梅干し、テント干し 2009年7月28〜30日 (木) 
お片付け乾燥ヒーリング

イベントから帰ってくると必ずやらなければいけないこと、それはお片付けです。今回はほとんど全ての機材が濡れて泥だらけ、洗濯物も5日分、車の中も外も泥で汚れています。朝から洗濯、そして機材を出して洗います。この作業だけで1日どころか、2日かかったり、お天気によっては3日間お片付けモードなんていうことはよくあります。
28日(火)今日は雨。でも洗濯したいので部屋干しで洗濯しました。部屋があるってすてきなことですね。テントの中ではなかなかできないことのひとつです。毎回キャンプ生活から横浜の街生活に帰ってくると、まずはじめにやることは洗濯です。匠母雅子さんもこの洗濯ラッシュには「毎回大変ねえ。」と協力してくれます。洗濯機を使わせてもらって、干せる場所があるって、ありがたいことです。横浜生活では日々感謝です。
29日(水)今日は晴れたので一気に機材を乾かします。イス、コット、水タンク、クーラーボックス、そしてテント。車の上に使っていたベルト類も洗いました。干す場所がないので歩道をかりて、車や歩行者の迷惑にならないように匠くんと交代で外で作業しながら乾くまで待ちます。ベランダでは寝袋、洗濯した洋服類、布団などを干して、空になった部屋に掃除機をかけました。この時期カビが発生しやすい話をしていたら、雅子さんもお部屋の掃除にとりかかっていました。靴箱、物置き場など、普段締め切っているところも風通しをするために開けて、鈴木家風通しの日になりました。
30日(木)今日も晴天、暑くなりそうです。乾かし作業3日目、今日のメインは梅干しです。梅の土用干しといいますが、3日連続晴天な日がなく未だ梅雨のようなお天気が続き、なかなか干せなかった初めての梅干し作業にとりかかります。樽から出してひとつひとつ笊の上に並べていきます。梅干のいい香りが部屋中に充満して、匠くんがその香りにやられてうとうと転寝しています。イベント疲れがなかなか抜けず、お片付け作業で力が抜けて、窓際で匠くんも干されていました。
お片付けになかなか着手できない場合、窓を開けたり扉を開けて風通しをすると、新しい風が古い空気を吹き飛ばしてくれます。乾燥ヒーリング、オススメです。 (よ)


