奥にいるのが原発の3人、デリバリーの様子2011年4月30日 (土)
女川原発避難所レポート。

女川原発避難所への食事の提供の依頼を受け、炊き出しチームからデリバリーに行ったオダさんにレポートをしてもらいます。オダさんは先日東京カッパ橋で調理機材を購入する際にとてもお世話になった方です。以下、オダさん(東京)、ソウくん(高知)、アキちゃん(大阪)のレポートです。

本日女川原発に避難されているご家族約150名の方々へ、ピースワーカーのメンバー3人、計6人で食事をデリバリーして来ました。
原発施設内に被災者の方々がいらっしゃるとは以外ですが、近隣の集落から原発施設内の体育館へ避難されています。
避難場所の体育館はバスケットコートが2面取れる大きさで、被災者の方々はそれぞれご家族単位でお互い仕切りを作り生活しています。
プライベートな空間はありません。
通常炊き出しをしている中学校では午前中に食事の準備をし、お昼からその中学校に避難している方々などに温かい食事を提供していますが、女川原発内に避難所では火気厳禁のため炊き出しは厳禁です。
原発入所は入り口で厳しい検査があり、少し緊張しました。
支援団体の入所は、社協を通さないと許可が下りません。
そのため、被災者の方々から希望があっても、私達独自の炊き出し支援は出来ません。
本日のメニューは白米と肉じゃが、デザートにオレンジです。
いつもの中学校炊き出しで多めに作り、それを冷めないように車で運びました。
混乱が無いよう集落毎に食事を取りに来て頂きました。
食事はピースワーカーの方が用意したメラミンなどのお皿で提供しました。
炊き出しのシステムが無いため、皆さん食器などはもっていません。
運び込んだ食器の種類がまちまちで若干の不公平感があり、各自に食器セットやタッパーなど配布の必要性を感じました。
食事はとても好評でした。
私は肉じゃがをサーブしましたが、分量の不足を心配したために最初の方々への配分が著しく少なく非常に後悔しています。
全ての方へ配布が終了した段階で充分な量が残り、マイクでその旨伝えましたが取りに来る方は少なかったです。
肉じゃがくらい、お腹いっぱい食べて頂きたかった。
そんな気持ちもありますが、今回のデリバリーは大好評でした。
喜んでいる姿を見ると行ってよかったと思います。
私達の退場の際拍手で送られ、また行くべきとの手応えを得ました。
狭いスペースに詰め込まれたプライベートの無い生活が、とてもストレスが溜まるものと容易に想像できます。
せめて温かい食事だけでも毎日提供したい。
女川原発の被災者の方々だけではなく全ての被災者の皆様が、少しでも、昨日より今日が良くなるよう今後もお手伝いしたいと思います。 (オダ)


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湊中のグランド、今日はうどんとおやき。2011年4月29日 (金)
GWはじまる。

最近はお互いの動きを確認しながら、たくみと別行動をとっています。スケジュール調整、電話の回数、予定外のことなどGWがはじまったことを実感します。
湊食堂もだんだんカフェっぽくなってきました。最近仕事を始める前にこちらの学校で避難生活をしている橋本さんがボランティアのためにコーヒーを入れてくれるようになりました。ばたばたしがちな一日のスタートを気持ちよくはじめさせてくれる心遣いが嬉しいです。
今日は助さんが信州からおやきを運んでくれ、大きな蒸し器で一気に400個のおやきを蒸しました。東北地方ではめずらしい食べ物、おいしいおいしいと大人気でした。
カフェの片付けが終わってから、選抜メンバーでわたしが「プチマッド」とよんでいるちょっとした泥の片付けを行いました。移動した車の下の泥や瓦礫の破片のお片づけです。アースデイ東京タワーチームのコージくんにリーダーとなってもらい、使う道具の説明や土嚢袋に詰める泥の量(重くなるので6分目まで)などを教えてもらい、短時間で終了。いろいろあった心の泥も片づけられたらいいな、今日はそんな一日でした。
ちょっとしたアクシデントもありましたが、誰も怪我もなく無事に一日を終えられたこと、みんなが助けあってこのチームがあるということに感謝です。 (よ)


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四十九日用の花、絆2011年4月28日 (木)
四十九日の花。

昨夜からの雨で、外でのデリバリーを心配していると、昼前には青空に変わりました。今日は助さんからの連絡で四十九日用のお花が届きました。湊中学校の炊き出しの場所ででほしい方にお渡ししました。早いもので、あれから7週間が経つのですね。
炊き出しチーム、新店長のケイちゃんの初日はハプニングはありましたが手馴れたみんなのフォローで料理はおいしくできました。失敗は成功のもと、明日のために作戦を練って、
ホームセンターやスーパーで必要なものを購入します。普段あまり売れないであろうものを10個単位で購入したりするので、お店にとって喜ばれるかな、とか、これで石巻の経済が動くかな、とか小さいながらも考えてお買い物をしています。
今日からカヌー仲間のムシャが加わり、A&Fチームは今日の夕方で終了、パワースタッフとして大変お世話になりました。車で帰る方にお願いしているのですが、ごみを持ち帰ってくださるととてもありがたいです。A&Fチームはこころよく持ち帰ってくれました。どうもありがとうございます。
センターに戻って夕ご飯を準備しようと思ったら、ご飯を乗せた車に乗ったたくみくんがミーティングで帰ってくるのが遅くなり、イマちゃんとあわててあるもので食べられるものを用意しました。あるものでつくる、しかも手早く、という制限のなかで最大限においしいと思うものをつくるという状況、結構楽しかったです。こうやって普段とは違う脳を使うのもいいものです。
夜は冷えるし、囲いもほしいよね、と事務局のユカリさんがダンボールで寝床を準備していると、テント泊のヒーサーが帰ってきて、「寒いから。」と、ダンボールをとりに来ました。あるもので暖をとれるものといえばコレ、常にダンボールに囲まれているので、有効活用の方法はひとそれぞれ、おもしろいです。(よ)


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松並食堂、みなと食堂2011年4月27日 (水)
5月5日に向けて。

