カヌーに運び込む、終わったあと。2011年7月31日 (日)
1万個の灯篭流し

みんなの祈りが届いたみたい。ここで文章を終わらせてしまいたいくらいだ。本当に何もかもが味方してくれたようだった。僕はカヌーから灯篭を流す全体の担当。さらに、カタマラン(カヌーを2艇繋げたもの)担当をトムさん、ソロ艇(1人で臨機応変に動いてもらうカヌー)担当をケビパさん、セナパパ。浮き桟橋上でスムーズに灯篭をカヌーに流す担当をヒロアキ君。風向きによって、川の右から流したり、左から流したり。みんなの連携でその場その場の対応ができ、かなりスムーズに灯篭を流し続ける事ができた。準備をはじめ、みんなの知恵を出し合って色々な事を1つ1つ乗り越えてきた事を考えると、なんだか泣いちゃいそうになる事が分かっていたので、思い出さず次にいこうと他の事を考える。灯篭が流れている写真を撮ることが全くできなかったので、他の方々のサイトをご覧いただけると様子が分かるかな。
写真を撮る暇は無かったけれど、僕も灯篭を1つでも火をつけて流させていただこうと思い「その1つ、いいかな?」と1つキープ。他の灯篭がカヌーで運ばれ、ちょっと一安心してキープした灯篭に火をつけようとすると隣にヒロアキ君「俺も火付けさせてもらっていい?」と。結局2人で灯篭に火を付け、一緒に1つを流す事に。ヒロアキ君は震災後、このはからめ暦にも時々レポートしてもらっている地元石巻出身の友達。後になって思うことは、震災で親戚の方などを亡くされたヒロアキ君に半分じゃなくて、丸ごと譲るべきだったと・・・・その事が、頭からなかなか離れない自分がいる。だけど頭の中は流れているので、時間がたてば今流した灯篭のように流されていく。今そう思っている今、その瞬間、それだけが大切なのかもしれない。  (匠)


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前日の様子2011年7月30日
灯篭流し前日

30日が最終日の田代島、僕は1日早く島を離れ29日の夕方に支援ベース絆に戻った。30日朝のミーティングの後、ちょっとした資料を作り、灯篭を流すための浮き桟橋を浮かべる現場へと向う。明日はいよいよ1万個の灯篭流しの本番だ。田代島に向う前にあらかじめ作っておいた浮き桟橋をとっち君のユニックで旧北上川に浮かべ固定する。そして、集まった人間みんなで当日のシュミレーション、灯篭の流れ、人の流れを確認する。全体を統括してくれているのは、石巻災害復興支援協議会に参加している方々にはおなじみのマナミちゃん。小さな体の中から大きなパワーがあふれてくるのをいつも感じる。
そして浮き桟橋ともう1つ、カタマランの製作も本日行なわれた。カヌーを2艇くっ付けてその間にテーブルの天板を設置するという作業。出来上がったカタマランに乗って船上ランチといった光景もちらほら。
さて人間ができる事の段取りはほぼ整った。後は天候、風向き、余震など、人間ができる以外の事なので・・・・・・祈るだけ。  (匠)
大雨による影響で、新潟と福島の川が氾濫して水害が起こったとの情報で、急遽、絆の助さん率いる新潟チームと、アベちゃんチームが福島へと出発しました。みんな気が気ではありませんが、無事を祈るばかりです。そして、支援が必要なら赴く準備もせねばなりません。そんな中での灯篭流し。災害支援に行きたい気持ちと、前から準備している灯篭流しを成功させねばならない気持ちとが交差して、複雑な心境です。 (よ)


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まかないの様子2011年7月27〜30日
田代島 漫画とニャンコ。

朝、7時のミーティング前、「田代島組出発しまーす。」と数名の絆チームがベースを出発。今日から3泊4日で石巻の港からフェリーで1時間半のところにひょっこりと浮かぶひょうたん島、田代島での集中ボランティア活動に入る。1日に5、60名、多いときには100名以上のボランティアが人口約100人の島に入る。だが、それだけの食事が島だけでは間に合わす事ができない。ので、ボランティアのためのまかないを作ることになった。3泊4日の朝、昼、晩と合計10食分の食材を全て前日までに用意しフェリーに乗せるダンプカーに積み込んで、本土から運んできた。
今回島で活動していたボランティアが口をそろえて「いいのかなぁ?」とちょっと笑いながら・・・。もちろん活動自体が楽だというのではない。こんなので良いのかなぁというのは、宿泊施設付き、朝昼晩の食事付き、そして自然に囲まれた光景での生活、「田代島、いいねぇ」という声がいろんな所から聞こえてくる。ボランティアが気持ちよく活動できるためのボランティア、これはここ田代島での活動だけでなく、支援ベース絆内で毎日行なわれている事でもある。  (匠)

にゃんにゃんにゃん、道をふさぐ家の屋根活動団体はRQ(アールキュー)、ピースボート、め組JAPAN、ローバート率いる外国人部隊、日本財団のガクボ(学生ボランティア)のみなさん。初日から2泊3日は約60名で、そして3泊目からはガクボのみなさん49名が加わり、津波のあとの瓦礫撤去から、海の中の網やロープを引き出す作業、打ち上げられた丸太をチェーンソーで切って片付けるなど、人力でひとつひとつ丁寧に島のお片づけを行ないました。わたしたち絆チームは重機隊とっちさん、キッチン部隊5名で参加。各団体からも食事を手伝ってくれる人員を手配してくれ、みんなが協力してこの島で気持ちよくボランティア活動できるよう、日本財団のクロサワさん、サワタリさんがコーディネートしてくれました。
この島には猫神社があります。大漁を招く動物として、島民に大切にされている猫ちゃんたちは私たちが宿泊場所としておかりしているマンガロッジにも毎日やってきて、みんなにかわいがられていました。
数日間各団体のみなさんと寝食を共にすると、仲間意識ができてきます。ボランティア活動をする上で最も大切なことはチームワークだと感じています。食事をとりながらのコミュニケーションはとても楽しく、いい雰囲気でした。島の自然の豊かさ、島民の方とのふれあい、そして仲間たちとの連携での作業。3泊4日の田代島ボランティアツアー、心に残るとてもいい時間でした。この活動を支えてくださっている方のおかげでみんなが動く事ができます。ボランティアのための支援があってこそ、ボランティアが活かされるということを実感させていただく貴重な体験でした。感謝、のことばにつきます。 (よ)


