平和の焚き火、夕焼けとコジヤン 2007年5月31日 (木) 
平和の火・列島リレー in 浜松


今日は名古屋から伊豆への移動日。名古屋の受け入れ先など、全て計画を組んでくれたコジヤンと一緒に浜松の海岸で野営する事にした。少し雨がちらついていたけれど、暗くなる前には大きな夕焼け空を眺める事ができた。
平和の火で料理を作り、美味しいご飯を食べた。辺りは暗くなり、波の白い線が左右にどこまでも広がる。3人で焚き火を囲んでいると、雲の中からお月様が顔を出した。「今この瞬間平和だね。」とコジヤン。
真夜中、すぐ近くの駐車場でローリング族っていうのか、タイヤをキィーッと滑らせて遊んでいる不良が沢山出没。キーキーうるさい中、「平和は1人では作れないんだなぁ」とコジヤンがつぶやいた。   (匠)

スケッチブックに思いを書き込むカフェのお客さん、スタッフのみんな。 2007年5月30日 (水) 
平和の火・列島リレー in 名古屋


今日からの6月3日までの間、平和の火とともにはからめキャラバンだ。昼に水鳥観察センターを出発した。途中、向源寺に寄り、国宝十一面観音を前に平和の火と共に手を合わした。 夕方に名古屋、今晩平和の火を受け入れてくださる、「earth library cafe' みどりの屋根 INUUNIQ イニュニック」に到着した。今日は、植物に覆われている素敵なカフェ、イニュニックに訪れていただいた方々に平和の火を感じていただきたいという思いを込めてキャンドルナイト。
今回の行き先をコーディネートしてくれたのは、はからめのページにもちょくちょく登場するコジヤン。そのコジヤンと、イニュニックのスタッフのみんな、そしてお店に来て頂いたゲストのみんなと一緒に思いを語り合う素敵な夜になった。
その後、「タイ古式ほぐれ処ポーチャイ」を訪ね、オーナーのヒーサー達みんなと平和の火を囲んで語り合った。今平和の火がここに来た意味、今自分ができること、感じるだけではなくどう行動に移せるか・・・などなど。熱い語り合いの場所はコジヤンの家に移され朝まで続いていた・・・らしい。詳しくは「平和の火・列島リレー」Webサイトで。  (匠)


関連サイト: 平和の火・列島リレー ・ イニュニック

琵琶湖に浮かぶ平和の火・キャンドルナイトの様子 2007年5月29日 (火) 
平和の火・列島リレー in 高島


平和の火・列島リレー、ついに僕達にタスキ(火)が手渡された。僕は「お帰り、久しぶり」と声をかけた。(平和の火・列島リレーについては下のリンクをクリック!)
昼、大阪より7名でここ水鳥観察センターまで火を運んでいただいた。ご飯を一緒に食べながら話をしていると「はじめまして」で始まった会話は「あの時あそこで・・・」に変わる。人と人をつなげているこの平和の火、既につながっていたつながりを確認させてもくれたみたい。
夜は、平和の火でキャンドルナイト。いつもお世話になっている近江今津の和蝋燭屋、大與(だいよ)さんにご協力いただき、和蝋燭の自然な灯りに囲まれながら静かな夜を過ごす事ができた。詳しくは「平和の火・列島リレー」Webサイトに書くのでそちらを見ていただけると嬉しい。   (匠)


