2006年6月30日 (金)
グリコまでの道 4日目

いつだったか、いつものように焚き火の火を見ていたとき、この真っ赤に燃える炭とかなんだかもったいないね、という話になり何かこの場でできないかを考えてみたりした。その時、「焼き物なんか焼いたりできるかも」と2人で盛り上がった事があった。
今日は、俣野さんのサポートで宇治近くにカヌーを下ろしそこからスタート。スタートしてすぐのところにある平等院をゆっくり見学。平等院博物館は、すごいハイテクでセンスもいい。そして茶団子30個を買いカヌーの上で食べた。少し下ると岸が崩れていて地層がむき出しの岸があった。「あれ粘土だよね。」と佳子。「焼いてみよう。」と粘土質の土を両手いっぱいに頂き、それから数時間、川の上陶芸教室(先生おらず)。「カヌーの上で陶芸やっている人たぶんいないよ。」とか、どうでもいいことを話しながら黙々と土と向き合う。
今日は昼から同じ浜で過ごす事に。陸に上がっても佳子はよくいる陶芸家のように頭に布巻いて土を触っている。よく乾かしてから焼かなければいけないという知識はなぜか持っていて、せっかく作った器(ほとんどが、ぐい飲み、お猪口)なので、あせらずに今日は焼くのを控えた。でも焼いてみたいと思い、佳子が作ったマガタマと僕が作った四角にただ穴開けたやつを真っ赤な炭の中へ放り込んでから眠った。  (匠)


関連サイト: 新旭水鳥観察センター 俣野さんのサイト 村尾さんのサイト

琵琶湖 2006年6月28日 (水)
グリコまでの道 2日目

朝はご飯、お味噌汁、梅干、大根おろし。カヌーに荷物を積み込み、まず白髭神社にお参りに行った。朝から外国人夫婦がビデオカメラを回している。佳子がおみくじを引いた。僕は今まで生まれてから一度もおみくじを引いたことがないが、生まれる前はあったのか?佳子が引いたおみくじは大吉。いろいろあるけど最後は良いよ、との事が記されていた。
カヌーで鳥居をくぐり出発。琵琶湖の北よりの水は透明度がかなり高い。約2mのパドルを沈めてみても、先っぽまで良く見える。これは入らなければと思い、お昼浜辺で、うどんを茹でるお湯を沸かしている間に水風呂に入った。すると今まで晴れていた空が5分で曇り空になり、1分で雨が降ってきた。すぐに乾くからと思って水に浸かった僕は、湖の天気を甘くみていた事になる。そして、うどんを食べ終わった頃に雨はやんだ。僕は「梅雨の天気は分からないね。」と言ってみた。
波が思った以上にあったためあまり距離を稼げず、今日は今宿浜という浜でテントを張る事にした。水鳥観察センターの村尾さんが連絡をくれて僕達がいる浜を訪ねてくれた。料理をしている焚き火を3人で囲む。村尾さんは小学校の頃から鳥が好きで鳥を追いかけて、気がついたら水鳥観察センターの館長さんになっていた、という人だ。「自分の好きな事が仕事になったらいいよね」と、誰もが一度は口にした事があるようなその台詞、村尾さんの前では台詞ではなくなる。
明日1日で、琵琶湖から流れ出る瀬田川が始まる場所を目指す。朝早く起きればその分進める。なので今日はこの辺で「おやすみなさい」   (匠)


関連サイト: 新旭水鳥観察センター 俣野さんのサイト 村尾さんのサイト

琵琶湖 2006年6月27日 (火)
グリコまでの道 1日目

昨日決まった大阪、道頓堀までの道が本当にスタートする事になった。4泊5日かけてここ琵琶湖から宇治川、淀川へ繋がる1本の水の流れに同乗させていただくような気持ちだ。
お昼過ぎに出発。俣野さん、村尾さんが途中まで一緒にカヌーに乗って見送ってくれた。別れ際に薄い黄緑の体長が2m程あるヘビが現れた。一緒に見送ってくれているんだねと何が何でもプラス思考。そしてまず1日目の目標である白髭神社を目指した。のは良いが・・・・広い、琵琶湖は大きい。分かってはいたものの漕いでも漕いでも進んでいないような気持ちになるほど大きい。何とか白髭神社の鳥居を湖側から岸側へくぐり、陸に着いてホッとした瞬間に雨が降ってきた。しかし今晩はご飯を炊くだけ。なぜなら水鳥観察センターの井上さんが「今晩はこれを食べろ」とウナギの蒲焼を持たせてくれたからだ。大きな声で「いただきまーす」。美味しい!雨の中レインウェアを着てウナギを食べたのはもちろん生まれて初めて。今夜は神社内にいる気持ちで安心。明日朝は鳥居を岸川からくぐってスタートだ。  (匠)