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No photo2011年7月25 (月)
時間をはずした日。

古代マヤ暦から発展した「十三の月の暦」では7月24日が大晦日、26日が新年、25日は「時間をはずして過ごす日」としています。
今日わたしは時間をはずれて、一日休ませていただきました。長いボランティア生活の中で、みんなに支えてもらいながら活動できています。ひとりが抜けてもカバーしてもらって、助けあっています。そんなみなさんの心遣いがとてもありがたく、明日からまたがんばろうと思います。みなさんどうもありがとうございます。感謝、そして前進。 (よ)


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にこまるクッキープロジェクト2011年7月24 (日)
にこまるクッキープロジェクト。

昨日みなと食堂の炊き出しに来てくれた料理研究家の枝元なほみさんが、本日中央公民館にて「にこまるクッキー作り」を開催しました。地元の若い女性たち、中央公民館で避難生活をしている方たち、みなさんとても楽しそうにクッキーを作っていました。クッキー作りというものを通して、人と人とがつながっていくこと、人と人とが出会って何かがはじまっていく予感、そんな素敵なワークショップでした。
午後、こちらで知り合った石巻駅近くでカフェを営んでいた方のお店に伺って、枝元先生と今後の展開について話し合いました。枝元さんは福島、遠野、仙台と、このにこまるクッキー作りということを通して支援を続けられているとのこと。石巻でもこのプロジェクトをたちあげたいとの思いに、こちらのカフェのオーナーの小関さんのご協力を得て、8月20日から始動することになりました。わたしもこちらのプロジェクトのお手伝いをさせていただくことに。まずは震災にあってしまったカフェmomoさんのお片づけからはじめます。石巻にこんな素敵なお店があったのですね、と思わすつぶやいてしまうようなカフェです。8月17日朝9時からお片付けをはじめます。 (よ)


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宝物アクション2011年7月23 (土)
写真プロジェクト。

本日はゲストライター、千葉からボランティア活動に参加してくださったナベさんからのレポートです。

千葉から来た渡辺です。 高校の教師をしています。ともかくも被災地の様子を自分の目で見て肌で感じとって、生徒に何か語ることができたらと思って来ました。
 今日は1日流された遺留品をきれいにするという仕事をしました 。作業に入る前に、担当の方からお話がありました。「この仕事は効率を追求するものではありません。ほとんどが亡くなった方の遺留品です。追悼の気持ちを込めて、丁寧に心行くまで行なった下さい。」
 私はまずはリュックに取り掛かりました。。泥だらけのものを刷毛と雑巾で きれいにします。一通り満足の行くほどに泥を落とすまでに、1.5時間かかりました。担当の方の言葉がよみがえりました。 この仕事は賃金労働としては決して成り立たない。でもとても価値の高い仕事。ボランティアの出番だと痛感しました。
 作業中、「外国で同じことが起こったとき、こんなふうに遺留品を大切にする国が他にあるだろうか。」という事が話題になりました。他国のことはよくわかりませんが、日本はこうしてやっている。日本もまんざら捨てたものではないですね。
 ここに来ると、いろいろな方と出会う事ができます。そして元気をもらえる。無理して思い切って来てよかったです。 (なべさん)


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メイク&エステ2011年7月22 (金)
黄金浜でエステ。

今日はエステティシャンのチームがボランティアに来ました。中央公民館と黄金浜会館の2チームに分かれて、フェイシャルマッサージとメイクサービスをしてくれました。「気持ちよかった。」「きれいになった気がする。」と女性たちが大喜びしている姿を見て、周りのみなさんも元気になっている様子でした。おしゃれをしたり、気分転換をしたりすることは日常を取り戻す第1歩でもあります。
まだまだ補修が必要な家や工場が立ち並ぶ中でも、手書きの看板で美容室が再開したり、お店が始まったりしています。ボランティアに来る美容師さんたちにも、徐々に地元の美容師さんを支援していく活動にシフトしていく時期かな、と感じています。 (よ)


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島を歩く、にゃんこ2011年7月21 (木)
CAT ISLAND。

牡鹿半島の田代島に27日から4日間、集中的にボランティアが入って瓦礫の撤去を行ないます。日本財団のサワタリさん、め組JAPANのくりりん、聖子さんと一緒に、下見にいくために朝7時石巻港のフェリー乗り場に集合しました。台風の影響で波が高く、風も強かったのでフェリーは欠航かも、と思ったのですが、一応準備をして手書きの看板のあるフェリー乗り場で待っていると、「出航するかどうかは島民の意向で決まるそうです。」とサワタリさんが事務所の連絡事項を聞いてきてくれました。時間が過ぎてもフェリーが出ないので欠航かと思いきや遅れて出航することに。ドキドキしながらみんなでフェリーに乗りこみました。無事に約1時間30分で田代島に到着。フェリーを降りるときに、「この天候だから帰りの便があるか分からないよ。」と乗組員の人に伝えられ、サバイバル気分で上陸しました。島の方に案内をしてもらい、作業場所や宿泊できそうな場所の下見もさせていただきました。この島には猫がたくさんいて、通称猫神社といわれている猫神様を祀っている神社もあります。猫は大漁を招き入れる動物として、島民に大切にされています。わたしたちがお昼を食べているところにもわらわらと猫ちゃんたちがやってきて、たくみくんが「ひとり一匹だね。」というくらい猫に囲まれました。
島に水道が復旧したのが7月7日。それまで飲料水は船で運び、生活用水は井戸水を組み上げて家まで運んで使っていたそうです。電気が使えるようになったのは7月17日とのこと。若い人も少なく、昔あった小学校、中学校も今では使われていません。学校がないので子どももいませんでした。島のおじさんは「来ても仕事がないっちゃ。」と言っていました。かつてこの島には1000人の人がいたそうですが、現在は60名ほどだそうです。家の解体など大きな作業は市にお願いするほか、細かい瓦礫の撤去や家の中の片付けなどはボランティアの力が必要とされます。
午後3時30分すぎ、帰りのフェリーが無事出航してくれることになり、サバイバルせずにすんでみんなちょっと残念そうでした。次回来るときには2泊3日の泊り込み作業となる予定です。猫ちゃん用の炊き出しも準備しています。 (よ)