関連サイト: 平和の火・列島リレー ・ 大與

カヌーに入ってきた小魚 2007年5月28日 (月) 
ユウイチと小魚


琵琶湖に帰ってきてから何日経つだろう・・・。今日は空気がとても澄んでいて竹生島や伊吹山がくっきりと見える。20日に笠岡を出発して神戸、大阪を経由して琵琶湖に帰ってきたのが22日だったかな・・・?
一昨日から昨日にかけて、去年の大晦日を一緒に過ごした大阪に住む友達、ユウイチが遊びに来てくれた。夜は焚き火を囲み昔の話から今の話まで、「おやすみぃ」を言った時には気のせいか空が明るくなっていたような。
朝起きたら昼だった。ユウイチとカヌーに乗って琵琶湖を散策。水の上に出て少したった頃、小さな魚がぴょんぴょん跳ねているところを通過。するとカヌーの中に小魚が1匹飛び込んできた。おおぉラッキー、カヌーの中に魚が飛び込んできたのは僕の人生で2匹目だ。と思っていたら人生で3匹目4匹目と、次から次へと飛び込んできた。ユウイチが「痛てっ、痛てっ」と前で言っている、小魚の襲撃だ。「ヤバイ、逃げろ」というくらい左右から銀玉鉄砲で狙い撃ちされているようだった。気がつくとカヌーの中は小魚だらけ。
明日29日は、「平和の火」が琵琶湖にやってくる。今日は本当に良い天気だ。  (匠)

あるでばらん店内、つるかめ屋でお手伝い 2007年5月18〜20日 
岡山・笠岡


18日、四万十塾を出て中村の町に向った。そこで日本で僕が知っているなかで5本の指に入る酒屋さん「ことぶきや」のリーチさんを訪ねた。忙しい中コーヒーを入れてくれ、短い時間だったが一緒にいろんな話をした。おわりにリーチさんからこの上ないプレゼントを頂き、四万十川に別れを告げ車を走らせた。
しまなみ海道を越えて、僕達は岡山県笠岡にある薬草手染シルク製品を作っている「あるでばらん」のシュンさん、フミちゃんを訪ねた。草木染でこんなに綺麗な色が出るのか、とびっくりするほど綺麗に染め上がった衣類、下着、靴下などが店内に並んでいた。
19日、何日ぶりだろうか、車の運転を全くしなかった。お昼に近所に住む、手編みの帽子やアクセサリーを作っている「つるかめ屋」のべっちゃん、ネパールからヤクの毛を輸入して販売している「雲のうえ」のあやちゃんを訪ね、お茶飲んだりお話したり。近くに同じような意識を持った仲間がいるというのは素敵なことだ。
夜、みんなでマッサージ大会。運転のしすぎか、少し疲れてきていた僕の体を解(ほぐ)してくれたのはシュンさん。そのマッサージは、体のなかで見えない繋がりが確実にあるということを実感でき、素敵なヒントをプレゼントされたみたいだった。  (匠)


関連サイト: ことぶき屋 ・ あるでばらん ・ つるかめ屋

なかなか見る事ができない2人でカヌー乗っているところ、けんくんと匠 2007年5月16〜17日 
四万十塾・四万十川


16日朝6時にフェリーで宿毛(すくも)に到着、そしてそのまんま朝の四万十川、2人で見慣れた川原で朝ごはんを食べた。約1年半ぶりに戻ってきた四万十川、ここは僕は数年前に数年間、リバーガイドをしていた川だ。
たどり着いたその日、大きくなった子ども達や仲間との再会、現スタッフとの出逢いなどなど、積もり積もった話をここで書いたらサーバーがパンクする。とーるさん、ゆみさん、みお、ちゅうや、けんくん、ジョンくん、もっちゃん、みさっちゃん、ムーン、モコ、本当に皆さんあたたかくむかい入れてくれてどうもありがとう。
四万十塾の写真、これしか撮ってなかった、山塩小僧のヒロさん
翌日、スタッフのけんくんと3人で四万十川を下った。僕達は数年前四万十川を離れてからいろんな川を下ってきた。綺麗な川、汚れてしまっている川、味のある川、人間味溢れる川、人間の生活観がなくなってしまっている川、そしていま四万十川に戻ってきた。そういえばどの川の水の上に乗っているときも、いつも心に四万十川が流れていたことを思い出す。なんだか僕にとって四万十は、言葉にできない、言葉のいらないものになってしまっているのかもしれない・・・・とか書きながら思い出すのは、先日、人の前で四万十の事をしゃべりすぎて止まらなくなっている僕の後姿だ。
川を下った後、これまた久しぶりに四万十川上流の山の中で塩を作っている森澤さんに会いに行った。先週ぶりに話すかのように話をしてくれるヒロさんをみて、日本の狭い人の繋がりを本気で感じた。  (匠)


