が安心して参加出来る為にはどうすれば良いか。課題はまだまだ沢山あります。自分自身楽しいだけでは無く、放射線量や震災後に忘れられてしまう地域の事だったりと色々と考えなくてはと感じさせられる三回目となりました。
次回は来年。今年は沢山の人が生活や人生が変わるような事があった一年だったと思います。今後もこのイベントを通して、少しでも多くの人に元気を分けられる企画を考えていくお手伝いが出来ればと思います。とりあえずは、今回も楽しい時間を共有することが出来た事に感謝!ありがとうございました。  (あんこ)

引き続き、3回連続出場けいちゃんからのレポートです。

3回目のキャンプ。
3日間本当にあっというまでした。
子どもたちと一緒に遊び、お母さん方といろんな話をし、
それは楽しい時間でした。
絵を描くのが大好きな女の子たちは
スタッフの子たちの似顔絵を描いてくれました。
かわいらしくてあったかい絵。
他にも走りまわり、鬼ごっこをし、走りまわり、
思いっきり遊んでいました。
そんな彼らはとってもいい顔をして笑っていました。
心から楽しんでいるのが伝わってきます。

最終日に
『「ちーちゃんのうちは放射能あるの?」
とある子が訊いてきてね。それが心に残っている。』
とちーちゃんは悲しそうに伝えてくれました。
お母さん方と話していても、心が苦しくなることもたくさんありました。
9ヶ月の月日が流れても、まだまだ放射能の問題は深刻です。
子どもたちはまだ何も選択していないのにと悲しくなります。

この3回のキャンプを含め、福島の人たちとであったり
福島県外で動いている方々、避難している方々、
いろんな方々にであいました。

どんな場所で何を選択したとしても
不安や、苛立ちいっぱいいっぱい
あると思うけど
生きることをあきらめないでほしいし
あきらめたくありません。

そのためにできることを私はしたいです。
であったみんなの笑顔がずっとあってほしい
楽しい時間がずっとあってほしい。

がってんさんや、はからめさん、銀河のほとりさん。
素敵な人がいっぱいいます。
ひとりじゃ不安ばかりかもしれないけれど
繋がっています。だから助けあいましょう。

かねやまで忙しい中受け入れ体制を整え、迎えてくれた
かねやまチーム。ありがとうございます。
そして、はからめさん、がってんさんはじめチーム絆のみなさん、
ありがとうございます。

わらびーずけいぽんでした。

今後ふくしま子ども元気村を通じてご縁のあった方々と共に、この長くて出口の見えない問題に取り組んでいこうと思います。何ができるかわからない無力感にさいなまれている方、ぜひお気持ちを寄せてください。気にかけてくれるだけで、ふくしまにエネルギーが注がれます。そして、この問題に取り組んでいくことが、これからの日本や、地球環境を維持、持続させていくことへの鍵になると思っています。(よし子)

 

朝食の様子、蕎麦打ち&ちまきつくり2011年12月3
ふくしま子ども元気村2日目。

炊き出し班の関川です。ふくしま子ども元気村プロジェクト3回目に参加してきました。12月3日土曜日のレポートです。

過去に食事班で参加している、あんこ先生と事前にメールで連絡をとり、期間中のメニューを相談して決めました。和食、洋食、子供の喜びそうなもの、そしてアレルギーの確認などをして。この日の朝食は、野菜たっぷりミネストローネスープと、フレンチトーストです。リンゴジャムも現地で前日に作っておきました。とても好評で、「たまごパンおいしいね」と子供達に人気メニューとなりました。
午前中は、手打ち蕎麦作り、笹餅作りの体験です。金山町の方に教わりながら、一生懸命作っていました。
炊き出しスタッフは、蕎麦に添える汁作り、鶏肉、ゴボウ、大根で、地元特有の付け汁を作りました。また参加されたお母様でお一人だけ蕎麦アレルギーの方がいらしたので、おにぎりも作っていきました。
食後は子供達はブナ林散策、その間、炊き出し班は学校に戻り夕飯の支度です。(雨でブナ林は残念ながら中止だったそうですが、笹餅はしっかりと食べたそうです)この日の夕飯ですが、福島の郷土料理です。地元幼稚園でずっと給食を作っていたという先生の料理で、炊き出し班2名は、助手として動き回りました。
みつろうキャンドルつくり、クリスマスパーティー夕飯も大好評 、夕食後は、みつろうキャンドル作り。皆さん色々な可愛いキャンドルを作っていました。
そしてクリスマス会。事前にパウンドケーキを5本、東京で焼いて持って行きました。そのうち1本を使って、ケーキハウスを作り、イチゴで道を作って、全体に粉糖で雪を降らせました。 「こんなケーキのおうちにすみたいねー」と喜んでもらえました。
そして村長から子供達、お母さんたちにもクリスマスプレゼントを。みんな大喜びでした。福島の子供達に笑顔を。それを目指して多くの仲間が力を合わせました。ちゃんカフェも、コーヒーだけではなくて、ミキサーを持ち込んでジュースなどを作り好評でした。
子供が寝静まった夜に、お母様方と懇親会。原発での悩み、ストレス、色々な話を聞いて、深く考えこみました。大変難しい問題なので、簡単に解決してあげることなどは出来ず、無力感にさいなまれるのですが、一人じゃないですよ、応援していますよ、と伝えるだけでも、相手の話を聞いてあげるだけでも、意味のないことではないと感じます。そんな小さな一歩から支援を続けていきたいと思います。
(写真・文 関川真佐夫)