炊き出し「湊食堂」の店長ユウキくん、ナオちゃんが本日こちらを卒業し、おざざ店長率いる大街道チームにはあらたな炊き出し場所「中央公民館」がはじまりました。今日はいつもセンターでボランティアに炊き出しをしてくれているイマちゃんが湊食堂にゲスト参加してくれました。硬めに炊けてしまったご飯で急きょライスコロッケを作ってくれ、すべての食材が無駄なくおいしく料理されました。夕方匠くん&体力派アウトドアチームは自衛隊さんのところに行き、わたしたちは渡波にある2ヶ所の避難所をまわりました。頼まれていたものを届けてライスコロッケを差し入れしたところ、とても喜んでくれました。夕食はお弁当が配られることになり食事を作らなくなったので、こういう手作りのものが嬉しいと言っていました。こどもが「おいしい。」と言って食べているのを見て、イマちゃんも嬉しそう。食を通してのコミュニケーションはとてもわかりやすいです。いつもいる竹ちゃんがいないなあ、と聞いてみると「 仕事に通いだしたのよ。」と奥さんが嬉しそうに話してくれました。少しづつですが、人々の生活が回り始めました。マッドチームから、すぐ近くの神社で瓦礫の撤去をしているときいたので、足を運んでお参りさせてもらいました。津波の被害にあいましたが、例年通り5月5日にお祭りをしたいとのことで、みんなで神社をきれいにしてお祭りができるようにしているとのこと。日本財団クロサワさん、ユニック鈴木さん、名古屋チームのひぐっちゃんと宮司さんのお話しを伺っているときに桜吹雪が舞いました。ここの神社は歴史も古く、樹齢300年近い松が瓦礫をくいとめてくれて人々が助かったと聞きました。ご祭神は伊去波夜和氣命(イコハヤワキノミコト)、伊勢神宮の内宮外宮もお祭りしているとおっしゃっていました。名古屋チームのヒーサーは今日帰る予定でいたそうですが、お祭りができるようにお手伝いをするため、しばらく残ることにしたそうです。 (よ)


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蘭ちゃん美容室、デリバリーの様子2011年4月26日 (火)
ボランティア活動のススメ。

日々新しいボランティアさんがやってきます。技術を持っている方、体力がある方、なんでもやりますという方、さまざまです。これからボランティアにこられる方には、お近くの社会福祉協議会でボランティア保険に加入して来ることをおすすめします。今日は湊中に美容師ボランティアさんが来てくれました。こちらで避難生活をしている方や、噂を聞きつけてきたご近所さんにもとても喜んでいただけました。美容師蘭さんは今日一日で約20名の方のヘアカットをして、バスで東京まで帰られました。帰る前にキッチンスタッフの伸び放題の髪もカットしてくれ、みんなとても喜んでいました。CAMP KAVUでお世話になっているA&Fのチームに専修大学でばったり会いました。湊地区を案内し、明日からの動きの準備をします。アウトドアチーム、強力な助っ人になるはずです。夜、 再び石巻にシェルパさんがやってきました。今回は取材で松島を訪れているそうですが、旅人として&作家としてのシェルパさんらしい支援の方法を伺いました。みなさんそれぞれの特技を活かして、やれることをやりにきています。 (よ)


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石巻にて。2011年4月25日 (月)
雨のち晴れ。

炊き出しがひと段落したあと、カヌー仲間のトコちゃんと3人、車で牧山という山を登ってみた。石巻市を眺めることができる高台には羊崎神社という神社がある。色々な思いと共にお参りをしたあと境内両脇に鎮座する狛犬様。「あ」の口をあけた狛犬様は子供が足元に寄り添っている何とも珍しい狛犬様だった。左の写真は湊中、本日の炊き出しチーム。おやすみ。 (匠)

昨日で釜小学校の炊き出しが終了しました。今後は自衛隊さんが引き続き行ってくれます。そして湊中学校からはあらたな炊き出し場所「松並21世紀」へのデリバリーを開始しました。この地域はまだ水道が通らず、なかなか自炊できない方が多いようです。「炊きたてのご飯は震災以来はじめてだ。明日の分も持ち帰らせてくれないか。」「家族の分も持って帰っていいですか?」と、炊き出しを求めている人が多いことを実感しました。こちらの場所は屋外、途中激しい雨が降りましたが、なんとか無事にみなさんにお配りすることができました。ずぶぬれで湊中に帰り、温かいコーヒーを入れながらほっと一息したところで、一緒にデリバリーを手伝ってくれた名古屋チームのサダムさんがギターをひいて歌ってくれました。「なんだかカフェっぽい。」「いいね。」と食事が終わったあともゆっくりとしていかれる方がいて、みなと食堂、なごめる空間になってきました。
夜のミーティングで明日からもうひとつ、あらたな炊き出し場所が決まりました。わたしたちは人々が求め続ける限り、あたたかい食事をつくり続けます。とーる隊長率いる炊き出しメンバーで今現在一日約2000食をつくっています。毎日食材の調達に動き回っています。「野菜がほしいなあ、お肉も食べたがっているみたいだよ、よし、必要リスト作成しよう!」今夜も遅くまで話し合います。
日付も変わり、今夜も助さん(ヒューマンシールド神戸)が夜なべしています。今日は助さんのところに台湾のお仲間から、物資がおくられてきました。助さんがこちらのセンターをかりてくれ、ボランティアスタッフをまとめてくれています。助さんは国内だけでなく、各国の震災支援に行かれているので、そのお仲間からのご支援がこちらまで届きます。ありがたいことです。 (よ)


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ムクダさんのインドカレー、朝のミーティング2011年4月24日 (日)
石巻の春。

約一週間ぶりの石巻です。わたしたちのいるボランティア集会所は朝7時からミーティングをして全体の動きを確認します。今日のわたしたちは東京に向かう四万十塾の木村とーる氏の引継ぎからはじまりました。ずっと石巻でがんばっていたので、しばしの間の選手交代、きっとアースデイ東京で現地レポートしてくれていることでしょう。
炊き出しチームはかなりペースができてきて、頼もしい限りです。はじめてのところから数週間を経て、みんなの動きに余裕と安心感がでてきているのを感じました。少しずつですが、こういう感じで日々形ができていくのかも、そう思うと前に進んでいるのを感じます。
今回は琵琶湖と東京から大きめの調理機材を運んできました。琵琶湖の水鳥センターから預かった機材は早速大活躍、このテンションのまま湊中のキッチン整理をしました。やはり片付けは大切です。ボランティア集会所も専従スタッフさんがきちんと整理整頓をしてくれていていました。
夜7時からは専修大学の中でNPO連絡会議があります。炊き出し、マッドバスターズ(泥出し)、キッズ、心のケア、ローラー隊、それぞれの代表者が今日の報告をしてから分科会に移り、各チーム明日の調整をし合います。ボランティアも長期の人、新しい人、一度休んでまた参加する人などさまざまですが、この会議で情報を交換してバランス調整をしています。専修大学の敷地の桜は今が満開。石巻に春が訪れました。(よ)


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アースデイ東京にて2011年4月23日 (土)
アースデイ東京から石巻へ。