関連用語(はからメモ参照): お片付けヒーリング

ohanaはこんな感じ 2009年7月23〜27日 (日)
ohana in フジロックフェスティバル'09

フジロックフェスティバル、聞いてはいるけれど行ったことがなかった音楽祭に、いつもお世話になっている三軒茶屋にあるオーガニックカフェ「ohana」のスタッフとして参加する事になった。
22日夜、三軒茶屋。荷物の積み込み、打ち合わせも含め皆集合。ファミコンで「涙の倉庫番スペシャル」という荷物をきっちり詰めるゲームがあったのだけれどそれを思い出しながらはからめ号に隙間無く機材を積み込む。ohanaのオーナーである藤田さん宅で眠り、翌23日朝7時頃三茶をを出発、新潟県苗場に着いたのは11時頃。今回出店するのはNGOブースというエリア、そのエリアの仲間みんながまず会場であるスキー場の外で待ち合わせ、すごく厳しい会場内のルールなどの説明を受ける。何しろ3日間行なわれるこのロックフェスティバルの通し券は4万円以上するものだから、例えば入場証となるリストバンドとか無くしちゃったら簡単に再発行なんてしてくれないし、通れる道や通れない道などが厳しく決まっていたりする。
会場の移動途中にある川、パティ・スミスのライブそして、みんなが準備準備に追われている会場内を通ってNGOブースにたどり着き、みんなに手伝ってもらいながら機材を降ろす。雨が降ったり止んだりの中、濡れちゃいけないものにはブルーシートをかけたりしながらの作業は結構大変。竹とキャンバス、そして麻紐で組んだ「ohana」の看板を掲げると、だんだん雰囲気が出てくる。スタッフ全員集合してミーティング。今回のスタッフはオーナーの藤田さん、悦子さん、その息子コウタ、キッチンを担当してくれるのは青森から駆けつけてくれた元ohanaスタッフのマル君、東京から現役スタッフのワカちゃん、そして昨日から荷物運びに精を出してくれているパワーたっぷりのサミー、そして僕達の8人だ。そんな中僕は設営などの建て込みと、ビールなどのドリンクを出したり(飲んだり)、ブース内に水場がないので6,70m丘を下ったところにある水道からタンクで水を運び1日数往復。それぞれのスタッフがそれぞれの役目にスッと変わって入ったり、みんな忙しくなると臨機応変に対応できたり、キッチンの中の雰囲気は3日間ともとても良いものを感じた。
ストーンサークル、フィールド・オブ・ヘブン苗場で行なわれたフジロックに来たことがある人はご存知だと思うがこのフジロックとは 会場はものすごく広く、ライブが行なわれるステージがいくつもあり、それ以外にもホントに沢山のお店が出ていて、沢山遊ぶ場所があり、小さな催し物が毎日どこかしらで行なわれている日本最大?ともいえる野外イベントだ。参加者はタイムスケジュールを見ながら、会場内を行ったり来たり休んだり。参加者の半分以上は肩からかけられる小さなイスを持っている、確かにどこでも座れるか座れないかで期間中の疲れなどが随分変わってくるだろう、皆ちゃんと知っているんだな。
僕達が出店しているNGOブースはお客さんの数もそれほど多くなく、僕達にとってはちょうど良いペースで3日間が過ぎて行った。途中休憩がてらライブ会場に足を運んだり、あらかじめ見たいライブは他のスタッフにあらかじめ告知しておき、時間になったら「行ってきま〜す。」と出かけたり、ライブも楽しむ事もでき嬉しかった。僕の体内には中学校の頃から今この瞬間まで血液と一緒に、いつでもどんな時でもロックンロールが流れている。(はからめの活動が自然に根ざしているから、僕が環境音楽とかヒーリングミュージックとか聞いているように見られるけれど、ちなみに僕はそんなのはあまり聞きたいと思わない。)そのロックンロールを僕に注射してくれたヒロトとマーシーっていう2人がステージの上で、先日旅立った忌野清志郎兄さんの歌を歌っている。すごく沢山の人達が清志郎兄さんの歌をみんなで歌っている、そんな夜もあった。
アシードジャパンによる紙コップ仕分け、チームohana今回は毎日雨が降ったり止んだり、何万人が移動する土の通路はぐちゃぐちゃでドロドロだ。用意される仮説トイレの数も半端じゃない。そしてゴミの量もすごい。ここ近年、イベントでのゴミを減らすためにディッシュリユース方式というお皿を使ったら洗って返すという方法も広まってはいるのだがこのフジロックの規模でそれはやりきれない。ohanaで販売するカレーも紙の容器、木のスプーン、箸を使わざるを得なかった。そんな中、紙コップは最終日に国際青年環境NGOアシードジャパンのボランティアスタッフが、きれいな物と汚いものに分けてリサイクルに回す作業をしていた。来年のフジロックに使われるトイレットペーパーなどになるという。
26日、夜、NGOブースの打ち上げの食事を最後に3日間の本番が無事に終わる。その後ohana打ち上げがテントサイトで始まる。かなり内容は濃く、朝4時、明るい。よし子とワカちゃんとふらふら散歩がてら音楽が聞こえる方角へ。現地で3人バラバラになり1人で歩く帰り道に拾ったのは、フラッシュライト、ゴアテックスのレインパンツ、普通のレインパンツなどなど、フジロックはいろいろ拾えるとは聞いていたけれど本当だった。朝起きるとチビイスなどよし子の拾い物も幾つか。
27日の撤収もやはり雨の中。はからめ号は泥だらけになりながらも皆の荷物を運ぶ、いいぞ、すごいぞ、はからめ号。帰り道、高速道路、東京の空に虹が見える。昨日寝ておけばよかった・・・・・・とは思わないぞ。三軒茶屋に機材を下ろし横浜の家に着いたのは何時だったろうか・・・・・あと数日間はゆっくり眠ろう。  (匠)