関連サイト: 四万十塾

WAMのみなさん、「平和の火」の受け渡し先、長洲にある地球村 2007年5月14〜15日 
平和の火は長崎、僕らは大分・番匠川


14日、長洲という長崎までのフェリーが出ている場所へ「平和の火」移動した。沢山の人たちがその火が到着するのを待っていて、長崎へとその火を送り出す半日のイベントが行なわれた。
平和の火の受け渡し、ライブ、食事、そして朗読劇などなど、内容盛りだくさんのイベントだった。その中に1つ、朗読劇はとても深いものだった。原爆が落ちた日の回想録をまとめたようなその劇は、この世界で本当にものすごい事が行なわれた決して忘れてはいけない事実があり、今でも世界中どこかで同じような経験をしている人たちが実際にいるという事実から目をそむけないで欲しいという願いが、直球で伝わってくるような内容だった。そしてそれは、今なぜ広島の人々を焼き殺した「平和の火」を持ち日本各地をリレーするのかを考える上で、できるだけ多くの人に見てもらいたい劇であった。
火が港へ行くのに合わせ、僕達はまた会う火に一旦別れを告げて近くにある柳川という町で営業しているカフェ「WAM」を訪ねた。昨日の夜にすこしだけ話をさせてもらったジュン君とコズちゃんが働いているこのカフェは、非の打ちどころがないオシャレなお店だ。自分では普通の格好だと思いお店に入ったのだが、佳子はあまりにも素敵な店の雰囲気の中にいる僕を見て「きたない」とひとこと言っていた、が、まあいいか。
番匠川、川の番をする匠
カフェで久しぶりにゆっくりさせてもらった後、僕達は大分県を流れる番匠川(ばんじょうがわ)に向った。もちろんその川の名前に引かれたのだが・・・。先日は阿蘇山を通って九州大陸を東から西へ横断、今度は阿蘇山の北側をグルッと回って西から東へ横断、よくやるね。
途中で寝て次の朝早速、番匠川を少しだけ下り、2人で歩いてスタート地点まで戻った。(約16時間をこの1文で済ませてしまった。)下ったコースより少し上流に上り川辺まで近づくと、とんでもない透明度。水が少なく下る事はできなかったが、もしこんなところにカヌーを浮かべられたら中に浮いている感覚だろうなぁと1人想像する。
そして今晩、夜の3時発のフェリーに乗り四国、高知県の宿毛(すくも)という町へ向った。約10日間の九州の旅はものすごく濃く、ものすごい広がりを感じるものとなった。明日は我が故郷、四万十川だ。  (匠)