東京は、晴れたり曇ったり雨が降ったり。今日、再び石巻へ向かって車検通したてのはからめ号を走らせる。昼過ぎに出発してちょっとだけ東京代々木公園で行われているアースデイ東京2011に足を運んでみることに。毎年多くの企業が出展をして巨大イベントとなっているアースデイ東京。アースデイ東京の企業との絡みをチラ見してみたかったが、時間無し。それよりも震災後はじめて会う仲間、被災地で一緒に活動をしている仲間、僕達を通して被災地に思いを届けている仲間達に会い、話し、思いを共有することがここに来た一番の目的。沢山の方と会い話して感じたのは、沢山の方に支えられ僕達は今、動けているのだなぁということ。
ボケ作でダメなヘナチョコ野郎のピンピロピン、これ僕のこと。やっぱり本当にダメになる瞬間がある。そんなと〜きこ〜ゆ〜の〜かがみをみつ〜めて〜、わらって〜わらって〜わらってたく〜み〜、ってのは僕が好きだったアニメの主題歌か・・・・。で、本当は、そんな時はどうするのかっていうと、支えてくれている方々を思い出す。ただただ思い出す。1人、2人、3人、ダメなら4人でも5人でも10人でも、今一緒に生きている人間、一生懸命に生きている人間をただ思い出すだけ。そうするとなんだか空っぽに思えた僕の体の中がみんなで満たされる。そして次の1歩を踏み出すことができるようになる。そう、意外と単純。アースデイってのはそんな仲間を確認しあう場所であったりもする。今日は時間が限られていたので、同じ会場にいても会えなかった人がいるけれど、それはそれで大丈夫。
この文章を書いているのは石巻に無事にたどり着くことができたから。約1週間空いたので明日は石巻に巻かれるところからスタートだ。ありがとうみんな、おやすみなさいみんな。   (匠)


関連サイト : アースデイ東京

仲良し、はからめ号2011年4月21〜22日
車検、アースデイに。

21日、はからめ号から聞きなれない音が。明らかに車の整備が必要だと感じました。ちょうど車検も近づいているので横浜で車検に出すことにしました。車の中の物を出して、はからめランドから持ってきたものも出して、次回積む機材も準備して、今横浜の家の中はたくさんの荷物が置かれています。どこへ行っても片付け作業、これ今の時流っぽいです。
22日、地球のことを考える日として制定されたアースデイ。地球のために人間は何をしているのかを考えるいい日です。いままでどおり生きるだけでは安全な未来はないと誰もが気づいたのですから、人の力がどこまでできるのか、わたしも希望を持って前に進んでいこうと思います。車も元気になったところで、明日のアースデイ東京@代々木公園に寄って、それから再び石巻に向かいます。 (よ)

はからめランド2011年4月20日 (水)
穀雨(こくう)、フクシマにて。

穀物を育てる雨が降る頃です。普段でしたら恵みの雨と思うところですが、今の状況ではみんなが恐れる雨、朝の横浜は晴れていましたが、福島への岐路はパラリとした雨が降りました。
震災以来、はじめて福島のはからめランドに帰りました。途中、高速で通過する埼玉、千葉、栃木、茨城の放射能レベルを測り、測定器のアラームが鳴ったエリアもありましたが、引き返さずに進みました。日常が取り戻されていくのと同時に、放射能に対する恐れも数値と共に薄れていきます。
高速を降りて国道118号線を北上していく途中、いまだ震災の影響から通行止めとなり迂回路で進まざるをえないところもありました。道も段差があり、いつもどおりのスピードでは走れない状態でした。とはいえ、コンビニもスーパーも飲食店も通常通り営業していました。震災で壊れた家屋もありますが、津波の被害とは比べものになりません。人々は日常を取り戻すために、静かにここで生活をおくっている様子でした。
塙町のはからめランドに着きました。山のテント生活でしたから、地震の被害はほとんどありませんでした。積み上げている薪が崩れたまま、テントの上のタープにかかるシートが雪の重みでちぎれたまま、あとは出て行ったときと何も変わっていません。
雪は溶け、ふきのとうの花が咲いていました。山のみどりも少しずつ芽吹く準備をしています。 沢水も変わりなく流れ、おだやかな森の風景です。ガイガーカウンターの数値は0.2マイクロシーベルト。地面に近づけると0.24,25,26と上がっていきます。テント内のある程度の片づけをすませ、車に荷物を積み込んで、それからお隣さん、ご近所さんに挨拶に伺いました。 どちらのお宅も地震の被害はほとんどなく、大丈夫でした。「隣の集落では余震でがけ崩れがあって、3人が亡くなったよ、ここは屋根の瓦が落ちたくらい。」と教えてくれました。すぐに食べられる保存食を渡して、しばらくここをあけることを告げました。
ヨウ素8日間、セシウム30年、ストロンチウム28年という半減期。この大地に根ざして暮らしている人たちにとって、土地を離れるということは考えられません。わたしたちの行く先はどこへ向かうのか、そしてこの場所を蘇らせるためには何ができるのか、模索中です。 (よ)

久々のはからめランド、見た目ほとんど変わらず。何も無かったように普通に暮らしていけるんじゃないか・・・・なんて妄想が頭をよぎってしまう。ちび畑には雪の降る前に撒いた菜っ葉が少し元気になっていたが、そのままにしておいた。辺りを2人で散歩してみると震災当日のことを思い出す。当日はキノコの菌を打とうと、あらかじめ切り倒しておいたナラの木を玉切りする予定だった。そんな事を切りっぱなしになっている木を見て思い出す。また、メープルの樹液が採れて喜んでいた時期でもあった。管を刺しっぱなしで出てきてしまったので樹液が4Lのペットボトル満タンに貯まって濁っていた。仕方なくそれを土へと返す。メープルシロップを2人で笑顔たっぷりで作っていたことを思い出しながら。
福島に土地を決め、これでやっと物を整理して置く場所ができるようになったと思っていた。まさかそれをまた運び出すことになるとは・・・・・。僕は一生ずーっと、ただ物を右から左へ運んで、また左から右へ運んでの繰り返しで終わってしまうのではないかと本気で思ってしまい、イライラいら立つ。
「地震だけならば・・・・」と、震災後、何度考えたことだろう。原子力発電所、こんなに苦しんでいる人がいるのになぜ、「原発は間違っている」と声を大にして言うことができないのだろう。ネクタイをして数字とお話しして原発を推進している人たちは、自分の子供や孫、愛する人を原発の近くに住まわせたくは無いはずだ。分かっているのに、分かっているはずなのに。
こんな辛い思いを常に心配しなければ生み出せないものなのだろうか電気ってやつは。絶対にそんなことはない。答えはもう出ているのになぜ。出口が見えない、動かなければなおさらだ。だから僕はボランティア活動を続け、そして自分達の生活を大事にし、そして希望を形にしながら生き続けてやろうって思う。  (匠)

