虹とアミさん、乙姫まつりon琵琶湖 2007年6月29日 (金) 
乙姫まつり on 琵琶湖


弁財天をおまつりしている竹生島を望み、ガンガーサンガのみなさんに来ていただいてインド古典音楽と舞踊を奉納演奏していただきました。夕方お日さまが射し、朝からの雨が照らされて大きな虹の橋が琵琶湖にかかりました。日暮れとともに和蝋燭のあかりを灯し、ハーモニーベルで音開き、シタールとタブラというインドの楽器の伴奏で、足に鈴をつけてカタックダンスを踊るあみさんはとても綺麗でした。これまでやってきた「旅のカフェ」は京都の友人たえちゃんが玄米カレーとチャイ、チーズケーキを作ってきてくれて、地元在住の京子ちゃんが週末カフェを引きついでくれることになりました。夜空にはきれいなお月様が現れ、この場所は聖地だね、なんて声が聞こえてきます。
振り返ればここ琵琶湖から大阪まで4泊5日かけてカヌーで旅をしたのがちょうど1年前。素敵な友だちもでき、みんなの夢が少しずつ実現していくような気がしています。水鳥観察センターで舞踊とシタールができたら最高だなあと思っていたら、満月の夜に実現しました。針江のゲストハウスは村尾さんが住むことに。目の前を流れる小川は、川が蘇る朝に金色のイタチがあらわれたことから「金色(こんじき)川」と名付けることにしました。 (佳)


関連サイト: ガンガーサンガ 大與

夏至・西湖・富士山(渦巻き雲) 2007年6月21、22日 
夏至・富士山・WPPD


6月22日は夏至、1年のうち一番お昼が長い日だ。それにあわせて日本各地でいろいろなイベントが行なわれている。北海道では、僕達が中部圏を担当した「平和の火列島リレー」が無事に釧路にたどり着き、「アースデイ北海道」が行なわれている。
そんな中、僕達が足を運んだのは富士山のふもと、西湖で行なわれた「WPPD・せかいへいわといのりの日」というイベントだ。22日明け方、200人位いただろうか、みんなでお祈りをして、みんなで冬至に向って歩き始めた。さて22日夏至当日、「夏至には「げ」の付く下呂温泉」とか言いながら、下呂温泉を目指した。下呂に着いたのは暗くなってから、そして300円の公衆浴場に入った。お湯はほとんど透明で普通のお風呂みたいだったが、湯上りが「やっぱり温泉っていいね」と思うほどポカポカしていた。その日の夜は下呂近くに車を停めて眠った。
23日、水の街郡上八幡(ぐじょうはちまん)、紙の街美濃(みの)を通って、久しぶりの琵琶湖に帰ってきた。夜はいつもお世話になっている和蝋燭屋さんの大與(だいよ)でキャンドルナイト。みんな和蝋燭の灯りの中、落語、紙芝居、ギター弾き語りなどなど、盛りだくさんのプログラムで素敵な夜を過ごした。全国各地で行なわれているであろうキャンドルナイト、石油から作られているパラフィンの蝋燭を使うよりも櫨(はぜ)の実や米ぬかから作られている100%植物原料の和蝋燭を使っていきたいものだ。   (匠)


関連サイト:WPPD 大與

正しいカヌーの乗り方 2007年6月17、18日 
長瀞・てのひらまつり


17日朝、環八の渋滞を抜けて昼過ぎにたどり着いたのは埼玉県秩父にある長瀞(ながとろ)という場所。ここでの2日間、僕は長瀞を流れる荒川を川下り、佳子は長瀞キャンプ村で行なわれている「てのひらまつり」というイベントに参加、それぞれの行動をとった。
今回の荒川は、四万十塾の塾長木村とーるさんが来るとあって集まったカヌー仲間総勢約21人。ほとんどがソロ(1人乗り)だったので集まったカヌー19艇、久しぶりに見たカヌーだらけの風景だった。僕は、四万十塾のスタッフとして正しいカヌーの乗り方で皆さんと楽しませてもらった。(on MouseOverで写真)
一方、「てのひらまつり」は、ドームテントが沢山ならび、出店も多く、そして子供達が土の上ではしゃぎまわれるイベントだった。18日、夜に帰る予定だったが、その雰囲気と疲れとが合わさり、もう1泊。そして19日、環八の渋滞に巻き込まれながら横浜に帰った。   (匠)