関連サイト: 平和の火・列島リレー

宿泊はこんなところで、阿蘇山山頂 2007年5月12〜13日 
阿蘇・星野村の「平和の火」


朝、阿蘇のふもとで目が覚めたのだが、阿蘇山が見える場所ではなかったのでまだ実感していなかった。朝ごはんを食べて少し走ると目の前に阿蘇の山脈が広がる。そして、「どれが阿蘇山だろ?」と2人で話しながら導かれるまま阿蘇山頂まで走った。
阿蘇の火口から吹き出る火山ガスは有毒なため、所々に警備員のような人たちが立っている。車で山頂まで上る前に「肺炎や気管支炎などの持病はないですか?」みたいな事を聞かれたりと、ちょっと命がけな気持ちだ。そして目の前に広がったのは、ぽっかりと地球が口をあけているかのような火口。中心に黄緑色の水が溜まっているのを見て「あそこカヌーで行ったら」と佳子、辺りは硫黄の匂いがきつく漂う。
キャンドルをみんなで灯す、平和の塔まだ午前中、僕達は阿蘇を後にして福岡県星野村に向った。僕達が中部圏(琵琶湖〜関東)の運び屋を担当している「平和の火・列島リレー」のスタートだ。ところで「平和の火」ってご存知の方どのくらいいるだろうか?簡単に説明すると広島に落ちた原爆の残り火だ。ある本屋さんが原爆で亡くなった甥の遺品として、爆弾で丸焦げになった本の中でくすぶっていた火をカイロに移し、この星野村に消さずに持ち帰った。星野村で息子の帰りを待っていた親は代わりに帰ってきたその火を息子と思い、消さずに守ってきた。しかしそれは沢山の命を奪った憎い火、「この火でアメリカを燃やしてやりたい、この火でアメリカに復讐してやりたい」、はじめはそんな気持ちで火を守っていたという。しかし復讐は復讐を生む、長い年月をかけその火を「復讐の火」から「平和の火」へと思いを変えていったと聞く。村でその火の噂は長く広く広がり、やがて村が管理するようになったのが今回僕達が北海道までリレーするまさにその火である。
僕達が北海道で去年夏にお世話になった、そして今回のリレーを仕切ってくれている「ガイドステーションわっか」のガッテンとアースデイ北海道実行委員の大川さんがまだ雪の降る北海道より足を運んできてくれた。
星野村の、夜は星がきれいであろう丘に建つ、三角形のモニュメントの頂点にその火は生きている。雨の降る中、村からその火をわけていただき出発のセレモニー、ついにスタートした。誰もが願う、この火が日本中のあらゆる人達の心に火を灯しながら北海道まで消えないようにたどりつく事を。   (匠)


関連サイト: 平和の火・列島リレー

苅安誠さんとまみ子さんと、カヌーに乗っている自分を想像する匠 2007年5月10〜11日 
延岡・高千穂・天岩戸・五ヶ瀬川

10日、苅安家を拠点に車で約1時間、高千穂へ行く。宮崎県のポスターとかで使われそうな風景、高千穂峡。カヌーを下ろしてはいけないと言われ、悔しい気持ちの僕。かっこ悪いボートを見て自分がそれを漕いでいる姿を想像するが、かっこ悪すぎて絶対ありえない。アイスクリームを食べて神さまの仕業としか思えない高千穂峡を歩いてみて回る。
その足で天岩戸神社に向う。天照大神が隠れていたという岩の扉があるという場所だ。その扉は信州の戸隠に隠されている?ってな事も。とにかく神話神話の高千穂だった。
その晩も苅安家にお世話になり、夕食を近所(といっても1つ山を越えた谷)に住むダーリングさんと一緒に楽しんだ。ダーリングさんは日本の美術史の先生、苅安誠さんは音声研究の先生、まみ子さんはアーティスト、みんなみんな話が面白く飛んでいる。
セルフタイマーに間に合わない匠、五ヶ瀬川を下る翌日、まみ子さんと3人で五ヶ瀬川を下る。九州に入って初めての川下りだ。天気も良く最高のゆったりさと、時々ザブザブジェットコースター。川下りの様子は後ほどカヌーのページでご紹介・・・・とか言って錦川のレポートもアップしていないし、その前に琵琶湖でカヌーが完成したのにそのビルディングログも書いていないし、旅の間にしなければいけない仕事もあるし、前にも進まなければいけないし、ご飯も作って食べなければいけないしと、かなりやる事沢山、はからめに休みなしだ。
五ヶ瀬川、夕方には無事にゴール。そのまま僕達は大変お世話になったまみ子さん、そして苅安家の皆さんに別れを告げて次の目的地は福岡県星野村。途中の阿蘇で車を停めてご飯を炊き、テントを張って、星を眺め、お酒を飲んで目をつぶった。  (匠)