かっぱ橋にて2011年4月18〜19日
満月、横浜にて。

高速のパーキングで仮眠をとりながら、横浜まで帰ってきました。こちらは前回ほどではないにしろ、ほんの少しの節電モードとほぼ通常通りな日常、といった感じです。ガイガーカウンターの数値も0.1マイクロシーベルト以下、石巻とほぼ変わらない値でした。月がだんだん大きくなってきているなあと思ったらもう満月、月の満ち欠けでリズムを感じます。
19日、炊き出し用機材を購入しに、東京のかっぱ橋というところに行きました。噂どおり、キッチン用品の問屋さんがたくさんありました。小田さんという方のご案内で、災害支援として必要なものを安く購入させていただけるということで、大きな蒸し器やザル、こまごました調理器具などを購入しました。
買出しリストが終了し、ほっと一息入れてから、福島の友人に電話をしてみました。郡山に住む友人は仲間と一緒に福井県に避難していました。現地に残って、避難してきた人たちへ食事の提供をしたり、いわき市に物資を運んだりしている知人たちのこともききました。「今わたしたちも福島のためにできることをしたいと思って、木の事勉強したりしているんだ。あの美しい森をとりもどしたいから。」「いつになるかわからないけれど、福島のためにできることをやろうね。また会おうね。」そう言ってお互いの今を確認し合いました。
明日、わたしたちは一度福島のはからめランドに帰ってきます。ドキドキしますが、現実を見てきます。 (よ)

セーリング、アースデイびわ湖2011年4月17日 (日)
春土用、アースデイびわ湖にて。

立夏の前の18日間のことを春土用といいます。土の気がさかんになるといわれています。春と夏の間の、季節と季節の変わり目です。
災害の影響がいまだ消えない石巻から静かな琵琶湖のほとりに来ると、このギャップにしばし戸惑います。人も場所もおだやかで、ほんの数時間前の、数100キロ離れたところとの違いすぎる現状に、前回ほどではないにしろ、ちょっとしたベトナム帰還兵のようなシンドロームに悩まされます。そして頭の片隅には福島のはからめランドのことがつねにあります。
そんな複雑な心境をかかええつつ、今日は久しぶりに穏やかな朝を迎えることができました。5年前、ここ水鳥観察センターがリニューアルオープンしたときのことを思い出します。あのときからのご縁で、いまわたしたちがここにいるんだと思うと、時の経過と人のご縁を感じます。
アースデイ、地球のことを考える日。アースデイびわ湖では、地域に根ざしたオーガニックマーケット、原発のこと、エネルギーのことを話し合うお茶会、東北関東大震災の現地レポート、そして木造舟の試乗会などの企画があり、琵琶湖のほとりのアースデイらしいアースデイとなりました。スライドショーをまとめ、午後からの活動報告までの時間、久しぶりにW&C Canoeに乗り、琵琶湖の上に浮かびました。いろいろな感情や思いがすーっと水に洗われていくような、そんな静かな湖畔でのひとときを過ごしました。四万十塾のジョンくんも一緒に参加、ここ高島市にて共に石巻での活動報告をしてくれました。
人生にはいろいろなことが起こります。信じられない状況にとまどうこともありますが、こうやって励まして応援してくれる仲間がいることで、前に向かってすすんでいけます。 (よ)


関連サイト:アースデイびわ湖 ・ 新旭水鳥観察センター

Wooden Boat Builders Meeting、さくらと人魚2011年4月16日 (土)
サクラ。

昨夜は高速のパーキングで仮眠しました。北陸道を通り抜けていく途中、桜並木を見ました。震災以来、初めて見る桜でした。サは稲、クラは神座(カミクラ)、サクラは田の神の依代(ヨリシロ)を意味するそうです。
福島県の塙町で無農薬栽培のお米をつくっていた知人のサイトを見ると、先祖代々耕し続けてきた田んぼで今年もお米をつくるとありました。石巻の田んぼには津波で流された車が乗りあがり、田んぼの再開は難しそうです。
「願わくば花のもとにて春死なん そのきさらぎの望月の頃」 桜を見ると思い出す西行法師の句です。願わくば亡くなられた方々の魂が安らかでありますように。
16日、17日と琵琶湖のほとり、新旭水鳥観察センターにてアースデイびわ湖が開催されます。カヌーをつくったり、ワークショップを開催したりと、ここ5年で全国から訪れてくる人と地域の人たちとで共に地域活性化がはかられている水鳥観察センター、わたしたちの関西の拠点のようなところです。今回はこちらのセンターの仲間たちが、震災救援活動の現地報告の時間をつくってくれました。
16日の今日はWooden Boat Builders Meetingという会があり、木造船づくりの仲間たちが全国から集まって琵琶湖でセーリングをしていました。風が吹く中、ボートで湖畔へと出て行ったうちの1人が沈。匠がカヌーでレスキューしに行き、ボートも人も無事でしたが、匠がボランティア活動の中に残しておいた最後の洗濯済みの洋服が濡れ、「最後の一着が・・・」と一言もらしていました。 (よ)


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ガイガーカウンター、炊き出し風景2011年4月15日 (金)
言える事、言えない事