関連サイト: ohana ・ FUJI ROCK FESTIVAL’09 ・ A SEED JAPAN

会場、みんな 2009年7月22日 (水) 新月 
日食

僕は横浜の家にいた。テレビでは、皆既日食が見られる地球のライン上のいろんな所から生中継をやっている。横浜の空の上は左の写真のとおり、どこに太陽があるのかもちょっと分からない感じ。(後で聞くとうす曇の中からはっきりと太陽が欠けているのが見えたというが)
日食の前後には、自然界にいろいろな異変が起こると言われている。僕から一番近い自然界は僕の体内。何かいつもと変わったことないか?何かが違うとか?・・・・・ん〜、特にない。太陽が完全に隠れたら何か変化を感じるのかな。
考えるのは、地球から見た太陽と月が同じ大きさに見えるという事。こんなに広い宇宙の中、どこに浮かんでいても良いのにぴったり同じ。奇跡は奇跡なんだけれど、この奇跡があるから僕達がこの地球で生きていられる訳で・・・・・先なのは僕達じゃなく奇跡。ってことは、この世の最大の奇跡はこれからおこるものじゃなくて既におこっているとも考えても良いわけだ。この奇跡に比べたらこの世の中、たいした事ない事が多い、どうでも良いことが多い、うんざりしちゃったりもする。そんな世の中、何が大切なのかなぁって考えたら、感じられること、ただそれだけのような気になってくる。触ったり、味わったり、見たり、聞いたり、匂ったり。ってことはこの感じるっていう作業ができる「生きる」って事だけが、唯一この世の中で「たいした事」なんじゃないかなぁなんて思ったり。「生きてる、生きてるだけで丸儲け〜」って歌っている人がいるけれど、うん、そういう事なんだろう。  (匠)

会場、みんな 2009年7月19日 (日)
横浜市立市場中学校の同窓会

僕が卒業したのは横浜市鶴見区にある市場中学校。「市中(いっちゅう)」の愛称で呼ばれている。その市中の第0回の同窓会が開催され約60人の同級生が集まった。卒業してから20年近く経ってから初めての同窓会。卒業した時は携帯なんかもちろんメールアドレスも無いし、あるのは卒業アルバムの最後にある名簿だけ。それを使ってみんなに声をかけてくれたのは3年5組だった大串(おおぐし)。3ヶ月前に企画をしてくれて、これまで人集めを中心になってやってくれた大串には手が痛くなるほどの拍手だ、本当にありがとう。
地元市場に定住していなく、福島の塙町にいくと電話も通じない生活をしている僕は、受付を手伝う約束をしていた。夕方5時頃、市中から歩いて10分位のところにあるホテルの会場に大串と2人で向う。「今日は他に誰が手伝ってくれるの?」と大串に聞くと「俺とタックだけだよ(大串は日本で僕の事を「タック」と呼ぶ2人のうちの1人)」とあっさり。「えっ?60人を2人で?」と僕、「なんとかなるべ」と大串。「まあ誰か手伝ってもらおう」と気軽な気持ちで会場に入り、準備を行なう。用意した紙、筆、墨で「第0回市場中学校同窓会」と書いたりすると、なんだかそれらしくなってくる。
2次会、みんなの一言6時前になるとだんだん人が集まってくる。みんながみんなお久しぶりなので立ち止って話が止まらない。気が付くと受付が混雑、すると照井くんが何も言わずにスッと手伝ってくれる、さすがテルチャン、良い感じ。「あそこにいる人誰だっけ?」「あれ、あそこにいるのサジキだよね」、ザワザワザワ。乾杯は、はからめ暦(このWebページ)にも時々登場してくれる地元でペンキ屋さんを営むユウチャン。「かんぱ〜い!」ビールの栓がどんどん抜かれていく。やっぱり最初は女子とか男子とかグループとかだけど、だんだん縛りがゆるくなって解けていく。やっぱりアルコールは僕達の見方だ。3年1組の担任だった灘辺先生よりご挨拶を頂くと、いろいろな先生方の近況も話してくださり、「おぉ〜」とか「えぇ〜」の声が上がる。
今回の同窓会は第0回、まだ連絡を取れてない人たちも実はいる。これは、できれば第0回参加者のみんなから繋がりが見えてきて広がって、それからみんなが集まり第1回を開催しようっていう気持ちを込めての第0回というわけだ。
とにかくみんなの笑顔が時間を包みこみ、あっという間に2次会、3次会、気が付くと外は明るい。始発電車が走っている。そして、鶴見川を見ながら歩く帰り道に思うことは、第1回市場中学校同窓会までみんな手をつないでいて欲しいということと、ただただ元気でいて欲しいということだ。 (匠)

