風車はアビの家から見えるところに2機 2009年8月31日 (月)
南伊豆に風車が建つ

朝5時、ムカデに顔を噛まれて起きる。よし子が雨の降る中車までヘビイチゴの焼酎漬エキスを取りに行ってくれ、それを塗ってくれる。ジ〜ンとした痛みは続いたが、どうも刺される前だったらしく、大事には至らずに済んだ。
台風が近づいており、雨がよく降っている。そんな天気なので、本を読んだり、音楽を聴いたり、午前中はまったりとした時間を過ごす。リサはアメリカに行っていて今日はいない。2階ではアビが「やったぁ、あいつが落ちた、あっ、あの人も落ちた、なんだっけ、酒飲んで会議出たやつ・・・・」と、昨日の選挙の結果を情報を教えてくれる。
雨の中ベランダに出ると、家から見えるところに巨大風力発電機が建っている。ひとつは450m、もうひとつは350mしか離れていないところに建っているため、かなり近く大きく見える。この風車はアビや近くに住む仲間達が長い時間と沢山のエネルギーを使って何とか食い止めようとしていたものだ。約半年前に行なわれた南伊豆町の町長選挙で風力発電反対を訴える立候補者が落選した事で一気に工事が進んだようだ。
子供の頃からこの山を見てきた人たちは「こんなデカいとは思わなかった・・・」「もうこの山は拝めねぇ・・・」など、真実をできるだけ知らせないようにしてきた建てる側の人たちに騙された気持ちを抱く人が少なくないという。しかし本番はまだ、なぜならまだ羽根が回っていないから。羽根が回り始めると、ブオンブオンという風を切る音が一日中絶え間なく聞こえる。そしてその音は人間が聞く事のできない低い周波数を同時に生み出し、その低周波は人体に影響があることが既に分かっている。しかしその真実も「聞こえないから大丈夫です。」「どこどこではそのような被害は出ておりません」という建てる側の人たちによって隠されてきた。地元の人たちに軽く考えさせ「なら別にいいか、クリーンエネルギーだし・・・」と本気で反対に回らせないようなマニュアルがどこかに存在するのかもしれない。
「J」ファーマーズマーケット、巨大ヤツデに被われたはからめキャンプ場現在発売されている雑誌「SPECTATOR」では、南伊豆の特集を組んでおり、その中で風車問題などにも触れているので書店でぜひ手にとって読んでもらいたいと思う。素敵な表紙の10周年記念号だ。
投票しに南伊豆まで来るという事は、僕達の住民票はまだ南伊豆にあるという訳だ。その住所でもある1年前には開拓の日々を送っていたはからめキャンプ場にアビと3人で足を運んだ。想像を超えたジャングルが目の前に広がる。全て刈って一度は少なくなったように見えた巨大ヤツデが元通りどころかそれ以上になっている。時間をかけて積み上げた石垣がどこにあるのか、あまりにも多すぎる緑に視界をふさがれて見つけるのがとても困難だ。南伊豆はすごい、その一言でまとめるにはちょっとすご過ぎる。
カレンダーを取り扱ってくれているよろずやさん、そして近年にオープンした「J」ファーマーズマーケットによって仲間に会いいろいろおしゃべり。南伊豆を後にして毎度お馴染み修善寺にあるtuttycafeに向った。
tuttycafeで僕達を迎えてくれたのはツッチーとユタカさん、そしてちょうど岡山から来ていたべっちゃん、そしてもう1人は新しい地球人、ツッチーとユタカさんの間に生まれた瑛櫻(えいおう)君だ。本当にかわいい瑛櫻を見ながら頂いた美味しいご飯と美味しいお酒は、僕をストンと夢の世界へと運んでくれた。   (匠)