朝7時、いつものようにミーティングがはじまり、僕達は継続して湊中学校へ炊き出しの準備に向かった。本日のメニューはモツ煮込み。僕達はこの炊き出しが終わったあと琵琶湖へと向かうために石巻を離れるので次の店長ゆうき君へとバトンタッチ。約1週間後、ここに来るときにはどんな風に変わっているのだろうなぁと思いながらみんなに別れを告げた。
仙台、福島、新潟、富山、福井、琵琶湖といったルートを走り明日の午前中に到着予定で高速を走る。途中、福島辺りを通ったときにヤマちゃんからお借りしているガイガーカウンターに電源を入れた。石巻にいるときはそれほど高い値ではなかったのでこのカウンター、本当に機能するのかなぁ・・・・・と少し疑い気味だったのだ。しかし福島は違った、日本では聞きなれないウクライナ製の警報が車の中で鳴り続けた。(警報は0,3μSv/hを超えるとなるように設定されている)ウクライナの皆様、疑って申し訳なかった。具体的な場所は原発から50km離れた東北自動車道、郡山近辺、数値は1,14μSv/hで、1年間に被曝して良いとされている数値の約5倍にあたる。さらに面白いのは、じゃなく、面白くないのは、トンネルに入ると数値が下がり警報が鳴り止み、トンネルから出ると再び警報が鳴る、という現象である。ガイガーカウンターは締め切った、エアコンも付けていない車内で測定している、ということは、車の中に避難したところで意味が無い、ということはコンクリートで覆われていない普通の家に屋内退避・・・・意味が無いだろう。コンクリートに覆われたシェルターに入らなければ放射線は防げない・・・・・ということ・・・・・だろう。
この現状、この思い、福島に住んでいた僕には非常に言いにくく、書くべきかどうか迷った。なぜなら、この警報が鳴る地域に知り合い、友達が住んでいるからだ。彼らはその場所が安全であると思いたいし、そこで作った作物を売らなければ生活ができないのである。ここであえて僕達の考えを正直に言おう、僕達は少なくても今年のはからめランド(福島県塙町、原発から約60km)に生えている山菜、そして流れている水を体内に取り込むことは絶対にしない。この発言を聞いた福島に住む人は、涙を流すだろう。しかし、これが実際に起こっている事実であり、悲惨な現状なのである。大丈夫、大丈夫といって笑いながら生活したいのだけれど、少なくとも僕達にとっては大丈夫じゃないのである。この一言は今まで書かずにいたが、一被災者としての声として受け止めていただきたい。
話は変わるが、何日か前、僕達が石巻に再び足を運んだときにボランティアセンターで見た一冊の雑誌があった。僕はその雑誌の表紙を見てびっくりした。なんと僕が撮った写真が表紙に使われているのである。「わーい、やったー」と喜ぶ・・・・・・訳が無い。僕になんの断りも無く無断で使用しているのだ。(個人ブログなどの非営利目的で使っていただくのは全く問題ない)今が非常事態なのは僕も分かる、被災者、そしてボランティアのみんなの頭の中が、ごちゃごちゃになってるのも分かる。しかし、被災者、またはボランティアがその雑誌を作っているのであれば50歩くらい譲ってまだ納得もいくが、この雑誌を出版しているA出版社(知り合いもいるので実名表記を控えさせていただく)は東京で社員に給料を払って通常営業をしているの名のある出版社。ボランティアの最中に撮った、僕にしか撮る事ができない写真をこのように勝手に使えるという芸術的意識の低さの持ち主が雑誌を作っているのだと考えると、ただでさえ悶々としている僕の頭の中が、さらに気持ちが良くない方へ持っていかれる。これも言うべきか言わざるべきか悩んだが、書きたいことも書けないサイトなんてやっていても意味が無いから・・・・。書かなきゃ僕の頭から出ていかないし。津波の被害に比べたらすごく小さなことなんだけれどね。(ちなみに問題の写真ははからめ暦3月23日と同じもの。)
言いたい事、言いたくない事、言える事、言えない事、これからもそんな事を気にすることが増えていきそうだ。今に始まったことじゃないのかな、答えが無い世界・・・・・。でも考えたら、問題が無いから答えが無いのか・・・・・ってことは、No problem、ってこと?そうとも考えられるけれど、本当は解ける問題は、たいした問題ではなく、解けない問題が本当の問題ということなんだろう。 (匠)

本日はサンマの蒲焼、夕方ひろあきくんと2011年4月14日 (木)
母校にて

今日は、ゲストライターとして、友人のひろあきがお送りします。石巻では、物資時代がそろそろ終わりを告げ、片付け時代に突入しています。そんな時流に乗り遅れまいと、今日は泥出し部隊に入隊しようと思ってたところ、よし子さんの「ひろあき母校を掃除したら?」の一言で、1人掃除隊として母校湊中に行くことにしました。はからめチームが美味しい炊き出しをしている間も、大工さんチームが素敵な扉を作っている間も、ほうき、デッキブラシ、バケツの神器を駆使し、湊中の片隅をコツコツと掃除してました。少しづつでも、目に見える仕事というのは嬉しいものです。昼過ぎに、ちょっと実家を見に行きました。通いなれた通学路も、流された家で通れなくなっていたり、水に行く手を阻まれたりで、道を見つけてたどり着くのもゲームのようでした。実家にたどり着くと、3週間前に来た時は潰れていた家が、重機によって7割がた撤去されてました。流れてきたのか線香の束があったので、行方不明になった叔父と、遺体として発見された従業員のゴロウ君のため、瓦礫に線香を挿して手を合わせました。湊中に戻り、掃除の続きなどしていると、高圧洗浄器を持ったボランティアの方が来られて、僕が掃除していた箇所を、僕100人分ほどのハイパワーですごく綺麗にしていってくれました。少し複雑な気持ちになりましたが、「これもきっと意味があることに違いない」と納得しておきました。物事の意味といえば、ここ十数年ほどの間に日本のあちこちで出会った人々が、続々と母校などに集結し、炊き出ししたり、綺麗にしたり、格好良くしたりしている現象の意味は何なのでしょうか?あと、何故近所の神社に内田裕也が?石巻はロックンロールなのか、ローリングストーンなのか?疑問は尽きませんが、今日はこの辺にしておきたいと思います。 (ひ)


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チェーンソー隊、本日の炊き出し2011年4月13日 (水)
スピード

コンビニからおにぎりが消え、菓子パンコーナーが空っぽだったのはいつのことでしたか、そう遠くないはず、と思いながら、今日わたしは賞味期限切れのおにぎりを40個捨てました。食べ物を捨てるのはしのびない、という気持ちはみな同じです。「これ、使ってください…。」と炊き出しをしている避難所でそのおにぎりをいただきました。新品の食べ物を捨てる初めての経験を、わずか数週間前まで食べ物がなくて困っていた場所でするなんて、今の日本を象徴しているような気がしました。今この町は日々すごいスピードで動いています。ものが足りなかった時期からものがあまっている時期へと移行し始め、今この町にエネルギーをおくるのは人の力、ということをみんなが感じ始めました。
湊中の炊き出しも日に日に楽しみにしてやってくる人たちのコミュニティができています。避難所の人、ご近所の人、ちょっと離れたところから車でやってくる人、各地からボランティアで来ている人たち。挨拶をして一言声をかけるだけで、お互いに笑顔になれるひとときがあります。
午後渡波地区の避難所の薪をチェンソーでタマ切りしてほしいとの連絡を受けたので、先日から一緒に炊き出しをしているユウキくんと3人で行って来ました。山積みになっている材木に、チェンソーを持った匠くんひとり。いつまでかかるかなあ、と思いきや、いきなり現れたヒロさん&信濃大町チェンソー部隊。4台のチェンソーであっという間に作業が終わりました。ユウキくんもはじめての薪割り、がんばっていました。
それから用事があって湊小学校に寄りました。あの泥だらけだった場所が今ではスリッパをはいて動き回るほどに綺麗になっていました。わずかひとつき、人の力でここまで変われるのです。 (よ)


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朝のミーティング、湊中の風景2011年4月12日 (火)
余震