ぺチャンとするとこんな。 2009年7月17〜18日
浅はかな計画はやっぱり良い方へ

防炎シートという白いシートをテントの上の屋根として掛けようと張ってはみたものの「ちょっとこれじゃーダメだなぁ」といった感じ。シートに付いているハトメ(鳩の目のような金具)はそんなに強いものではなく、今晩までもつかなぁってくらいちょっと心配。やっぱり安心して家を空けられるくらい丈夫なものにしなければいけないと思い、さらに補強するために単管パイプを買いに行こうと車のエンジンをかけ少し走りながら、よし子と2人でもう一度よく考えてみる。話し合ったのはこんな内容だ。単管パイプは工事現場っぽくてあまり美しくない、明日この地を離れるがまたテントをたたんで出かければ良いので焦ってそれまでに仕上げなくても良い、単管パイプを見ながら毎日過ごしたくない、などなど。結局はからめ号は道の途中でUターンして戻ってきた。
そしてこれからどうしようかと決めたことは、やっぱり生えている木を切って、それを使ってゆっくりでもいいから屋根を張る、そんな内容の事だ。そう決めたらなんだか少しスローダウン、次のイメージがどんどん湧いてきてとても良い感じ。そして歩ける場所を広くするために、チェーンソウと刈りバサミを持って茂みの中へ入り下草狩り。なにかいろいろ焦っている僕がいることは事実だ、もう一度、心を重たく広く伸ばして考えてみよう、今何をするべきか。
18日、テントをたたみ、屋根のシートで覆ってはからめランドを後にする。次に来る日はまだ決まっていない。明日は僕の中学校の同窓会、その後はフジロックフェスティバルの手伝いで新潟苗場で約1週間のキャンプ生活、その後の事はその後に決めようかな。  (匠)

コールマンエマージェンシーシェルターL 2009年7月16日 (木)
コールマンエマージェンシーシェルターL

ついに「コールマンエマージェンシーシェルターL」を張ることができた。うん、大きい、いい。張るのはかなり簡単、そして丈夫なテントロープと自在鍵、ポールもスチールで強そうだ。入り口は2箇所、メッシュの窓が6箇所。全てチャックなので密閉性も高く、気をつければ虫もなかなか入れないだろうが、それでも入ってくるのが虫の凄いところだけれどね。
まだ眠るだけでしか利用していないが、徐々に生活をこのテントに移していこうと思っているので、利用しながらこのエマージェンシーシェルターの使い勝手を紹介していこうと思っている。ただ今言えるのはこれが災害地にポンと張られたら、キャンプ用のテントを張るよりはかなり快適に、そして沢山の人間が雨風をしのげるということだ。次はこのテントの上にもう1枚、夜露、紫外線対策にフライシートをかぶせる作業だ。  (匠)

デッキにはやっぱりデッキブラシ 2009年7月15日 (水)
デッキ完成

さて、いよいよパレットを貼ってデッキの完成だ。パレットが不揃いのため微妙な段差はあるが、気にならないほどの段差でおさまり、「いいじゃん、いいじゃん」。ジャンプするとさすがに全体に響く、もう後2本でも丸太を敷いておいたらもうちょっと頑丈になっただろうか、でも重たくなるからこれで良かったのか、でもそんなに重たいものを乗せるわけでもないか・・・などなど今思っても遅い事ばかり考えている。
川から水を汲んできてデッキブラシでゴシゴシデッキを洗う。1枚のパレットを洗ったら選手交代、2人で順番に洗っていく。よし、これでデッキ完成だ、と夕食はデッキの真ん中で頂いた。毎日ご飯が美味しいのが毎日嬉しい。そして、何かが完成したときの後のお酒はやっぱり美味しい。  (匠)