関連サイト: 新旭水鳥観察センター 俣野さんのサイト 村尾さんのサイト

琵琶湖 2006年6月26日 (月)
琵琶湖

ウッデンボートといってもいろいろな形がある。俣野さんに言わせると、ウッデンボートは先人達が試行錯誤の末に生み出した木の船の図面を時を超えて形にし、そして自分の作品となるので、音楽でいうクラシックのような感じだという。その俣野さんが作り出した作品をお借りして琵琶湖に浮かべさせてもらった。本来は2本のオールで後ろ向きに進んで行くスタイルなのだが、いつものカヌースタイルでも乗ってみようと試してみた。木の船はいい、いつもは木のパドルが水と繋がっている気持ちにさせてくれるが、それを船全体、体全身で感じているようだ。
その夜、5人で話をしていたら1つの計画が生まれた。それは琵琶湖から大阪までカヌーで行く計画だった。計画は、井上さん、俣野さん、村尾さんがサポートをしていただく事になり、ビールとワインで確実なものとなった。地図を広げ、行く先を確認、瀬田川、宇治川、淀川、そして道頓堀、ひっかけ橋でグリコのポーズ。決まったらすぐ行動、出発は明日だ。   (匠)


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雨の名古屋。モリゾウ、キッコロもレインウェア。 2006年6月25日 (日)
名古屋を通って琵琶湖へ

お昼に僕達は名古屋のテレビ塔が立つ大通り公園にいた。「愛地球博の種」というイベントで友達が集まると聞き八百津から約1時間かけて来た。友達の「サヨコオトナラ」という変な名前の人たちのライブがあったり、昨日一緒にカヌーに乗ったナオト君もライブに参加していたり、名古屋に住む友達に会ったり、万博のときに知り合った仲間に会ったり。「サヨコオトナラ」はサヨコさんと、OTOさんと、ナラさんの3人で音楽を奏でるグループ。「夜のヒットスタジオ」とか「歌のトップテン」とかに出たりしないから、聴いた事ない人もいるだろう。3人ともすごいパワーの持ち主で、深くて楽しくて透き通った音楽を僕達に聞かせてくれる。もし良かった「サヨコオトナラ」という変な名前を心の隅に覚えておいてほしい、そのうちどこかで出会うだろうから。
そして夕方、僕達は琵琶湖へ。琵琶湖の東岸、新旭というというところにある水鳥観察センターでウッデンボート(木の船)を作っている俣野広司さんに会いに行った。俣野さんと水鳥観察センターを経営している井上さん、そして水鳥大好きな村尾さんの3人が僕達を迎い入れてくれた。そして明日、琵琶湖にウッデンボートを浮かべようと。  (匠)


関連サイト: 新旭水鳥観察センター

草刈現場 2006年6月24日 (土)
白衣観音、木曽川から旅足川へ

朝起きて、カヌーに乗る前にぜひ会ってもらいたい人がいるとナオキ君。その人とは白衣観音(びゃくえかんのん)を守っている92歳のおばあちゃん。昨日から、「とにかくすごい人」とナオキ君の話に何度も出てきている山本慧光先生(やまもとえこうせんせい)に会いに行った。
何を話していただいたか、それを今書くともう1つサイトをOPENさせなければいけなくなるので一言、生き方を教えてもらったと言って、これ以上はあえて書かずおくことにする。
さてカヌー。木曽川はダムダムダムの連続。今回僕らがカヌーを浸水させたところはダムのせいで湖のように流れがほとんどないところ。木曽川から、支流の旅足川を漕ぎ入っていった。ナオナオはさすが、すぐにカヌーをまっすぐ進められるように。旅足川を上っていったところで川遊び、お昼ご飯。
天気は晴天。みんな楽しそうに水でバシャバシャ遊んでる。「虹ができた!」とみんなで水をすくって空に舞い上げる。ルーペで流木や砂を見て笑ったり。誰もいない静かな河原でオカリナを響かせたり。「これが川で遊ぶってことかぁ」と椅子に座って目をつむる。「元気になった」という最高のほめ言葉を僕達はもらい、2人に別れを告げ、琵琶湖へと車を走らせた。
どこで泊まろうかと思いながら走っていると、外見期待できる酒屋さん「渡辺屋」を発見。中に入ると予想通り素敵な品揃え。おかみさんと話がはずみ、「これも何かの縁」と言って、何と八百津の米と八百津の水で八百津の人が作ったお酒をプレゼントしていただいた。「近くを通ったら必ず寄ります。」と出逢いに感謝して別れを告げた後、テントを張ってから頂いたそのお酒は「おいしい、ありがたい、おいしい、」という言葉があふれてくる最高の味だった。  (匠)