関連サイト : SPECTATOR よろずや 「J」ファーマーズマーケット tuttycafe

食事は囲炉裏で、水は沢から 2009年8月26日 (水) 〜 30日(日)  晴れのち最終日雨。
森の生活

24日、東京での用事をすませ、25日、食材などを調達して26日早朝、再び塙町へ出発。ホームセンターで薪ストーブと耐火煉瓦を購入。農産物直売所へ寄って、はからめランドに着いたのは夕方。火を熾して夕食の準備、日が暮れて、あっという間に今日が終わる。
27日、意識の遠くで聞こえている鳥の声でゆっくりと目が覚める。外が明るくなってきて、朝になったのだと知る。テントから出て長靴を履き、沢で顔を洗っていちにちがはじまる。木々の間から射してくる朝日を浴びながらヨガ。朝食を考え、火を熾す。昨日焼いたベーグルのオープンサンドと挽き立てのコーヒーで森の朝食。
今日はタープに垂木を打ちつけ、杉の生木の柱に発生したカビを拭きとる作業。昼食は昨夜の玄米をつかって火を熾さなくてすむ焼きサバ散らし寿司をつくり、午後の作業を話し合う。水場を整地、草を刈って燃やし作業、いくらでもやることはあり、終わりはない。今回は限られた日数でやれることをやるのみ。草刈とともに「ウワバミソウ」を収穫して、火を熾して夕食の準備をする。葛の花の三杯酢、ミツバのおひたし、生えているものをいただく。
薪を並べる、テントはこんな感じ28日、薪づくり作業、食べられそうな野草を探してテント付近に移植、草刈、焚き火、おいしい食事とちょっとのお酒。
29日、薪置き場をつくる。明日この森をあとにするため、食材を片付け、仮キッチンとしていたスクリーンテントをたたむ。明るいうちに夕食をつくり、手早く片付ける。
30日早朝、囲炉裏に火を入れ、朝食とお昼のためのお弁当をつくる。荷物を車に積みこんだあとで、雨が降り出す。なんだかいつもタイミングが良い。植物に恵みの雨、コーヒーを飲みながらタープの下で森の生活を終える。生えている蕨をおみやげに、選挙に投票するため、南伊豆へと向う。 (よ)