フィールドライフを読む 2009年7月12日 (日)
フィールドライフ 夏号 no.24

一度横浜に帰り、また塙町へ戻る。最近は横浜と塙町を行ったり来たりの生活だ。横浜では、洗濯やインターネットの更新、いろいろ充電、都会での仕事などなど。テント生活では特にデスクワークがしにくいため、横浜に着いてから机に向ってキーボード叩いたり誰かと連絡取ったりしている。森の中でも雨が降ったりして何もできない時は、パソコン広げてこのWebサイトの記事を書いたりする事もあるが。
そうそう、皆さんご存知の方もいるであろうアウトドアフリー雑誌の「フィールドライフ」に3月の終わりに開催したカヌーデイ2009の模様を掲載させて頂いた。このフィールドライフ、全国のアウトドアショップを中心に置いてある無料の雑誌だが、全く同じ内容のものをWebマガジンで読むことができるのでぜひ読んでいただきたい。下記リンクからどうぞ。  (匠)


関連サイト: フィールドライフ (Webマガジン夏号no.24 をご覧頂き124ページ「カヌーに魅せられて」合計4ページ)
 カヌーデイ 2009

土台完成、丸太組 2009年7月8〜10日
杉運び2、那須、土台完成

8日、また杉運び。前に運んだものよりも少し細いのと、2人とも何となく勝手がわかっているのとで、合計5本を上手に運び出す事ができた。そして皮を剥いて丸太を組み、ボルトで固定。うん、しっかりしてきた、なんだか「ログ」って感じだ。
9日朝から雨が降っていたので、車で約1時間の白河という町を調査しに出かける。そしてさらに30分走ると那須高原、聞いた事はあったが来てみるのは初めて、避暑地、別荘地、そして温泉、そんな感じの場所。もちろん目当ては温泉。那須高原の鹿の湯温泉はぜひ一度お試しあれ、癖になりそうだ。男湯は41℃〜48℃まで湯温を選ぶことができる風情たっぷりの温泉だ。脱衣所や木造の浴室のあの独特の雰囲気、時の間を見てまた行きたい。そうそう、温泉ですっきりした後に寄ったリサイクルショップ「なんでも屋」はかなりズバ抜けたなんでも売っている本当のなんでも屋だった。リサイクルショップが好きな人はこのなんでも屋で3日間過ごせるのではないかと思うほど奥が深いというか底なしというか、良くぞここまで物を集めたといった感じ。2匹のカナリヤだ(カナリヤ倍、かなりヤバイ)。あ〜、みんなを連れて行きたい、鹿の湯となんでも屋。
この日、僕のおじいちゃんが死んでしまった連絡をもらった。死んでしまったのは8日の午前中なのだが電話が通じなかったので知るのに丸1日以上経ってからになってしまった。おじいちゃんのことに関してはまだ整理が付いていないので今度あらためて書くことにする。
10日、今日は晴れ。組んだ丸太を同じレベルのところで水平カット。そんなことできるのだろうか・・?と僕も思っていたけれど、水平出し、水糸張り、墨付け、&チェーンソーで(何言っているか分からない人もいるだろうけれど・・・)結構上手に平らな面を出す事に成功。ログハウス作る人は大変だなぁと思いながらの作業だった。この後、例のパレットを貼っていくのだが、2人で話していると、家に残っている柿渋を思い出し、それを塗ってからパレットを貼ろうと決めたので、今回はここまで。次はテントが建つところまでいくかな・・・?  (匠)

夕食の風景、シャワーシーン 2009年7月7日 (火) 満月
まる5年目の夜は「やなぎまつり」

毎年7月7日は、僕とよし子が1年で1回だけ会える(?)七夕結婚記念日だ。数えてみると結婚したのが2004年の7月7日だからまる5年間も経つことになる。
そんな今日は、デッキの土台となる重たかった杉をコンクリートの物干し台にアンカーボルトという金具で固定。木がまっすぐじゃないので、曲がったなりに中心を取り曲がったなりに固定する作業はなんだか新鮮だった。
最近の僕達はコールマンのポータブルシャワーを使ってシャワーを浴びている。大鍋に川の水を入れ火にかけておき、夕方前に良い加減の湯温で電池式のシャワーを浴びる、これがあるかないかでベタベタ夜を過ごすか、サラサラ過ごすかがかわってくる。
満月の夜、やなぎまつり今年の七夕はなんと満月。以前よりこの日の夜は「やなぎまつり」を開催しようと2人で決めていた。おまつりといっても、この場所を使わせていただくために何本かの太い柳を切らせてもらっているので、その柳たちに感謝の気持ちを込めて、2人と柳だけの小さなおまつりだ。柳とよし子、いままでありがとう、これからもよろしく・・・ねっ。  (匠)