にゃん (匠)


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虹、さをり2011年7月20 (水)
夏土用。

今日から夏土用がはじまります。土用は陰陽五行思想に基づいて設けられています。春は木、夏は火、秋は金、冬は水にわりあてられ、土は四季の間にあってその生成を助けるものと考えられています。
台風6号の影響ですごい風です。瓦礫置き場のフェンスが倒れ、危険な状態の中、フェンスのシートをはずす作業をしている人たちがいました。本日の作業は各自の判断によって切り上げることも伝えています。西日本では大雨による被害が深刻だとのニュースが入ってきました。今日は大型バスでボランティアに来てくれたティンバーランドさんご一行を湊中学校付近の発泡スチロールのリサイクル工場でのボランティア作業にアテンドし、その後事務局のみんなと、早めに作業を切り上げたみなと食堂の炊き出しチームと、湊中学校近くにあるさをりの工房に見学に行きました。津波にあって泥だらけになった教室を生徒さんたちみんなで片付け、少しずつさをり織りを再開しつつあります。手織工房の及川先生はさをりという織物を通して、避難所にいる方やわたしたちボランティアの心を癒していきたいとおっしゃっていました。カラフルな糸が並んだ教室はいるだけで気持ちが癒されます。ここでワークショップかお教室を始めていこうという打ち合わせをさせていただき、8月からスタートすることにしました。事務局のみんなも楽しみにしています。 (よ)


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かや、かや2011年7月19 (火)
日本の夏。

石巻に来てから4ヶ月が過ぎました。すっかりボランティア活動がわたしたちの生活となっております。
この期間は大犯土でもあり、明日からは土用の期間がはじまります。陰陽五行思想による六十干支の組み合わせのうち、庚午から丙子の7日間を大犯土(おおつち)といい、この期間は土を犯してはならないといわれ、穴掘り、種まき、木の伐採などの土いじりは慎む日とされてきました。また土用の期間も同じように土いじりを慎むことといわれています。土用は四季の間にあり、その生成を助けるものと考えられています。夏の土用は立秋の前の18日間となっており、季節と季節の変わり目でもあることから、体調管理に気をつける時期として考えています。
昨日夕食サポートに入った渡波中学校避難所で、身体が疲れている、肩がこっているなどの声を聞きました。みなと食堂炊き出しチームのヨンさんの本職はタイ式マッサージ師と伺ったので、時間を調整して本日渡波中学校にマッサージに入ってもらいました。とてもニーズが高く、順番待ち、後日の予約まで入ったそうでとても喜ばれました。
同じく渡波地区にある黄金浜会館の様子を見に行きました。徳島からボランティアに来ていたツヨシくんが積んできた蚊帳を渡したところ、大変喜ばれたので、今日はその様子を伺いに行きました。ハエや蚊が大量にいる中での対策として、蚊帳の有効性やニーズを調べていたので役立つ場所があるのだということがわかりました。体育館のような天井の高い避難所ではつり下げることが難しいのですが、テントタイプの蚊帳もありハエと蚊の対策として有効に活用されていました。 
日本の夏、昔の知恵を生かして乗り切っていきたいと思います。(よ)


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スイカ割り、流しそうめん2011年7月18日 (月)
海の日、流しそうめん、カレーライス、スイカ割り

今日は、僕達が毎日寝泊りしている南境地区の育成会の方々との合同イベント。小学生の子供達が朝、座禅会を行なった後、流しそうめん、そしてカレーライスの炊き出し体験、スイカ割りと盛りだくさんのプログラム。会場になっているのは南境地区にある金蔵寺というお寺の駐車場。
集合は朝6時半。僕達にとっては「えっ?そんな早くから?」と思ってしまうのだが、こちらの朝は早い。準備のために4時に起きてくれたボランティアたちも。
早速地元のお父さんお母さんと共に準備開始。僕は先日切り出した竹を組んで流しそうめんの滑り台を作る。他、カレーライスを準備するチーム、竹で箸を作るのをサポートするチーム、日よけの為のテントを設営するチームなどそれぞれの着々と準備が整っていく。
木のおもちゃを手にする子供達、獅子振りみんなと一緒に子供達の座禅会が終わって駐車場に降りてくると、後はノンストップで子供達と一緒にハイテンションを保つだけでOK。準備9割9分、本番1分ってところかな。
大人相手のプログラムはコレが終わったら、コレをやって、暇をもてあまさないように次のプログラムへ・・・とかって考えたりしがち。だけれど子供達相手のプログラムは、細かく考えなくても大丈夫なんだなぁって感じた。もちろん段取りはしっかりと組んでいるからこそできることではあるのだけれど、なるようにしかならないし、何よりも子供達に「暇」って言葉なんか無い。どちらかというと現実よりも夢に近い会話で、想像力を爆発させたような遊び方を次から次へと生み出してくる。子供達相手に遊んだり、一緒に何かしたりって事があんまり無い僕なので、はじめはどうなる事かと思っていたけれど、南境の子供達みんなのお陰で気持ちのいい時間を過ごす事ができて嬉しかった。子供たちはみんなの希望、これは本当の事なんだなぁと感じる事ができた。  (匠)