毎日のように余震がある。僕は初め、余震は本震よりも小さくなるから・・・・みたいな感じでとらえていたのだが、ちょっと甘かったみたい。復興という意識を持って毎日炊き出し、そして避難所の環境をより良くするような活動を行っている。この活動は物を綺麗にするという事よりも、みんなの気持ちを一緒に少しでも持ち上げられたら・・・という思いが大きい。
その一生懸命、毎日の積み重ねで少しずつ上向きになった気持ちを、余震というやつは、まるで頭にハンマーを振り下ろされたかのように、底辺まで打ち戻されてしまう。これは僕自身の感じ方だ。僕でもそんなふうに思うのに、被災された方の余震に対する気持ちの沈みようは計り知れない。誰に言ったらこれ以上の地震を止めてもらうことができるんだろう・・・なんて意味の無いことすら考えてしまうほど、止められるものならば止めてもらいたい・・・・って考えるのも意味の無いことなのか。
しかし「先が見えない」訳ではない。10歩先は確かに見えない、1歩先も見えないかも。だけど0.1歩くらい先は確実に見えている。瓦礫の山に囲まれた場所で仕事を再開した話も聞いている。家を失ったが、すでに新しく住む家が見つかった人もいる。ホンのちょっとの事がホンのちょっとずつ時間と共に進んでいるのである。進もうとする意思さえあれば、必ず、100パーセント、確実に、進むのである。


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巨大チャーハン、湊中の風景2011年4月11日 (月)
震災からひとつき。

道路の瓦礫は道の端に寄せられ、車も両車線通れるようになり、ガソリンスタンドも今では普通に給油ができるようになりました。避難所にいる人たちは仮設住宅の申し込みの話をしています。今朝は街中が大渋滞しており、炊き出しの機材と食材を積んで50分も道路の上にいることになりました。
これまで食事を届けていた場所も、今日から仕事がはじまることになり、配給場所にしていたところも使えなくなりました。これまではみなさんに温かいものを食べていただけるようにと配達していた場所も、少しずつ生活のリズムを取り戻し始めたところには、自分たちで食事を作っていけるようなサポートをしていく時期なのかな、と感じています。もちろん、避難所として炊き出しが必要なところは今後も続けていくつもりです。ここのところ湊中学校で昼の炊き出しをしています。
「母校、湊中のことありがとね。高円寺のデモ熱かったです。」友人ヒロアキからメールが来ました。彼の故郷ということは知っていましたが、母校だとは知りませんでした。今日のメニューはチャーハンと野菜たっぷり炒め、お漬物、デザート。今日は四万十塾木村とーる氏が腕をふるい、味もパフォーマンス性もバッチリ、みなさんに喜んでいただけました。
夕方渡波地区の避難所に寄りました。津波で流されたときに耳に詰まった泥がようやくとれた、と話していた女性、「孫と一緒に流されてね。気を失って自分だけが助けられていた。孫は先のフェンスにひっかかって遺体で見つかってね。未来ある人が助かってほしかったのに。」 今でも瓦礫の撤去には気をつかいながらの作業が行われています。震災からひとつき、今日も大きな余震があり、その後も2度、3度と余震がつづきました。今夜は雨。わたしたちの滞在しているボランティアセンターの中ではそれぞれの報告をしあったり、PCをひらいて事務作業をしたり、今日来た人、明日帰る人、いろいろなものが交差しています。 (よ)


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自分の得意技を知ってもらう方法、みなと食堂2011年4月10日 (日)
日に日に湊中。

朝から湊中学校。8時半頃湊中に着くと、いつもの通り橋本さんがお掃除をしてくれていた。土足で出入りしている武道場の床を毎日朝早く掃除をしてくれる橋本さんには頭が下がる。橋本さんも家を失い、湊中学校に避難されている方の1人だ。
本日は炊き出しの場所を3箇所、行ったり来たり。限られた機材を料理に合わせて次の場所へと運ぶには、結構頭を使った段取りが必要。自分達が決めた段取りに忘れ物が無いように指差し確認なんかしちゃったりする。なんだか自衛隊みたいかな。よし子にタッチ。 (匠)
先日東京で報告会をしたときに来てくれた中野山岳部3人チームも得意の大工仕事を活かして湊中の環境整備をしています。同じ場所で作業をしているので、困ったときや手をかしてほしいときにはほんと頼りになります。みんながそれぞれの得意分野で、できることをして、ここ石巻を応援しています。
ラジオで菅総理大臣が石巻に来たと言っていました。明日で震災から一月になります。はからめランドをあとにしてから一月が過ぎました。楽しみにしていた山菜も、切った木の運び出しも、畑も、テントも、保存食も、すべてがおきざられたまま時だけが過ぎていきます。(よ)


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自分の得意技を知ってもらう方法、みなと食堂2011年4月9日 (土)
黒くないけど雨

確実に放射能を含んだ雨が朝から降っている。放射能に対する考え方は人それぞれ。僕達はテレビやラジオ、そして一緒に活動している他のボランティアとも一線を引き、自分たちで自分達の身を守ろうと食事などの対策をとることを2人で決めている。食事は玄米、梅干、味噌、徹底してこれらを口に入れるようにしている。がしかし、炊き出しをしたり、避難所を回ったりしていると、いろんなものが口に入ってくる。これは仕方がないと思っている。意識をして自分達は自分達の身を自分達で守らなければいけないと、強く感じる。
今日は湊中学校の炊き出し場となっている武道場でほとんどの時間を過ごした。炊き出しの準備、デリバリー(湊中を中心に近所へご飯を配達している)、そしてもっと環境を良くしようとさらなる清掃。割れたガラスを取り外し使えるサッシを一箇所に集めたり、ずっと武道場の中に置いてあった泥だらけの車をみんなで動かしたり、見た目もずいぶんと綺麗になった。
避難所を周っていて聞く声の1つに、物資は届いているのだが、毎日菓子パンやコンビニおにぎりが沢山届いてちょっと困っているというのがある。いくつかの避難所には、被災者の方々が自分たちで自炊できるように薪ストーブやガスコンロが置いてある。しかし、震災後1日1食の生活をしてきた方々は、食料のパンやおにぎりを捨てる事ができないがために、それらを食べ続け、体調を崩しているといった声が聞こえてくる。おばあちゃん達がせっかく頂いたカップラーメンのスープを残してはいけないと思い全て飲み干す日が続き、やはり体調を崩してしまっている。本当に小さな場所に小さなところに目線を向けるだけで、このようにさまざまな問題がどんどん生まれていることを感じる。問題じゃないところを探してホッとしたいが、それが難しい。1つ1つ解決していく、0.1%ずつでも解決していく、解決の半分かも。そうすれば必ずいつか復興という文字に近づいている事を感じられるのだと信じて。  (匠)