柿渋を塗る匠、骨組み 2009年8月16〜23日 
屋根、テント、生活

ゲストが来てくれたり、お盆のイベントがあったりなどでなんだか非日常な感じがあったけれど浮かれた気分ばかりではいられない。そろそろ僕達の季節仕事であるカレンダー&手帳を制作しなければいけなくなってきた。カレンダーのデザインや印刷などはコンピューターとかプリンタとか電気がどうしても必要なので、まだ横浜での作業となってしまう。
そう考えスケジュールを組むと、はからめランドに費やせる時間も限られてくるというわけだ。
実はこの文を書いているのは24日、横浜にて。はからめランドでは、なかなかパソコンを開こうという思いが生まれない。梅雨の時期は、雨で何もやる事が無く文章を書いていたが、梅雨が明けて毎日朝から夕方まで作業をしていると、とてもじゃないけれど・・・・・。そんなで16日から23日と8日間もまとめて書いてしまうが気にしないで頂きたい。
先日、簡易的に張った白い屋根があまりにも弱かったのでいろいろ考えた。その結果今回の写真を見ていただいて何となく分かるように、木の柱を立て、できるだけ頑丈にする事にした。
よし子の料理、屋根をかける
柱になる材ははからめランドで育っていた杉の木。デッキの土台を作ったときと同様、切り倒して皮を剥き、柿渋を塗って使っている。しかし防腐、防虫の効果があるといわれている柿渋を塗っても、何日か建つと木の表面に白いカビが発生してきてしまう。やはり切りたての生木を使うという考えが甘いのか・・・・。と思いながらも、材を他から買うことは考えられないので、カビては拭き取り、またカビては拭き取りを根気よく続けるしかない。それでもやはり柿渋は効果があり、塗ったところとそうでないところは、カビ具合が違う。
今回は設計図を描かなかったので、途中ちょっとやり直しがあったりはしたものの、ボルトで締め上げた柱は組めば組むほど頑丈になっていく。前回の事もあり、住むところにはやりすぎるって事はないと思い始めているので、1本6,70円のボルトを使えるところには使うようにしてみた。柱を揺らしてみると、もちろん揺れはするのだが徐々に揺れが少なくなっていき、そのボルトの効果を感じる事ができる。
きゅうり、おうち 僕は木を組んだりシートを張ったりとしている間、よし子が毎日毎日ご飯のメニューを考えて作ってくれていることには感謝している。どこかの家庭では男が働き金を稼ぎ、女は家で食事などの家事をすると決まっているようだが、新しい生活のスタイルの確立を目指している僕達は、そうと決まっていないので、当たり前に感謝しているのではなく、本当に感謝しているわけだ。そんな食卓にのぼったのは1本のキュウリ。なんとこのキュウリ、何も植えていないのにどこからかタネが混ざって苗が育ち、ついにプリプリの実を付けるまでになったので収穫させてもらった野生のキュウリだ。パリッとひとかじり、これは本当に素晴らしく最高に美味しい。ヘタはもちろん茎のぎりぎりまで食べてしまった。
21日、無事にシートをパンと張ることができたので、しばらくペシャンコになっていたコールマンのエマージェンシーシェルターを建て、なんだかやっと生活感を感じる準備ができたような気がしてきた。屋根の白いシートは、雪の事も考えて、後日もう少し丈夫にしようと思っているが、ひとまずなんとか形になった。
この先もまだ課題は残っている。食事を快適に作るには、どこにどうやってキッチンを構えれば良いか、薪ストーブをテントのなかで使用したいのだが換気や煙突の位置などはどうするか、などなど。これからはカレンダー作業とはからめランド作業を同時に進めていかなければならなくなるのだが・・・・両方とも楽しもう、それしかない。   (匠)

沢山の人で賑わう塙町の夜、片貝の盆踊り 2009年8月14〜15日 
片貝盆踊り、塙町燈篭流し花火大会

この時期は全国的にお盆時期。夏休みをとって長期旅行や帰省する方も多いことだろう。
僕達のいる塙町の片貝という集落にも沢山の人が帰ってきているみたいで、車の通りがいつもよりも多い。そんな、みんなが帰ってくるお盆の時期にはイベントが目白押し。というか本当は逆でお盆という一種のイベントがあるからみんなが帰ってくるのだけれど。
昨日、お隣の石黒さんが「明日片貝小学校で盆踊りがあるから行きましょう」と誘ってくれたので、町のイベントに参加させてもらう事にした。車で約10分位の片貝小学校へ行くと校庭の真ん中に立派な櫓(やぐら)が建っていて若者が力いっぱい太鼓を叩いている。一緒に行った石黒さんのお母さん(おばあちゃん)は早速、櫓の周りで独特の踊り。すると年配の方が集まってきて同じ踊りで列を作り櫓の周りを回る。ジャニーズだかなんだかのマイケルジャクソンの真似っこみたいなやつなんかよりぴったり息が合っている。なんだか人間じゃない何かの息に合わせて踊っているように見える不思議な呼吸だ。でもそういうことなんだろう、お盆っていうのは。ご先祖様を迎え祀るというが、そんなに難しいものではなく霊界と人間界の間が無くなって満月の夜に一緒に踊るといったような楽しいイベントなんじゃないかなぁって、踊っているおばあちゃんの顔を見ていると優しくそう思えてきた。
次の日は、塙町の花火大会。道の駅近くに大きな花火が上がる。商店街には屋台が立ち並び、どの屋台も人が並び盛り上がっている。へぇ〜なんだか珍しいなぁ〜と思いよく屋台を見てみるとなんだかヤクザっぽくない。町の屋台は普通そっち系の方々が出店しているが、ここ塙町の屋台は近所のおばちゃんやお兄さん、子供たちが物を売っている。これは面白い、ゆっくり歩いて20分くらい続く賑やかな道を歩くと、なんだかいい感じに包まれた。
田舎でのお盆は、正月と同じくらい大きな行事なんだととてもとよく感じた2日間だった。そして、どこの催し物へ行くのも車での移動なので、帰ってから1杯飲むのだけれど、ホント1杯で眠ってしまうのが最近。  (匠)