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流しそうめんのための竹作り、とっち君の表札プロジェクト2011年7月15〜17日
満月祭

この時期、石巻ではお祭りごとがはじまってきました。
15日から3日間小渕浜の五十鈴神社でお祭りがはじまります。例年でしたらと子ども神輿が出るそうなのですが、今年は担ぎ手がいないそうで、トラックに乗せて避難所をまわりました。15日は地元でのご神事、16日、17日は絆チームで炊き出しをすることになりました。
16日朝、明後日開催される地域の育成会のイベントで使う竹の切り出し作業に行きました。私たちボランティアのベースとしてかしていただいている地区の育成会の方から、「今年は震災の影響で例年のような遠出をするイベントをしないので、ぜひ子どもたちに炊き出し体験をさせてほしい。」との依頼を受け、日ごろお世話になっている恩返しの意味も込めて協力させていただくことにしました。「カレーライスと流しソーメンがいい。」とのご希望で、近所の御宅の裏山に流しソーメン用の竹を切り出しに行きました。東北とはいえ午前中からかなりの暑さです。「暑いですねえ、日中は。」と話すと、なんと35度もあるといっていました。外作業のチームは水分補強しながらがんばっています。
大原での炊き出し、獅子振り17日、小渕浜お祭りにてお昼の炊き出しです。外での炊き出しは水、食材、機材をすべて積んでセッティングして、ということからはじめるので体力を使います。 WEB制作中のたくみくんには積み込みのみ手伝ってもらうようにし、ひとりで準備をしていたら、当日の朝に短期ボランティアさんがお手伝いしてくれる事になりました。やはり人手があると助かります。炊き出し作業を終えた後、まだ時間があるので浜の方に下りていきました。日本財団の学生ボランティアチームがホタテの貝殻に針金を通す作業をしていたので、声をかけて一緒にやらせてもらいました。時々他のチームの作業を手伝わせてもらうのもいい経験です。夕方、渡波の明神社では縁日が、黄金浜会館でもお祭りが開催されました。地元の青年に「お祭りで獅子舞やるから見に来て。」といわれていたので、ボランティアさんと一緒に見に行きました。今回一緒に活動してくれた絆でのボランティア活動2回目の中村さんは、前回黄金浜会館のコミュニティアカフェを手伝ってくれていたので、電気やトイレが使えるようになった黄金浜会館を見て、以前との変化を感じていたようです。お祭りは太鼓やお囃子でとても賑わっていました。夕方、今野さんたち地元の方々が獅子舞を披露してくれました。わたしたちのところへやってきて、頭をガブっと噛んでくれました。獅子舞に噛まれると無病息災という縁起があるそうで、みんな獅子舞の回りに来て頭を出していました。「ここ渡波地区の獅子舞は400年続く伝統があって、全国的にも有名なんですよ。」とみなと食堂に来ていた常連さんが教えてくれました。明日は育成会でのイベントで炊き出し活動です。 (よ)


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浜から瓦礫を運び出す、みんなで集合写真2011年7月12〜14日
カヌーデイ in 石巻 大原編

カヌーデイin石巻も1回目の狐崎浜と竹浜、2回目の小渕浜漁港ありあての浜、3回目小渕浜漁港浦の浜に続き第4回目となった。今回は同じく牡鹿半島にある大原という集落の湾内、そして少し離れた浜の瓦礫撤去、漁具の回収が目的だ。3日間で関わってくれた方々総勢のべ約180名。集まったパドラーは群馬県みなかみチーム、東京都奥多摩チーム、流れ着いたラフティングガイドのTomさんをはじめ全国からのサポートを受けての開催となった。陸上部隊はピースボートさん、RQさん、モルモン教さん、チームユキオちゃんさんなどなど、本当に沢山の方々に参加していただいた。浜に打ち上がった瓦礫で回収が困難なのがやはりロープや網。鎌やナイフ、剪定ばさみを使って細かい作業となる。これらの道具は過去のカヌーデイin石巻の経験、そしていろいろな参加者から、コレを使ったらいいなどのアドバイスから集まったものたちだ。
空飛ぶカヌー、カタマランカヌー毎日沢山のカヌーイストが生まれた。お天道様にも恵まれた3日間だったので自ら進んで海に入る人たちも。望んでないけど海に入っていた人もチラホラ。
カヌーデイと平行して、今月31日に行なわれる1万個の灯篭流しの準備も着々と進んでいる。今日は旧北上川に当日灯篭を流す為の浮き桟橋を作り、試乗。そしてカヌーも浮かべて試しに灯篭を数個流してみる。陸で桟橋を組み立て、それをトッチ君にユニックを使って川に浮かべてもらう。いい感じで安定した桟橋が川に浮かんだ。僕達もカヌーを浮かべて試しに流した灯篭の行方を見守ったり。北上川の水は少し濁っていたけれど、ここ最近、海水ばかりに浮かんでいたカヌーが少し淡水に触れて嬉しそうだった。
3日目、清掃目的であった浜の瓦礫、ロープ類はほぼ片付き、3日前とは見ちがえるほどだ。3日間とも陸上で頑張ってくれていたボランティアのみんなにも本当に感謝感激雨あられ。みんなにみんな、今度一緒にカヌーに乗って川旅に出ようねって、言いたい気持ち一杯での作業だった。最終日は少し時間を延長して切りの良いところまで、時間の許す方々で頑張った。最後、大原の住民の方の感謝の言葉を頂き、無事に作業終了。(初日にケガ人が出してしまったけれど。)みんな明日から他の現場で活躍されるんだなぁ・・・・と、思いながら片づけをしていると、同じ日に、同じ場所で、同じ時間を過ごす人間達の集まりって奇跡以外の何でもないなぁ・・・って感じた。って事は、やっぱりこの片づけしている時間も奇跡であって、車を運転している時間も奇跡であって、伸びた爪を切っている時間もやっぱり奇跡なんじゃないかって本気で感じてしまった。瞬間瞬間の奇跡の集まりがこの世の中なのかもにゃ〜。
さて、7月31日と8月1日の2日間、石巻川開き祭りが行なわれる。その31日の夜に行なわれる1万個の灯篭流しをカヌーデイで全面協力させていただくことに。カヌーデイin石巻灯篭流し編と題し水の上からのサポートを行なう。ので、水の旅人達、30日のオリエンテーションと31日の本番、ぜひ体をあけて、時間を作って石巻に集合、よろぴこ〜。   (匠)