青島の「鬼の洗濯岩」、三ツ木さんたちと。 2007年5月9日 (水) 
青島・飫肥
・延岡

9日朝、青島という島に渡り、島を1周歩いて回る。この付近の岸辺は「鬼の洗濯岩」と呼ばれていて岩がラインを描いている面白い地形になっている。僕達はその上をトントンと、いつものように拾い物をしながら歩く。
お昼ごろ、連絡が取れたら会いに行こうと思っていた三ツ木さんと連絡が取れ、青島から南へ1時間ほど走った。そこにあるのは飫肥という城下町で、三ツ木さんは城跡のすぐ近くに住んでいた。初めて会うのにとても暖かく迎い入れていただいた。話がはずむにつれ沢山の人の繋がりが見えてきて、だんだん会うのは初めてではないように思えてくる、最近そんなことばかりだ。三ツ木さんお子さんあずきちゃんとひなた君、そして近所のお友だちお母さんと娘さんと、のどかな時間を一緒に過ごさせてもらった、ありがとう。
今回の出逢いの前、三ツ木さんと「はからめ」の関係を発表すると・・・・・・、月のカレンダーを買っていただいた、以上。そう、僕たちが作る「はからめ月のカレンダー」は、「いきなり僕達が訪ねて来る可能性」というオマケがついていて、世界中どこにいても誰かと繋がっているという世界のドアなのだ。簡単に言えばはからめは「DOORS」だ。このドアを皆さんの好きなように使っていただけたらと思っている。
夜、飫肥より北にやく150km走った延岡に住む苅安さんのお家でお世話になる。この苅安さんも実は初めて会う方である。誠さん、まみ子さん、娘さんのりんちゃん、犬のタンポポ、ヤギのミュー、インコのフレディ家族、みんなで暖かく迎えてくれた、ありがとう。苅安さんは、去年奥琵琶湖ウドゥンボートサンターで開かれたワークショップにアメリカから招かれた講師、ダグラスが紹介してくれたワールドワイドな家族だ。いつ、どこで、どの瞬間で、どの一言で、自分の人生に大きく関わる大切な誰かと出逢うかなど、それは後にならなければ言葉にできないが、それはライブで今も進行中。今を大切に生きれば明日は大切な1日になる・・・・・そんないま思った事、なんだか宗教の格言カレンダーに書いてありそうで、笑っちゃいそうだ。   (匠)

朝の散漕、佐藤の前で鈴木と国生さん。 2007年5月7〜8日 
鹿児島・長島・桜島・霧島・佐藤

7日朝、和船がきれいに展示されている牛深フェリー乗り場、映画「ジュラシックパーク」の恐竜を思い出させる声が聞こえてくる。豚だ。同じフェリーで鹿児島まで渡るらしい。牛の町で豚の声。
約30分間海を渡り、鹿児島へ。到着したのは長島という島。そこからまず桜島を見ようと、車を走らせた。午前10時、亡くなった叔父さんが火葬される時間だ。僕達は青い海と青い空にに向って手を合わせた。
桜島は少し雲がかっていたが、鹿児島の象徴を感じる事ができた。本州の人間が富士山を思うとき、鹿児島の人間は心に桜島を思っているんだなぁとか思ってみた。僕の心の片隅に少しだけ長渕剛が見え隠れする。今日は明るいうちにベースキャンプを張ろうと、桜島の見える浜を探し夕方、海を見ながらお話しているおばあちゃん達に、「今晩この浜でお邪魔させていただきます」と声をかけると「んなぁ、まだ寒くないかい?」と。「北の方から来たので暑いくらいです」とこたえ、薪を集める。夜は焚き火で先日から一緒に旅をしているアオミナを頂いた。ここに来る途中スーパーで買って食べた、つけあげがたまらなく美味しかったのを思い出す。これと焼酎、うん、鹿児島に来たって感じになってきた。
朝、やはり櫻島は雲がかっていたが、天気はとても良く、目の前の海は湖のような静けさ。朝、ご飯を食べた後カヌーを海に浮かべた。すごく気持ちが良い朝の時間を過ごす事ができた。そして温泉と酒蔵を訪ねるために霧島へと向かった。お昼、硫黄の匂いが漂う温泉郷へ。100円とか200円で入れる温泉が沢山あって僕達としてはとても嬉しい。午後、約束の時間に佐藤酒造を訪ねた。ここは「佐藤」という焼酎を造っている酒蔵。残念ながらこの「佐藤」、手に入れる事が難しいため普段から飲めるお酒ではないが、僕も時々頂いているとっても美味しいお酒だ。蔵にたどりつくと皆さんがあたたかく迎えてくれ、水先案内人の国生さんが丁寧に蔵の中を案内してくれた。沢山の方々が働いていている現場でまず感じたのは、みんな自分達の造っている物に誇りを持っているという気が瞬間で伝わってきた事だ。そして、お酒を造る工程の本当に細かいところまで手をかけたり、見守ったり、対話したり、これだけの人に2年間以上愛され続けながらお酒になり、みんなの口を通過する水は、水のままでも美味しいはずだと思ってしまうほど。蔵内の皆さんにとても親切にしていただきながらグルッと1周。お別れ際に、お願いして仕込み水をわけて頂いた。佐藤酒造の皆さん、いろいろとご親切にどうもありがとう。
さらに近所の冨山酒店で、ご主人に沢山のお酒の話を聞かせてもらい、佐藤酒造のお酒を購入させていただいた。お酒を頭と体で味わった町を後にして、宮崎県の青島というところをまで走った。そして浜辺の見える広場で焼酎のふたを開けた。   (匠)