近くの酒屋さんでお神酒を購入しました。切って新たな命となっていただく柳とこの土地に捧げてから、二人でいただきました。寿月という福島県のお酒で、味、金額共になかなかなお酒でした。ここで取れた蕨の胡麻和えとなめこのお味噌汁、伊豆のひじきと高野豆腐、鰯の昆布巻きと小豆玄米の夕ご飯で月が昇るまでおまつりを楽しみました。 (よ)

夕食の風景、パレット運び 2009年7月6日 (月)
パレット

「パレット」と聞いて思い出すものは何か?ちょっと前までなら絵の具を乗せる紙やプラスチックのパレットを想像していたが、今ではフォークリフトで荷物を移動するための下敷きのパレットが目に付いて仕方がない。
デッキを張るための板材をまともに購入するとそれだけで何万円にもなってしまう。なんとか安くデッキを張る方法はないだろうかと考えて考えて考えたところ、この木製のパレットを使えば早く、ある程度丈夫にデッキのようなものを作れるのではないかと計画し始めたのが1週間くらい前。そうと決まったら中古でパレットが手に入るところを探す。道を走っていると結構いろんなところに転がっているが、このパレット、調べてみると結構規格がバラバラ。僕達が求めているのは、よくある正方形に近いパレットで40枚ほどの、大きさや厚みが揃っている物であって1枚1枚「分けて頂けませんか」ではなかなか難しい。ちょっと離れたところにある中古パレットを扱うお店によってみたところ1枚500円、ってことは40枚で2万円か・・・・しかもちょっと板の幅が広いため上にコンパネとか敷かないと難しい感じ。 と悩みながら運転し通り過ぎた所に、木製のパレットがギッシリ並ぶ藤井工業という何かの出荷工場を発見。思い切って相談してみようと、いきなり「こんにちは〜」。結果、いろいろ話をさせてもらいビール1ケースで使わせていただくことに。コンクリートの建材を製造、出荷している藤井工業、とても良い雰囲気のアニキと言った感じの藤井さん、本当にありがとう!
で、今日がそのパレットを頂きにいく日。いつもはカヌーが乗っているはからめ号のキャリアの上に今日はパレットがドシンと乗っかる。このパレットは特別サイズで幅が3mほどあるので結構重たく、積むのはフォークリフトで一発だが降ろすのは結構大変、よし子と2人でなんとか乗り切る。頂いたパレットも少しずつ違っているのでちょっとした修正は必要だが、これでなんとかデッキが完成するのが見えてきた。エマージェンシーシェルターが建つ日は近い。  (匠)

なめなめなめなめなめこ 2009年7月5日 (日)
なめこ発見

「たくみく〜ん、すごい、来て来て」とよし子。行ってみると昔シイタケを栽培していたのであろう原木が並べてある日の当たらないジメジメした所に、なめこらしきキノコが沢山なっている。なめこだよね?「毒キノコ食べて内蔵が溶けちゃったっていう人もいるみたいだよ」とよし子。ヌルヌルしているし、これはまさになめこだと決め、早速収穫してお味噌汁。うん、なめこ。僕がこの世で一番好きなお味噌汁の具だ。なめこなめこ嬉しいなめこ。そしてこの日から数日間は夢のような、なめこ生活が続いたが、なめこはほっておくと1日ですぐに大きくなってしまうので、木に付けっぱなしにしないで良いときに全部収穫しておけば良かった、と思ったのは後になってからだった。 (匠)