今日友人からガイガーカウンターというものが届きました。日々、あわただしく目の前にあることをこなしていってしまい、身を守るところまで到達できていない中、この支援はかなり重要なポイントをしめることになります。そして石巻にいても忘れてはいない福島の「はからめランド」に行くときにも、役に立つでしょう。この装置の役割は放射能を計ることです。 (よ)


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フォトグラファーarito、炊き出し炊き出し2011年4月8日 (金)
炊き出し。

昨日の地震の影響で、本日のボランティア活動は自粛という伝令がありました。地震でもお腹はすきます。炊き出しチームは簡単なメニューででもやろうということで自己責任で湊中、大街道小、釜小に食材を積んで出発しました。単独で動かず、誰が何処へ行く、ということを確認し合い、ラジオを持って行きました。わたしたちは大街道小の「ブロードウェイ食堂」のランチと、釜小の「ロックンロールSDF食堂」での夕食を作りました。このネーミングはフォトグラファー有人(ありと)氏によるもので、なかなか楽しいと思うのでご説明します。ブロードとは大きいとか広いという意味でウェイは道、大街道とかけてブロードウェイ食堂と名づけたそうです。そして釜小学校の方は、石巻を横文字でロックンロール、SDFとはSelf Defence Force(自衛隊)の略で、こちらの食堂は自衛隊さんと一緒にやっていますのでこのネーミング。有人さんは昨年の「カヌーデイ’100」のときのカメラマン、石巻で一緒に活動する仲間として再会しました。大きな余震で不安定な状況のなかでも、楽しいことや前向きな考えを忘れずにやっている仲間とだから、今日もなんとかのりきれました。津波も来なくてよかったです。地震から4週間たった今でも、まだまだ安心はできない状況で過ごしているということを再確認する日でした。 (よ)


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瓦礫の中の日の丸、石巻の缶詰2011年4月7日 (木)
地震。

朝、大街道小学校の炊き出しのお手伝いに行きました。地元高校生やお母さん、東京のボーイスカウトの方と、炊き出しのチームワークも包丁のリズムと共にあがっていきます。そのままわたしたちは午後の炊き出しをする釜小学校を見に行き、鹿妻地区の住民の方とお話をしたりしながら物資を配り、午前中を過ごしました。津波にあった経過やそのあとの生活など、話をゆっくりときいてほしいという感を受け、玄関先や通りで話を伺いました。もちろん必要なものもありますが、ものを渡すという行動から心を軽くしていける支援へ、炊き出しして配るところから、座ってゆっくりお茶を飲めるような場所をつくっていくことへと準備をしていこうかと思いました。夜のミーティングでも、家の前につっこんでいる車を出してあげたり、泥出しをしてあげることでその家の人の悩みが1つ解決して心が軽くなるという話を聞き、もっともだと思いました。
ここまで書いている途中に大きな地震が起きました。夜中12時近かったと思います。これまでの余震とは違うかなり大きな地震で、センターのみんなも戦闘態勢。ストーブを消し窓、ドアをあけ、外へ出ます。ラジオをつけ情報をきいているところで停電。発電機を持ってきて投光機をつけて照らします。ラジオ情報では震度6震源地は宮城県沖震源の深さ40km、津波の高さ1.5m。近隣の人用にライト、乾電池などを外におき、今後の行動のために待機します。停電は続きましたがその後の行動はセンターで待機ということで、みないつでも出動できる準備のもと、仮眠して朝をむかえました。 (よ)

物資物資、朝のミーティング2011年4月5〜6日
再び石巻へ。

5日、物資と人を乗せて石巻に向かいます。途中必要なものを調達しながら、到着したのは真夜中を過ぎ、車の横にテントを張って眠りました。私達ボランティアの拠点は、車の数も、人の数も、前回とは比較にならないほど。状況がずいぶん変わっていることが見てとれます。現場での一週間は一ヶ月くらいのスピード、そんな印象を受けました。
6日、朝7時のミーティング後、午前中はガッテン率いる泥出し隊マッドバスターズと、あさやん、ごんたの炊き出しチームと行動を共にしました。ここ湊中学校もやはり前回とは比べものにならないほどきれいになっており、人の動く力がどれほどパワーを持っているのかを感じました。ここまで頑張ってきたみなさんの努力、ほんとすごいです。マッドバスターズ最高!炊き出しチーム素晴らしい!
午後は前回薪ストーブを設置した2箇所の避難所を回り必要なものを届け、今の環境についてお話を伺いました。10日でずいぶん変わりました。お天気のいい日中は、ほとんどの人が自宅に戻って片付け作業をしていて、中には仕事に行っている人もいるとのことでした。医療チームや市の職員、心配して訪ねてくる親類友人たちが来るので、ひとり留守を守る人がいて、みんなは食事のときと寝るときに帰って来るそうです。
それから湊小でボランティアをしている方と連絡をとって会いに行き、今の状況を教えてもらいました。 (よ)

2人のカヌーイスト、マッドバスターズ午後、ちょっと面白い繋がりで知ることとなった1件のお宅を訪ねさせていただいた。旧北上川沿いの1軒屋で津波により住める状況に無かった1階のはずだが、すごくがんばって綺麗にしたあとがあり、かなり生活感が感じられる部屋となっていた。避難してきた親戚を含め3世帯が2階にて生活を営んでいるとのこと。みんなから預かっている支援物資などを届け、「思い」の橋渡しをさせていただいた。本日、他の避難所でも喜んでいただいた物資の1つに「スリッパ」がある。屋内に溜まった泥を出し水拭きまでしたものの、土足での生活を続ける限り、外の土を運んできてしまい、また汚れるのが分かっているのにまた掃除をしなければ・・・という現状がある。床だけならば、靴を脱ぐところまで徹底的に掃除するのもありだが、畳の部屋などは使えなくなった畳をはがしてあったりするので裸足というわけにはいかないのである。そこで重宝されるのがスリッパ。これがあると、「ドキンちゃん」ができるのである。なるほど、スリッパは次なる生活への第1歩(第1足か。)となるのである。実はこれ、僕の同級生である、かよちんの一言から繋がったご縁。人の繋がりの中でしか人は繋がらないのは当たり前なのだが、人と繋がっていればどんな人とも繋がるはず、なんて大げさかもしれないけれど本気でそう思えてしまった。そして素敵なご家族に会えたことが僕達にとっても嬉しく、なんだか勝手に思っているだけなのだが今日はいい日を過ごすことができた。明日はどんな出会いがあるだろう。  (匠)