牡蠣剥き場での作業、防波堤での作業2011年12月3〜4
カヌーデイin石巻 小渕浜編2

カヌーを使っての湾内の清掃作業、カヌーデイin石巻。今年最後となるカヌーデイin石巻だが、この12月にやる事になるとは誰が予想していただろう。
3日、多少の雨が降る中、作業結構。海での作業なので身の安全を第一に考えながらの作業となった。作業は、夏のカヌーデイで作業できずに残っていた防波堤の上と少し離れた浜辺の瓦礫の回収だ。時間が経つにつれて、風と雨が強くなってくる。今回集まってくれた仲間達は、普段からシーカヤックに乗っている方々が多く、雨や寒さには強そうだったので少し安心だった。途中強くなってきた波で不沈の艇と思われていたカタマラン(カヌーを2艇横に繋げたもの)が沈する場面もあったが、沈んだのが元気な男の子たちだったのでホッとした。
こんなに強い風、中々無いよねというくらいの強い風。午後も作業を続けるのは危険と判断し、午前中でカヌーも含めて撤収。少し遅いお昼をみんなで食べて午後はゆっくりと時間を過ごした。夜は、ささやかな忘年会のような交流会。
翌日も危険な強さの風はおさまることなく更に強くなっていて、みんなびっくりするほどだった。海に出るのは危険だったので、漁協の委員長から以前より話しを聞いていた牡蠣剥き場跡の清掃をする事に。午前中で片がつき、昼食後解散。
まだまだできる事があるとみんな感じたところでの解散だった。今回感じてたその気持ちを持ち帰っていただき、いろいろな形の支援に繋がっていってくれれば良いなぁと思う。参加してくれた仲間達のリストはカヌーデイのWebサイトで紹介させていただこうと思う。この仲間の繋がりはすごく強く、また大きな動きの中で集まる機会があるだろうと感じている。  (匠)


関連サイト: カヌーデイのWebサイト

折り紙、ウェルカム食堂2011年12月2
ふくしま子ども元気村初日。

金山町の朝は寒いです。今回も使わせていただいている自然教育村会館(旧玉梨小学校)の校舎は木造建築、まず起きてすぐにストーブを焚きます。この校舎がこうして使えるのも雪深くなる前の今回まで。積雪2mときいているので、入り口も雪で塞がってしまいます。冬最後の学校泊です。12月とあって、今回はクリスマスっぽく志向を凝らしてみることにしました。ガッテンのライフワークとしているレスキューツリー(川っぷちの護岸や駐車場の脇に生えている成長の難しそうな木の救出)作戦で手頃なクリスマスツリーになりそうな木を探しに行きました。100年前の水が湧き出ているという百年水を汲み、ウェルカムスイーツをご用意してゲストの方々をお迎えします。到着したみなさんの笑顔を見て、「おかえりなさーい。」「ただいまー。今回もよろしくお願いしまーす。」「わーい、鬼ごっこしよー。」「夜だよー、眠くないのー?」「眠くないよー。遊ぼーよー。」「じゃあ、折り紙しよう。」「しよう、しよう。」「明日の朝は7時半に朝ご飯だからね。楽しいこといっぱいあるからね。」「今夜は明日のために早く寝ます。」お母さんも子どもたちもわくわくしした様子で「おやすみなさーい。」明日は6時から朝食準備です。 (よ)

2日、僕は明日から行われるカヌーデイのため、金山町旧玉梨小学校を後にする。磐越自動車道、磐梯山、雲、空、光それぞれが個性的だ。今年の3月、この辺りの下道を郡山から会津方面へ走りながら、この山、このトンネルを超えたら放射能は届かないか、もう1つ超えたら大丈夫か、心配だからもっと先まで、でもこの辺り全部ダメなのかもしれない・・・・・そんな思いで、燃料を気にしながら車を走らせていたことを思い出す。あれからもう少しで9ヶ月だ。
「ふくしま子ども元気村」、福島県民が福島県民を受け入れるというところに僕は意味を感じている。「ふくしま」という名前の付くところに住んでいる人、形はそれぞれだが、みんなあの日から何かを背負って生きることになったような・・・・・・自分も含めて。特にこの企画を受け入れてくれている金山町は今年、洪水の被害を受けている被災地でもある。参加された方々は福島県民同士で話したり、笑ったり、泣いたり。そして外から来た新しい風を感じ、風は福島の中だけで吹いているのではなく、福島は風の通り道である事を感じることもできるのではないだろうか。
今回は参加できないが、ボランティアとして、県民として、日本人として、地球人として、はからめとして、今後の活動には関わっていこうと思っている。沢山の知恵を絞って絞って絞ってみよう、もう絞れないだろうと思った頃、最後に何かいいやつが一滴絞れるんじゃないかなぁなんて思っている。 (匠)

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