夜はパーティー、美雪さんと 2009年8月11〜13日 
はからめランド、初ゲスト。

11日、朝7時20分JR川崎駅集合。集まったのは僕達と美雪さんの3人。美雪さんはメキシコ、スペイン、ニューヨークなどいろんなところで生活をしていた経験を持つ、面白くいろんな体験が詰まっている素敵な女性だ。僕がメキシコを旅しているときにいろいろお世話してくれたのが出会いだ。その後、オランダへ向う僕達と、スペインから帰ってきた美雪さんとが成田空港でバッタリ会ったりなど、いろいろな縁で現在に至っている。
はからめ号に3人乗り込み塙町へ向い、昼過ぎに到着。自然のなかで気持ち良さそうにしている美雪さんを見てなんだかホッとする。久しぶりにはからめランドに来てまず驚くのが草が伸びまくっている事。梅雨の時期に約20日間空けていたのだから無理もないか。まずは草刈からスタートし、「普通に生活ができる状態」をつくるのが本日の目標。無事にご飯を作る事ができ、はからめランド記念すべき1人目のゲスト美雪さんとウェルカムパーティー!頂いたお酒で楽しい夜を過ごした。
犬も一緒に、のんびりとした時間12日、今日はなんと、早くも次のゲストが登場。ポンチチ、真実さん、そして犬が4頭の佐々木ファミリー。いつも2人だったはからめランドが一気に賑やかになる。
先日購入した倉庫にしようと思っている簡易テントを手伝ってもらいながら建てる。佐々木ファミリーが用意してくれたシャンパンで乾杯、夕食はやっぱりパーティー。そして来る途中に寄ってきたという小名浜漁港の海の幸などなど、気が付くと時計の針は12時をとっくに回っていた。僕達がこの地へ来てから、12時を超えたのは初めてだった。
次の日、人間5人、犬4頭、みんなで一緒にはからめランド内を散歩、というか探検。お昼ご飯をみんなで一緒に食べて、それから佐々木ファミリーは次なる目的地、那須へと出発。僕達は美雪さんと一緒に下草狩りに励む。
11日に塙町へ来て、14日JR磐木塙駅で美雪さんとお別れするまでの時間の流れはとても速く、気が付いたらいつもの2人になっていた、とそんな感じだった。やはりゲストがいる楽しい時間は特別なもの、長くは続かない。大切なのは生きていく大半を占める「なんでもない時間」だ。楽しかった時間の事を振り返りながら2人の時間の流れにゆっくりと移行していく。いつかその「なんでもない時間」が本当は特別なんだという事に気が付く日が来るのは分かっているのだけれど・・・・・・。  (匠)