関連サイト:てのひらまつり

Ashes and Snow 2007年6月14、15日 
「Ashes and Snow」&ふろむあーす藤田さん


午後3時お台場で友だちのハセと待ち合わせ、3人でグレゴリー・コルベールというアーティストの「Ashes and Snow」というものを見た。今回の展覧会のためだけに建てた移動式のノマディック美術館は、コンテナを積み重ねて作られていて、その建築物そのものも見る価値のあるものだった。
中身はというと、下記のリンク先を見ていただけると分ると思うが、そんなような写真が大きな和紙にセピア色に引き伸ばしプリントされていて、見ていてとても暖かい感覚に包まれた。そして映画館のような大きなスクリーンに詩がついた映像作品など、久しぶりに人間が作り出した素敵な空間で時間を過ごす事ができ、1900円という入場料も何とか納得。ショップでは僕達にはとても手が届かない1万数千円もする写真集がバンバン売れているのをみて、「お金かぁ」と一言つぶやく。
夜は、三軒茶屋にあるフェアトレードショップ「ふろむあーす」の藤田さん宅で積もった話をいろいろと。夜には帰る予定だったが、帰ったのは朝だった。横浜の実家に帰ると佳子はミシンを出して洋服のリデザイン、僕は「はからめ月の手帳2008」のデザインと、2人とも制作意欲が湧いてきているようだった、その調子。  (匠)


関連サイト: Ashes and Snow ・ ふろむあーす

カヌーを使ったポスター 2007年6月12日 (火) 
考えた事を形に


約10日間、ずいぶん長い間更新してなかった。その間何をしていたかと言うと、琵琶湖から引き上げてきた荷物の片付けがメイン、そして2008年カレンダー制作したり、「パイレーツオブカリビアン」観たり、叔父さんの法事で3日間群馬県に行っていたり、書類の整理だけでもかなりの時間をとられる。
物は少ない方が良いのは分っているのだけれど、なぜかどんどん増えていくばかり。
そんな日々が続いた今日火曜日、同級生のテッチャンと会うために銀座へ。有楽町駅の階段を降りているとこんなポスターが目に入ってきた、カヌーだ。背の高さが違うから3人で1艇のカヌーを持つ事は間違っていると思ったり、荷物を何も持っていないのがやたら不自然だったりと、いろいろ思うところはあるが、なんだか見ていると嬉しくなるポスターだった。そういえば、駅に貼られる大きなポスターを作りたいという気持ちから、二十歳前の僕はデザインの学校に通った。考えた事を実際に形にする事はとても楽しい。最近、なんだか僕の中でこの楽しさをもっともっと味わおうという気持ちが大きくなっているのを感じる。   (匠)

引継ぎの様子、「縄」にて 2007年6月3日 (日) 
平和の火・列島リレー in 東京


5月29日に琵琶湖で「平和の火」と出会ってから一緒に旅をしてきた。火と一緒にいることでいろいろな方々と出会い、いろいろな事を考えさせられた。火が僕達を連れて行ってくれて、火が僕達に考えさせたのだと今では思っている。
そんな平和の火とも今日でお別れだ。午後7時東京、恵比寿にある「縄(なわ)」というお店でバトンタッチだ。僕達から引き継いでくれたのは東京でイベント企画の仕事をしているカドマンという人物。この名前を1度でも聞いた事がある人は、この名前を忘れるのが難しいだろう。実は定休日の「縄」、カドマンの奥さんのワタリさんを初め、集まった関係者の方々が10名ほど。これまでどのようにこの火が僕達のところに届き、これからどのように北海道までたどりつくのかなど、「縄」のカヨちゃんが用意してくれた美味しい料理を食べながら話をした。
じゃあ、北海道まで元気でな、いろいろありがとう。僕はこの別れに出発を感じた。   (匠)


関連サイト: 平和の火・列島リレー

大塚夫妻の話を聞くみんな、集まってくれたみんな(子どもは外ではしゃいでいる) 2007年6月1日 (金) 
平和の火・列島リレー in 南伊豆


午前中、富士山のふもとにある浅間大社(せんげんたいしゃ)に火を運びお祈りをする。富士宮の駅近くにある浅間大社、数年前にWPPDというイベントの後にお参りに来た以来だ。
お昼前に沼津でコジヤンと別れ、夕方近くに伊豆半島の最先端、下田に到着した。今晩は下田にある子供達のためのピーススクールが仲間達に声をかけてくれて、大人子供交えて約30人の人達が集まってくれた。
子供達は仲良く、森で遊んだり、太鼓を叩いたり。辺りは暗くなりキャンドルの灯りが綺麗に揺れている。ピーススクールを主催しているリサと仲が良い大塚先生夫妻の話にみんなが耳を傾ける。奥さんの清子さんは広島で被爆したお父さん、白血病で亡くなった弟さんのことを切実に話してくださり、夫で高校教師の郷之(のりゆき)さんは、平和とは本当にもろいものであって、事実日本は戦争へ向けての準備を着々と進めているということを話してくださった。お二人の話はつらい過去や現在の事だけにとどまらず、具体的に現在、そして未来、私達は平和な世界をつくるために何をするべきなのかという事まで考えた、とても刺激のあるものだった。
また、アメリカで軍隊を経験した事がある友達のデイビッドが、私達日本人とは異なる視点で感じている平和への思いを話してくれたりと、みんなが自分の感じている事を気軽に話せる時間を過ごすことができた。詳しくは「平和の火・列島リレー」Webサイトで。  (匠)


関連サイト: 平和の火・列島リレー ・ 大塚先生のWebサイト「いのちの教育」

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