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朝のミーティング、ゴールデンビーチ2011年7月11日 (月)
震災から4ヶ月。

今日で震災から4ヶ月が経過しました。昨日の余震で、薄れかかっていた当初の気持ちがよみがえってきたという話も耳にします。東北地方だけでなく、今や日本のどこで地震が起きても不思議はない状況です。そして、それに伴う人災にも注意が必要です。フクシマが背負ってしまった日本の過去、現在、未来は、フクシマだけの問題ではすまされない状況になっています。
今日は渡波地区の黄金浜会館で週に一度のコミュニティカフェを開催する日です。ユカリさんと下田さんと一緒にカフェゴールデンビーチの準備をしました。ありがたいことに珈琲豆やお茶の支援、お菓子を送ってくださる友人のお陰で、週に一度の2時間だけのカフェが本当にカフェっぽくなってきました。地元の若者が来るようになって、地域のコミュニティができてきました。 (よ)


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雄勝波板浜にて、黄金浜会館にて2011年7月9〜10日
映画上映会、余震。

9日、みなと食堂にて映画上映会を開催しました。地元ボランティアさんに聞くところ、石巻ではお昼ご飯を食べながら映画を見る(BGMのように)雰囲気があるとのことで、お昼どきの『釣りバカ日誌』に向かってご飯を食べている人がたくさんいました。映画チームがポップコーンとコカコーラというイキなサービスをしてくれました。映画よりもむしろそちらの方が人気があったような感じもしましたが、映画好きな人はその後の寅さんにも見入っていて、みなと食堂で過ごす夕方を楽しんでいました。
10日、午前中大きな余震がありました。毎日余震があるのですが、今回の地震はかなり長く地響きがして、ちょっと怖くなりました。案の定津波警報が出され、ボランティア作業の中止を決めたところもありました。わたしはたくみくんと事務局ナカコさんと共に黄金浜会館に行き、予定していた映画上映会の様子を見に行きました。一度避難したあと、避難指示の解除とともに活動を再開し、映画は予定通り上映されました。スタッフの数も多く、初めて来られた方ばかりでしたので心配でしたが、みなさん無事で、地元の方も映画を見に来られていて、ホッとしました。映画「スウィングガールズ」はとても楽しい作品で、動揺していた気持ちを映画の世界に引き込んで忘れさせてくれる一瞬があったように思いました。ですが、正直津波を思い出して、地元の方々は映画を見る心境というよりは、みんなが集まって安全そうなところに一緒にいるという安心感を求めに来ているような気もしました。
これからも大きな余震があるかもしれません。作業場所からの避難路を確認して活動すること、一緒に行動を共にするバディと呼ばれる仲間の確認、そして車で逃げる時は窓を開けてラジオをつけて、渋滞にはまった時には鍵を付けっぱなしで車を脇に停め、走って高台に逃げる事などを毎朝ミーティングで話し合ってから出発しています。(よ)


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銀河のほとり、石巻夕焼けよし子2011年7月8日 (金)
銀河から石巻へ。

はからめランドを片付けて午前中に出発、福島県須賀川市にある自然食レストラン『銀河のほとり』にてお昼ご飯をいただきました。昨日矢祭町にある居酒屋さかな屋さんで銀河で働いているトモチンにすごいタイミングで会ったとき「明日銀河でお昼ご飯食べようと思っているんだけど、何時までやっているの?」と聞いていたので、まかないのお時間にお邪魔することもなく、満席のランチタイムに伺うことができました。ランチメニューのご飯は豆入り玄米ご飯とキビ入り白米、ごま塩、お味噌汁、竹炭を使ったお豆腐ディップ、ヒジキ、緑黄色野菜など、からだに取り込んだ放射能を排出するようなメニューを考案していて、味もとってもおいしかったです。焼きたての玄米入りパンをいただいて、石巻に向います。途中眠くて運転を匠くんに任せてしまいました。移動も多いし距離も長いし、運転いつも大変です。匠くんいつもがんばっています。ボランティアベースに着くと、ストーンと眠りについてしまいました。明日はみなと食堂にて映画上映会を開催します。 (よ)