関連サイト: 佐藤酒造

牛深・潮干狩り 2007年5月5〜6日 
九州上陸

朝、下関手前の川沿いで目が覚める。昨日炊いたご飯の残りを2人で分けて朝ごはんとする。少し走って関門海峡をトンネルでくぐる。九州上陸だ。なんとなく雰囲気が違うかなと、とりあえずとんこつラーメンに紅しょうがを乗せてを食べる。
福岡手前で佳子の携帯に電話、群馬の秘密基地でお世話になっていた叔父さんが亡くなったという知らせ。お米の事や野菜の事などいつも冗談交えて教えてくれた叔父さんだ。旅を続けるか帰るか2人で相談する。群馬まで約1000km、走るか、佳子だけでも飛行機で行くか・・・・。相談の結果このまま旅を続ける事にした。どうしようもない考え事でも体が動く方向は1つしかない。そして佐賀近くの公園の駐車場で1泊。
次の日、鹿児島を目指していたが途中熊本県で「島原」とか「天草」という言葉が耳に入ってくる天草四郎?って何やった人だろう?キリシタン?そんな風に話しながら島原の方へ車を走らせる。とりあえず理解するために「天草四郎メモリアル」という天草四郎の事が全て分る、と書いてある施設に入ってみた。ヘンテコなところだった。ちょっと新興宗教っぽく、瞑想部屋があったり、いまいち天草四郎自信の言葉が無かったりと、「どこかのお金持ちが建てたのかなぁ」なんて2人で話しながら出てきた。
途中、海岸沿いで沢山の人たちが潮干がりしていたので、僕達も長靴を履いて「何が取れるんですか?」と仲間入り。アオニナという小さな貝を採っているんだよとおばちゃん。僕達も約30分貝を採り続けた。食べるには砂を吐かせなければいけないので2日間ほど持ち歩く事に。
そして夜は、次の日に鹿児島県の長島というところに行くためのフェリー乗り場がある牛深という町の海沿いでご飯を食べてから眠った。   (匠)

秋芳洞・サイクリング in 萩 2007年5月4日 (木) 