想像力2011年4月4日 (月)
想像力

僕達を通しての支援、そして活動資金へのカンパをしてくださった方々、本当にどうもありがとう。頂いたメールに対し返事ができず申し訳ないが、ご理解いただけると嬉しい。
さて、僕達は明日の出発のため準備をしているのだが、昨日に続き僕達から大切なお願い、のようなもの。
1日、2日と人前で僕達の活動報告をさせていただいたが、それはあくまでも僕達独自の活動を報告させて頂いたことをご理解頂きたい。みんながそれをやっているわけではないし、みんながそれを求めているわけではないということ。
例えば僕達が設置したら喜ばれたよと報告させていただいた薪ストーブセット。それは僕達が長い間そのストーブを使い続けた経験を元に僕達が責任を持って取り付け、そして使い方、危険性なども含めたうえでサポートできると思い、現地に設置させていただいているものだ。よって、「そうか、薪ストーブが重宝されるんだ」と思った方々が現地に何らかの手段を使って薪ストーブ一式を届けていただいても、受け取ったボランティア側は「なにこれ、誰が責任もって設置するの?」となり、ただただ迷惑となってしまうのである。実際に避難所では火の取り扱いから生まれる火事が報告されている。設置して「ああ良かった、それじゃあとよろしく」では終われないものなのである。薪ストーブに関しては僕達の器量と相談しながら、支援して頂いているお金を使い購入し現地へと届けるので、見守っていて頂けると嬉しい。
また、自分のできることはこれしかないと思い、ダンボールに沢山の思いを詰めてやはり現地に届けられるケースもある。足の踏み場もないほど物資が集まっている場所でそれを仕分けをするのは人間と時間のロスとなる。もし、その仕分けをしなくて良ければ、その1人が1箇所の泥だしや、1箇所の炊き出しなどの力となるのである。ボランティアや物資を受け入れる側の方々の事も想像していただければと思う。「今、自分にできること」とは「自分でできること」なのか「他人の力を借りなければできないこと」なのか・・・・今、行おうとしていることがあるのであれば、できる限りの想像力を膨らまし、もう一度良く考えてから行動にうつす事をおすすめしたい。
現地状況は日々変化している。僕達は、一瞬の浦島太郎を感じてからの活動となるだろう。  (匠)

トーク、仕分け作業2011年4月3日 (日)
新月、仕分け、はからめからの大事なお願い

昨夜からの流れで匠の同級生たちが雑魚寝しています。震災以来、こんなに友人たちがあつまってディスカッションする機会などなかったでしょうから、自由にしてもらっていました。朝から荷物が届き、何度も鳴るインターホンにみな今私達が何をしているかをリアルに感じてくれたと思います。届いたダンボールが積み上げられ、みんなが寝ている毛布と食事と人がひとつの部屋でところせましとしている風景、なんだか見たことあるような…。なかば強制的に起こしてヨガで目覚めてもらった後、掃除や片付けなど分担して手伝ってもらい、みんなは東京でできることをしていくといって、わたしたちを勇気づけてくれました。匠はいくつかの用事をすませに川崎の街へと出かけていき、わたしは 「ピンポーン」がいつくるかわからないので、集会所となりつつあるこの家で留守番&仕分け作業に従事しました。丁寧に梱包していただいて、心遣いが伝わってきます。全部あけて、もういちど集まったものを仕分けする作業をしているうちに日が暮れていきました。
ここで、はからめからの(石巻の現地スタッフからもです!)大事なお願いをさせていただきます。みなさんから善意で物資が届いております。が、こちらでは常に物資を募ることはしておりません。必要なものを吟味して、自分たちで責任を持って設置できるもの、渡せるもの、使えるものだけを運びたいと思っております。わたしたちが直接お願いした方以外、こちらに物資を送ることはご遠慮ください。今いちばん必要なのは、モノより人間なのです。
夕方カヌー仲間のセナパパ&フーリンがきてくれました。わたしの気持ちを察してくださったのでしょう、遅くまで仕分け作業を手伝ってくれました。その後、先日の報告会でのスライドを見ていただいて、そこからまた熱いトークがはじまりました。 テーマは「エネルギー」。
よ 「地球に安全なエネルギーの開発が必要…。」
セナパパ 「バッテリーに変わる蓄電できるものがあればね、」
よ 「なぜこんな大変な事故が起きたのに原発やめないんだろう。」
一同 「お金の流れと直結しているから。経済システムを変えないと。」
フーリン 「原子力の危険性、怖さを知らない人が多い。原子爆弾ではない、放射線の怖さを知らない人が多いのよ。」
よ 「電気を使わないようにするっていうのは?」
一同 「ソーラーなどで自家発電して電力を自給していくことも選択肢の一つだね。」
セナ家がお帰りになったあとは、うちに宿泊しているヨッシーとの話になりました。 テーマは「ザ・石巻」。新月の今夜はみんなで話し合い、こうなったらいいね、という希望を持ち、月に願いを届けました。
こちらでも毎日人が動いています。 今日も石巻入りする仲間からのメールが届きました。現地でがんばっているみなさんのことを思いながら、こちらでできることをしています。出発まであと2日です。 (よ)

ohanaで、横浜邸で。2011年4月1〜2日
報告会

1日。わたしたちがいつもお世話になっている三軒茶屋にあるカフェohanaで、震災後のわたしたちの活動の報告会をさせていただきました。現地の状況や今必要とされていること、これからどんな支援をしていくか、といった、テレビやメディアだけでは伝えきれない生の声を少しでも届けたいと思い、企画させていただきました。実際に現地入りする方々にお集まりいただき、「水害ボランティア虎の巻」という装備のチラシのコピーをお配りし、現地での注意事項やボランティアの様子などをお伝えさせていただきました。わたしが感じたことは、みな何かをしたいけれど、何をしていいかわからない、もんもんとした日々をおくっている人がとても多いということです。この日は現地入りをする予定の人たちが多く、情報を求めて集まってくれましたが、現地に入れないけれど支援したいという人たちからもカンパや物資提供などを受けました。支援の仕方は人それぞれ得意分野があると思います。カンパしてくださったみなさん、直接現地の役に立つことに使わせていただきます。
2日。横浜の匠の実家にて、地元の人や友人知人に集まってもらい、報告会をさせていただきました。 テレビでしかわからなかった状況を、現地の写真や現在活動しているなかまたちの様子などまじえてお伝えすると、みな真剣に話を聞き、質問や情報の交換で話は日付が変わっても終わりそうにありません。「節電して部屋縮小するよ。」というと、「出た、節電。また節電かよ。」という声も聞こえ、節電に関する考え方は人それぞれのようです。匠はここでボランティアとして現地入りする若手をハンティング。5日の日に一緒に車に乗って石巻に向かうことにしました。不安もあるのでしょう。いろいろ質問を受けましたが、実際に自分の目で見て体験して、そして力になってほしいと思います。 (よ)


関連サイト: Ohana
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