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四季彩菜工房にて2011年7月7日 (木)
七夕

数日前から新暦の七夕は結婚記念日なのでゆっくりとはからめランドで過ごそうと2人で話していた。が、結果本日訪ねた所は、電気屋さん、町役場、郵便局、吉田さん宅、ホームセンター、さかな屋、芳賀さん宅で帰りは夜中の2時過ぎ。なぜゆっくり何もせず1日を過ごす事ができないのだろう?
まず、先日はからめランドの郵便ポストに入っていた電気料金の請求書を見たところからはじまる。現在、仮設の電気料金を支払っていて、使った量に関わらず2,3千円で固定料金との話しだった。しかし数か月分の請求書を見てみると毎月1万2千円ほどの請求書が。コレはおかしいと工事をしてくれた電気屋さんに相談。結局2,3千円の固定料金は10年前の料金設定だとのこと。7月からは基本料金+使った分だけという普通の料金設定にする事になってしまった。「なってしまった」じゃなくて「そうする事にした」と全て前向きでいこう、と今思った。
町役場では、税金の事や、はからめランドまでの道の整備の相談。雨が降るとぐちゃぐちゃになってしまうので砂利を敷きたいのだけれど、その費用の一部を町が負担してくれるという制度の事を詳しく聞いてみた。福島の土地を整備するのに自分達のお金を使うということを考えるたびに、僕達は福島で生活をしていくんだと、何度も「覚悟」という2文字が心に浮かんでくる。そして郵便局では通帳記入、活動資金を振り込んでくださった方ありがとう。なかなか返事ができず申し訳ないと思っている。
次に訪ねたのは、僕達が福島にやってきた初日からお世話になっている吉田さんのお宅、震災後初めて訪ねる事になった。吉田さんの息子さんであるまー君のお嫁さんも一緒に暮らす事になっていて、いろいろ世の中は変化しているのだなぁと。そして話しは福島の現状の事へと移っていく。吉田さん一家は四季彩工房という屋号で無農薬のお米や野菜をつくっている。そして一緒に菜農業体験民宿と言ったら分かりやすい、そんな民宿を経営している。しかし、通年ならばこの時期、無農薬でお米を作る吉田さんのもとへと集まるお客さんの予約でいっぱいなのだが、今年の予約件数は0件だという。コレが現実だ。吉田さんと話しをしていると今の福島の本当の現状が見えてくる。反原発のデモなどが全国で行なわれているニュースや情報は福島には流れないという事実。福島で農業を営んでいる方のなかで自殺者が急増しているという事実、皆さんのところには届いているだろうか?「今の福島の人間はモルモットです・・・・・」、福島の町を走っていると「がんばれ福島」とか例の良くあるメッセージがいたるところで目に付くのだが、「もう福島はがんばれない・・・・」と。今、声を上げなければ本当に福島は潰れてしまう、「怒(いか)れ福島!」を掲げるべきだと吉田さんは話す。
ちなみに塙町の四季彩菜工房は、僕達のはからめランドの近くで、放射線量は福島の中でも低く0,08〜0,2マイクロシーベルトくらい。ぜひ、福島の現状、そして生の声を聞きたいと思われている方、農家民泊を本気でおすすめする。
さかな屋、みんなで。そして夜は、矢祭町にある「さかな屋」という居酒屋さんで食事。先週訪ねた須賀川の「銀河のほとり」でも販売をしている、購入した金額の一部が福島への支援金に回されるも手ぬぐいを作られたお店だ。初めて訪ねたのだけれどいきなり友達みたいな感覚の美佳子ちゃん。カウンター越しにいろいろな話をしているうちに出てきたのは、同じ矢祭町で旧暦の暦を作っているという芳賀さんという方の話。僕達と芳賀さん、お互い旧暦をベースにしたカレンダーを作っていることもあり、共通の知り合いが沢山いて彼(?)が作ったカレンダーを目にしたり、話しは聞いているのだけれど会ったことはない、とそんな感じだった。「近くにいるんだったら電話して呼ぼう!」と言ったは良いけれど誰も電話番号を知らない。「電話しなくても来るよ。」と冗談交じりの一言で会話が終わったその5分後くらいに、一気それがガラっと変わる出来事が起こった。噂をしていたら本当に本人がお店にやってきたのだ。震災後、とんでもない偶然というのか奇跡みたいな事が平気で起こる。聞いてみると芳賀さんがさかな屋さんに来たのは5,6年間矢祭町りに住んでいて今回が3回目。そして一緒に「こんばんは〜」と入ってきたのは、なんと銀河のほとりのトモチン。しかもトモチンはさかな屋に来るのは初めてだという。ナンダコレハ〜!!。ってみんなで盛り上がりっぱなしの楽しい夜の時間を過ごす事ができて嬉しかった。
その勢いを止めることなく、お店を出たあと芳賀さん宅にお邪魔して深くて大きくて遠くて近い暦の話しを芳賀さんのカレンダーを囲みながら3人ですることができた。はからめランドに戻ったのは夜中の2時過ぎだったか・・・・。七夕、夜のはからめランドで今まで多くても2匹同時に見ることができた蛍が、何十匹もピカピカしていた。ヒカリゴケというのだろうか、木も蛍につられて光っている。そうして僕達は何とも充実した1日に幕を下ろした。上まぶたを下ろした・・・・か。  (匠)


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絆、出発前2011年7月6日 (水)
フクシマへ。

横浜では食事以外、ほとんど匠くんとは別々に作業をしています。顔をあわせないことのほうが多いので、お互いが何をしているのかをよく知らないままフクシマへ行く時間がきてしまいました。荷物を積んで、交代で運転して、はからめランドに着いたのは暗くなってからでした。お互いそうとう疲れていたのだと思います。言葉がとげとげしく、話しをしていても一方的に自分の考えを言い合って、放射能の影響による今後の生活について意見がまとまりません。お互いぐったりして眠りにつきました。ほんとは今日が7年目の結婚生活最後の日だったのに、口論で終わってしまって悲しい思いをしました。放射能が巻き起こす影響はいろいろなところに及びます。 (よ)