集まった親戚達 2009年8月9日 (日) 
四十九日

先月、7月8日に僕の祖父、山田武雄が死んでしまった。89歳だった。 おじいちゃんは若い時から視力が悪く、孫の僕が生まれた頃には、昼と夜が分かる程度で殆ど目が見えていなかった。顔で子供達や孫達を覚えることができないおじいちゃんは、声だけでみんなの事を覚えていた事になる。気配も読み取っていたかも。 会いに行くと「たくみ〜よく来てくれた〜ありがとう〜」と迎えてくれた。「ありがとう」が口癖で、いつもいつも、何かある度に「ありがとう、ありがとう」と言っていた。甘いものが好きで大福や饅頭を食べると「おいしい、おいしい、ありがとう」と自分の気持ちに素直で真面目でいつも一生懸命な印象がある。思い出すと笑っている姿が一番に浮かんでくる明るいおじいちゃんだった。
そのおじいちゃんの四十九日の法要があり、親族一同がお寺のある浅草に集まった。 この写真は僕の従兄弟(いとこ)とその家族達。おじいちゃんには3人の娘がいて、その3人には3人ずつ子供がいるので、従兄弟は僕を含めて9人。みんな近い世代なので話が合う。もちろんおじいちゃん、おばあちゃん、僕達の母親達、誰一人かけてもこの面子にはならなかった訳で、この世の中、長い人類の歴史のなかで偶然なぜか集まってしまった仲間って訳だ。そんな仲なのでまた機会を作ってゆっくりみんなと話したいと思う。
明日から、はからめランドへ行く予定だ。今僕達がはからめランドで暮らしている、テレビや電気やガスや水道がない生活の事をみんなに話すと、いろいろ質問攻めにあったのは言うまでもない。帰り浅草の町をちょっと歩きながら、世の中の大多数は土から遠く離れて生活をしているんだなぁと、分かってはいたけれど、本当に大大多数なんだなぁと改めて感じた。
ここでおばあちゃんの話を少し。武雄おじいちゃんの奥様であるおばあちゃんの名前は、かめさん。なんと双子でその姉妹は、つるさん。顔もそっくり一卵性双生児だ。いつかあった金さん銀さんブームの次のブームが来ると信じて疑わないのは僕だけかな・・・・・?  (匠)

熱帯魚が泳ぐお店、橋の上から花火を見る 2009年8月6日 (木)  満月 
ハチガツムイカ

8月6日は人類にとって特別な日であることは間違いない。1945年のこの日、人類の人類による人類に向けた原子爆弾が使用されたのである。先日のフジロックの熱がまだ冷めないのか忌野清志郎兄さんが発売禁止になるほど必至に反核を訴えていたのを思い出す。
そんな今日は、よし子母愛子さんの誕生日。家族で集まりちょっとしたお祝い。ビルの間から外苑前の花火を眺めた後、よし子弟のヒデくんが予約してくれたお店は、骨董通りにある水族館みたいな素敵なお店。店内に大きな水槽があり、いろんな種類の熱帯魚?がユラユラ泳いでいる。そこで僕達はビールを飲みながらいろいろ話をし、終電のちょっと前で帰宅。そういえば帰宅途中にふらっと寄ったモスバーガーで食べた玄米フレークシェイクが美味しかったのを覚えている。  (匠)

横浜にて、花火は浴衣 2009年8月1日 (日) 
横浜の花火

どか〜んと天高く打ち上がり、ちょっとだけ開くのを我慢して、次の瞬間一気に四方八方へ向って光を振り撒く。こんなやつは綺麗に決まっている。花火が綺麗なんだから、それに似た人生を送ったらやっぱり綺麗なんだろう・・・・って思う。
2007年、NHKの連続テレビ小説で「こころ」という新潟と浅草を結んだ花火を題材にしたドラマが放映されていた。主人公の女性の名前はこころ。そして最後にこころの心を掴むのは新潟山古志村に住む匠君という花火職人だ。この匠君、僕と同じ名前なのだが、実は名前のモデルになったのは僕本人だという事を知っている人はほとんどいない。(ただ名前だけだけど。)話すと長くなるのであえてここでは書かないが、これホント。そんなこともあって、なんだか一発の花火に自分を照らし合せてしまう。
ここ横浜の花火は何千発も上がるので、1発1発を自分の人生に置き換えて・・・・・なんては考えられないけれど、僕は次々と打ちあがる花火を見ながらただただ思う。全ての花火(人間)は無からはじまり、全ての花火(人間)には必ず綺麗な瞬間があり、全ての花火(人間)は絶対に最後には消えて無くなる。残るのは思いだけ・・・・・・あと写真もか。  (匠)


関連サイト : こころ (Wikipedia)

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