杉の皮むき、杉を運ぶ 2009年7月4日 (土)
重すぎ

以前チラット話したように、とりあえずの目標はコールマンのエマージェンシー(災害用)テントを綺麗に張ることだ。そのためにデッキを張るのがその前段階。土の上にどれくらい長く住むか分からないが、土の上に直接テントよりも床の上にテントを張って、裸足でも生活ができたりと、より家っぽくしたいというのが僕達の願いだ。
デッキを張るのには木が必要。初めは「買ってきてチャチャっと組んじゃおう」なんて言っていたのだが、この土地で生活していると、切られる予定の木を使いたいという思いが強くなり、結局杉の木を切り倒しそれを使うことにした。倒した木の枝を払い必要な長さに切るまでは良いのだが、それを運ぶのがすんごく大変。丸太を下に敷いてゆっくりと転がす。ピラミッドの石を運んででもいるような気持ちだ。とにかく重い!よし子と一緒になんとか3本をデッキ建設予定地に運ぶ事ができた。皮を剥ぐと白くツルツルの木肌が表れる。その綺麗な木肌を撫でながら「しっかりと支えておくれよ」と、願いかける。  (匠)

収穫したジャガイモで作ったサラダとわらびと高野豆腐、はからめランド 2009年7月3日 (金)
塙町はからめランドへゴー。

お天気は曇り。天気予報では今週はずっと雨ですが、天気予報でスケジュールをたてると毎日が映画の日になってしまうので、早起きして早朝割引を使って常磐道に乗ります。途中のサービスエリアで作ってきたサンドイッチとコーヒーを入れて朝ご飯、塙町へ出発のときにはいつもこんな感じです。那珂インターで降りて、コメリ、カインズホーム、カノウヤなどというホームセンターで必要な部品を調達します。
道の駅で食材をゲットして雨が降る前にはからめランドに到着。いつ降ってもおかしくない雲行き、まずテントを経て、テーブルとイスを出そうとすると、恐ろしいことにありんこランドになっているではありませんか。まずありんこランドを移動してもらい、それから基地をつくります。お腹がすいたので朝作ってきたお弁当を食べて、それから薪を運びます。ふたりともくたくたになりながらはからめランドの基地ができました。そして日も暮れた頃雨が降り出しました。 (よ)

ノカンゾウの花 2009年7月2日 (木)
朝紙届く。

朝から雨が降っています。梅雨時期は作業が進まない人たちがたくさんいるのでは、と思ったら、土木関係の現場を覗くと梅雨時期でも基礎工事をしているところが結構ありました。雨でぬれたらコンクリート乾かないんじゃないのかな、と思うのですが、工事日程などを加味するとちょっとくらいの雨で作業をお休みするわけにはいかないのかもしれません。
わたしたちは午前中にカレンダー用の麻紙(ヘンプペーパー)が届く手配をしてもらい、塙町への出発はもう一日延期することにしました。紙の注文、早いんじゃないかと思っていたのですが、特別な紙のため、裁断して運んで、という過程が今日の電話で明日届くという感じにはいかないのです。紙が欲しいと言ってからひとつき、届ける手配にまた数週間、そんな感じです。たくみくんは早めに手配していて、その配達が今朝になりました。雨で紙が濡れちゃうんじゃないかな、と心配していたら、雨がやんだすきに配達屋さんが来てくれました。紙が濡れないように雨がやむ隙をみはからって車で時間調整してくれていたようです。ありがたいことです。3人で紙を運んで、缶コーヒーを渡してお礼をしました。契約書通りの仕事以上の仕事ができる余裕が生まれるような仕事をしたいなと、最近よく思います。 (よ)

映画館 2009年7月1日 (水)
ターミネーター4

今日は富士山開き、ラジオでは山頂にまだ雪が残っていると言っていましたが、頂上まで登山道を開通させたそうです。今日から7月がはじまりました。一年も約半分過ぎた頃となります。
毎日のように雨が続きます。しとしとシトシト、塙町に出発する予定が一日づつ延びていきます。雨だと作業ができないので、 映画館に行って映画を見ることにしました。ラッキーなことに今日は映画の日でした。5月はスラムドッグミリオネア(★★★)、6月はスタートレック(★★★★)、今月はターミネーター4(★★★★)を見ました。映画は時代を映す娯楽、梅雨時期の2時間のトリップもいいものです。T4の運命は自分でつくるというテーマはこれからも続きそうです。 (よ)

8月<  >6月