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東京にて2011年7月5日 (火)
東京でお勉強。

昨日に引き続き、たくみくんはボランティアベースのホームページづくり、わたしは洗濯、掃除、お片づけ。果てしない作業のような気がしますが、いつかは終わる、と言い聞かせ、整理していきます。石巻でもよく聞いた言葉ですが、「モノは無いほうがいい。必要なモノだけあればいい。」とても共感するのですが、「まだ使える」の精神が残っていて、葛藤します。明日フクシマへ出発するため、とりあえずの整理だけして、再び荷造りをします。なんだかいつも荷造りと片付けを繰り返しています。いっそのこと、リュックに入る荷物分だけを残して、あとはさよならした方がよいのかも、とも思います。ゆっくり考える余裕もなく、次回の着る物などをパッキングして、わたしは三軒茶屋にあるふろむあーすへ、たくみくんはWEB制作の仕事をしている同級生とアポをとって新宿へと出かけました。ふろむあーすへはハッピーアイランド新聞と月のカレンダーを届けに行きました。店長悦子さん、オーナー藤田さんと会って、いろいろお話しをする時間がありました。ふろむあーすカフェOHANAではチェルノブイリ関係のDVDを上映していました。放射能のこと、決してうやむやにしてはいけないことです。東京にいても不安です。フクシマへ行くとなおさら不安です。けれど今もそこで暮らしている人たちがいて、今まで通りと思えるような生活を送っていることも事実です。明日はその事実を体験してきます。 (よ)


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横浜でボランティア2011年7月4日 (月)
横浜でボランティア。

約一ヶ月ぶりの横浜の家、一ヶ月前のままの部屋でまずはじめたことはお片づけでした。洋服を入れ替えたり、トイレを掃除したり、やりかけ途中で次の作業にも手をつけ、いない間に届いたダンボールをまとめて、なんだかボランティアベースにいるときの作業と似ているなあ、と思いながら時計を見ます。今日は17時から友人にお手伝いをお願いしています。福島で2000部預かってきたハッピーアイランド新聞の折り込み作業、ひとりではとてもとても大変なモクモク作業、友達とおしゃべりしながらだったらはかどるかなあ、と声をかけさせてもらいました。来てくれたのは東京在住の淳子ちゃん。ご実家が福島県の会津にあって、普段は東京でお仕事をしていますが、時間を見つけていわき市へマッサージのボランティアに行っているそうです。半分くらい終わったところで夕ご飯、食後の作業はどうしようかな、という頃にセナ家がお手伝いに来てくれました。おかげで今夜中に折り込み作業が終了しました。昨日のアースガーデンでも「事情があって現地に入れないけれど、何かしたいと思っている人がたくさんいる。東京でできることはないか。」と聞かれました。わたしたちは石巻にいることが多いのですが、今後フクシマのこともできることをやっていこうと思っています。フクシマで預かってきた手ぬぐいを買ってもらう、新聞を配ってもらう、それ以外にできること、6日にフクシマに向うので、直接聞いてきます。そしてその後石巻へ向かいます。今度は何か手仕事を見つけて、避難生活をしている人が社会と関われるような架け橋をつくってみようと思っています。橋がかかったら是非、東京の人も(そうでない人も)その橋を渡って現地を支援できるようになるかも。アイディア出して、がんばってみます。 (よ)

山手線の中、ピースマイルステージの上2011年7月3日 (日)
ピースマイルステージ at アースガーデン夏 

昨晩、横浜に帰ったら夜のうちにアレやって、コレやってむにゃむにゃ・・・・結局横浜の実家にたどり着いて白いご飯と納豆と梅干食べてバタンQ。
朝起きて、ハッピーアイランド新聞の折込作業開始。洗濯物を干してから忘れ物をチェックして代々木公園へ電車で向う。ちゃんと黄色のガムテープに「たくみ」と名前を書いて、石巻市災害ボランティアセンターのボランティア登録ステッカーと一緒にTシャツにぺタッと。
代々木公園に着いてまず感じたのは少し出店の数が少ないような・・・・あとで出店している友達から聞いたのだが、毎年出店している仲間が数家族やはり関東からも更に西へと避難したとのこと。お昼頃、いつもお世話になっているフェアトレードショップ「ぐらするーつ」が企画するピースマイルステージにて、寿のライブ、はじめてライブを聞いたのだけれど、2人ともすっごいエネルギーの持ち主で、そのエネルギーをみんなに分け与えているような素敵なライブだった。ナビィさんの心の底からっていうか魂の底から自分の体を通して出しているエネルギーが、ヨシミツさんのギターでほどけているみんなの心にジワジワと染み込んでいくような感じ。
手ぬぐいを購入していただく、芝生の上ライブのあと、寿のナビィさん、そして石巻で一緒にボランティア活動をしているアウトドアライターの鈴木アキラさんと、僕達はからめの4人でトーク。テーマは「石巻より・僕らにできること」。人前で話すのが何よりも苦手な僕だけれど、石巻で出会ったボランティアの仲間、東京に住む仲間、10年ぶりくらいに会ったペルーを旅していたときの仲間などの心の支えがあり、何とか僕も会話が成り立っていたような・・・・・。
で、何を話したのかという内容だが、石巻の現状、東京にいてできる事、僕達にできる事。
コレしかできないじゃなくて、コレもできるといった考えで1歩被災地に近づいてくれたらいいなぁ、と言う思いで話しをしたつもりなんだけれど、みんなの心にはどう映ったかな・・・。
トークの後、集まってくれたみんなとビール片手に少し話をして、アースガーデンを後にして、近所のカフェでワイン片手にまたお話し。 夕方はぐらするーつ、ピースマイルステージの皆さんと焼酎片手に話しをし、夜は水を片手にふとんの上。明日からはコーヒー片手にパソコンの前でWeb制作かな。やらなければいけないことが沢山あるけれど、やりたいことが沢山あるわけだから、いまこの瞬間をなまけることなくI'm not sleepingで。夜になったら眠るけれどね。 (匠)


関連サイト: ぐらするーつ ・ 寿[kotobuki]
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草刈り後、草刈り前2011年7月2日 (土)
はからめランド