温泉に入り、川旅の疲れを癒し、すがすがしい朝を迎えた今日、レンタサイクルで萩の町観光をしようということになりました。泊まったホテルから見える指月山へ、ここはかつて指月城があった場所で、今は城跡を残す公園となっています。この日は春の大お茶会が開かれていました。お茶室では表千家のお手前、池坊の活け花、お琴の演奏と、藤の花が咲く庭園でくりひろげられるお茶会はまるで絵巻ごとのようです。「目の保養だね。」とヤスジイ。
萩といえば萩焼。萩の七変化ともいわれるきれいな桃色の器に時間も忘れます。そして萩といえば吉田松陰、松下村塾。一同松蔭神社へと向います。「片手運転できる?」とシローちゃん、ソフトクリームを買ってくれ、みんなでサイクリングです。明治維新に大きな役割を果たした松蔭さんはわずか30歳でこの世を去りました。それまでに日本各地を旅しているようです。見聞を広げようと海外に渡航しようとして捕らえられ(鎖国の時代でしたからね)幽囚されているときに松下村塾を開きました。当時では危険思想とされていたようですが、その功績が今の日本へと続いていると思うと、そのときに危険思想だとされるようなことでも、のちの世のためといのちをかけた若者がいたからこそ今わたしたちが生きていられるのでしょうね。今いのちをかけて思想を貫く人っているのかなあ。
おいしいお昼ごはんをいただいて、シローちゃんとヤスジイは東へ、わたしたちは西へ向けて出発。シローちゃんヤスジイ、そしてフクちゃん、どうもありがとう!わたしたちも絵巻のなかに入ったような、素敵な旅をさせていただきました。その後わたしたちは秋芳洞という日本一大きな鍾乳洞を見て、明日は九州へ上陸予定。 (佳)


関連サイト: 上海カヌー倶楽部ブログ

錦川 2007年5月2〜3日 
錦川

そう、朝9時集合の30分前に錦帯橋に到着した。そこで日中カヌー交流会のシローちゃんと、上海カヌー倶楽部の隊長フクちゃんとヤスジイの3人と合流。1泊2日で錦川を下る。
今日はゴールデンウィーク後半の1日前という事で川下りしている人はほとんどいなかった。夜、フクちゃんは生まれたばかりの桃花ちゃんの所へ帰った。そして、僕達は4人で満月の夜の焚き火を楽しんだ。
翌日、朝はゆっくりと錦帯橋を目指す。途中、お昼ごはんを食べた場所では竹の子を欲しいだけ腕に抱える。そしてGWでギャラリーの多い錦帯橋の下をくぐりゴール!
錦帯橋の詳しい旅の様子は後日カヌーのページにて紹介するのでお楽しみに。錦帯橋でカヌーを積み込んだ僕達は4人でフクちゃんの住む萩へと向った。当初の予定では萩の海でキャンプのはずだったが、その晩はフクちゃんのお家でフグちゃん(例のお皿の模様が見えるやつ)をご馳走になり、ホテルでふかふかの布団で眠る事になった。もちろん僕達だけではそんな豪華な一晩を送る事はできるはずもなく・・・・・なぜかは想像してみて。  (匠)


関連サイト: 日中カヌー交流会 ・ 上海カヌー倶楽部

朝の瀬戸内海、桜井さんとさっちゃんと。 2007年5月1日 (火) 
琵琶湖から山口

昨日までのイベントで早起きに慣れたのか、もっと寝ていてもいいのに7時に目が覚めてしまった。今日は出発の準備だ。キッチン用具やタンスなど身の回りの品々を片付ける、簡単に言えば引越しだ。また、すぐに琵琶湖に戻ってくるものの生活を車の中に移すことにした。
そんな日にお客さん、いつもお世話になっている東京のフェアトレードショップ「ぐらするーつ」の桜井さんと、以前そのお店で働いて、今は新潟で機織り(はたおり)をやっているさっちゃんが遊びに来てくれた。バタバタしていて、荷物の整理を手伝ってもらったり、おにぎりをにぎったりしてもらってしまった。ありがとう桜井さん、さっちゃん。
夕方車に荷物を積み込み出発。4人で京都まで一緒に行き、2人と三条あたりでお別れをして、僕達は山口県岩国市に架かる橋、錦帯橋(きんたいきょう)を目指した。夜通し交代で運転、待ち合わせの時間は2日の午前9時。僕達が錦帯橋に到着したのはその30分前だった。  (匠)

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