昨夜はからめランドにたどり着き、玄米ご飯を炊いてレトルトのカレーに豆を加え、ワカメのお味噌汁の夕ご飯を作りました。乾物しか持ち歩いていないので、野菜のない夕食となりましたが、おいしくいただきました。
朝6時20分、お隣さんが訪ねてきました。「町のアンケートに答えてくれ。」といっています。田舎の朝は早いです。
放射能の影響がどういうふうに出るのかはわかりませんが、とっても疲れるというのが私が感じたことです。ずっと睡眠不足が続いていたからかもしれませんが、匠くんもわたしもぐったりでした。
それでもせっかく早く起きたから早く作業をしよう、と手早くスープとパンとコーヒーの朝食を終え、匠くんは草刈機で、わたしは手で草むしりをはじめました。昨日銀河のほとりの克子さんが「今年はカラムシの葉がいつもより大きい。放射能の影響かね。」言っていましたが、はからめランドの雑草もぐんぐん伸びているような気がします。ガイガーカウンターで数値を計ると、空気中は0.19マイクロシーベルトで、草の上は0.25マイクロシーベルトでした。植物が放射能をすっているような気がします。
ホーリーバジル(トゥルシー)、ヘビイチゴEM菌実験地にEM菌を撒きました。数値は他と変わらず、0.25マイクロシーベルトでした。名古屋から預かったEM菌も他の場所に撒いてみました。克子さんが「実験している暇はないよ、やれることはなんでもやってみなくちゃ。」と言っていたので、実験地以外の場所にも撒くことにしました。
今年はヘビイチゴがたくさん生えていました。昨年ちょこっと生えていて、かわいがっていたら今年は大豊作。でも、放射能の影響があるので今年は収穫するのをあきらめました。ヘビイチゴさんはどう思っているのかな、せっかくたくさん実をつけてくれたのに、使われることもなく終わってしまうことに申し訳ない気持ちになりました。
テント内を片付け、お弁当を作って出発。疲れた体を癒すために温泉によってから関東に向います。(よ)


関連サイト: 銀河のほとり
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ハッピーアイランド新聞2011年7月1日 (金)
フクシマ

7月1日、朝のミーティングでみんなにさようならと伝え、しばし石巻をあとにする。約1週間、ほとんど休み無しの1週間になる事は分かっているが、日々新しい想像もつかない何かがやってくるという事も同時にわかっているので、1秒後よりも今を一生懸命生きようと、、、人生に「休み」は無い。
まず向かった先は福島県須賀川市にある「銀河のほとり」という自然食レストラン。向かう前、2人で「訪ねて大丈夫かなぁ」とちょっと心配していた。なぜならば、まずこの銀河のほとりがある場所は放射線量が0,4マイクロシーベルト前後、決して低いとはいえないその場所で毎日営業をしているというストレスも必ずある。その原因である原発について、今までほんのちょびっとも賛成していない心の持ち主が集まっている場所だということ。そして毎日のように訪ねて来てくれる方々への対応。僕達なりに、僕達が行かなければその時間少しでも休めるのでは無いだろうか・・・・って思ってしまう。
そんな思いも持ちつつ、それでも何か役に立てる事があることを疑わず、銀河のほとりに足を運んだ。一昨日、祭りチームのヒーサーがいわき市で行なわれたお祭りから帰ってきてポリタンク4本分のEM菌を僕達に託してくれた。それを福島県の必要としている場所へと運ぶという役目も感じていたので。(もちろんはからめランドにも撒かせて頂くが)
さかな屋、ふくしま手ぬぐい銀河のほとりにたどり着くと克子さん、ともちんがいつもの笑顔で迎え入れてくれた。話を伺うとフクシマではすでに放射能の話しをしたがらない人たちが増えてきていて、放射能の危険性、対策などをまとめたチラシを配ったりすると目も合わせてくれない人もいるとの事。先ほど出てきたヒーサーもいわき市で行なわれたお祭りで同じような事を耳にしてきたと話してくれた。放射能や原発の話しがタブーとされ始めているのだ。コレはすっごく危険なことだ。本当に、本気で、ものすごく、超、マジで、スーパー、ウルトラ危険な事だ。しかし、3匹の猿の気持ちも分かってしまう。見ないで、言わないで、聞かないで生活した方が明日の生活のためにはメリットが多いから。10年後にやってくるスペシャルなデメリットは10年後に考えればいいだろう、国が何かしらしてくれるだろう。してくれなくて政府に泣きながら文句を言っている自分達の姿も想像できるはずなのに。という訳で、本当にどうしようもなくなっている、気持ちを向ける先も無い、打つ手立てが無い・・・・・明るい未来を見ることができない。そんなフクシマで営業中の銀河のほとり、そこで手にしたのは「ハッピーアイランド新聞」という新聞、福の島の新聞だ。これは原発、放射能に真正面から向き合っていこうとする人たちに向けて発行させた新聞だ。僕達はその新聞を2000部分預かり、7月3日に顔を出す予定の代々木公園で行なわれるアースガーデン夏や、宮城県石巻市からもその新聞を色々な方々の目に触れるように配っていきたいと思っている。
それと、銀河のほとりで目に付いた手ぬぐい×2つ。1つは銀河のほとりの手ぬぐい。そしてもう1つは福島の人がフクシマのためにと作った手ぬぐい。こちらを販売している「さかな家」さんがあるのは福島県の矢祭町、はからめランドのある塙町の隣町だ。福島の中でも比較的放射線量の低い地域の方々が、放射線量の高い地域のためにできることをやっている。フクシマを救う福島、なぜ原発に地域の名前でなく県の名前が付いたのかが、だんだん徐々に少しずつ分かってきたような気がする。両手ぬぐいとも僕達持ち歩いているので声をかけて頂ければ販売可能。  (匠)


関連サイト: 銀河のほとり ・ さかな家
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