草刈現場 2006年6月23日 (金)
八百津

南信州から琵琶湖へ、木曽川沿いの道を走っていた。途中、美濃加茂の手前、八百津(やおつ)という場所に佳子が以前会った事があるナオキ君が住んでいるというので訪ねさせてもらう事になった。木曽川の支流、旅足川(たびそくがわ)を上っていった山奥の山奥、「本当にこんなところに人が住んでいるのか」と思うような道を走った先に現れたのは、「どこの金持ちが建てたんだ」と思うようなログハウス。
バブル時代に誰かが建てたというそのログハウスにナオキ君は1人で住んでいた。まず家に入って感じたのは、家がナオキ君に住んでもらって喜んでいるような空気。台所や、道具類など、とても綺麗に扱われていて、ナオキ君の性格がそのまま表れている家だ。後から聞くと佳子がナオキ君と会うのは今日が2回目、にもかかわらず僕達を気持ちよく迎い入れてくれた。
夜、ナオキ君が近所に「なんや」というお店が最近OPENしたので、すごくいいお店だから行ってみよう、と約20km離れたそのお店に連れて行ってもらった。このお店もまた山奥、小川のせせらぎが聞こえ、源氏蛍が飛び交う素敵な場所に「なんや」が見えた。地元の若者の車が沢山停まっていて、外からもジャンベ(アフリカの太鼓)の音が響いている。店の中はお祭りの様。その中に、店員さんなのか、お客さんなのか分からない人が1人。ナオト君という緑と赤と黄色の僕らと同い年くらいの男性だ。話が盛り上がり、明日ナオキ、ナオトのナオナオと一緒に木曽川にカヌーを浮かべる約束をして、また20km走って眠った。   (匠)

草刈現場 2006年6月22日 (木)
戦争で沢山人を殺しても、何とも思わない人

僕は花を摘むとき、「ごめんね」と思いながら摘む。木登りをしていて細い枝を折ってしまった時「ごめんね」と思う。いつだったか、山菜を採りに山へ入った時、採った山菜の根っこを見て「ここまで成長するのに15年もかかっているんだよ。」と教えられた事がある。15年生きた後、一瞬で僕に抜かれてしまったわけだ。僕の15年間を照らし合わせて取った山菜1本が重たく感じたのを覚えている。先日、鉢伏山の頂上付近を歩いた時に、ひとつひとつの植物がとても大切にされていることを感じた。高山植物が下界の植物といのちの重さが違うと人間が感じているのは明らかだ。
今日、僕達は草刈をした。10年以上ほったらかしにしてあった田んぼを復活させるための草刈だ。鎌とか使って手でやるのではなく草刈機を使って一気に仕上げる。今日、僕は10年以上掛けてやっとここまで育ってきた数億本の草を切断した。「ごめんね」と数億回思いながら作業していたわけではない。
ひとりの人間を殺した犯罪者は「ごめんなさい」の気持ちを持つ事がある。戦争で数十万人殺しちゃっても悪い事じゃないと思っている人がいる。
草刈現場を離れる時、田んぼの持ち主が「ありがとう」ってスナックえんどうとグリーンピースをくれた。その夜、塩で茹でて頂いたら、すごく美味しかった。  (匠)

模型じゃないティピー 2006年6月21日 (水)
夏至

一年で一番お昼が長い日、それが夏至の今日だ。天気は曇り。そして今晩、一年で一番短い夜をティピーの中で「神稲いのちのフロンティア」のユウト君と3人で過ごす事になった。ティピーとはもともとネイティブアメリカン(インディアンという呼び方は一方的でおかしい)の移動式住居。ポールを円錐に組んで円錐のキャンバスを掛けるとても簡単なつくり。簡単なつくりなのにこれがとっても機能的。まず中で火を焚く事ができる。ということは明かり、料理、暖を取る事ができるということ。そしてその煙は風を利用して上部にある開口から綺麗に抜ける。僕達もネイティブアメリカンの知恵を受け継ぎ夜は焚き火で料理(いつもだけど)。そして蜜蝋でキャンドルを作り小さなキャンドルナイトを過ごした。  (匠)

神稲いのちのフロンティアに飾られているティピーの模型 2006年6月20日 (火)
神稲(くましろ)いのちのフロンティア

朝5時、草刈機の音で目が覚めた。「なんでこんな時間から草刈るんだよ」と思いつつも、公園でテント張って焚き火をしていた僕らに苦情を言う資格はない。
伊那から約1時間南へ走ったところの飯田という町で「神稲(くましろ)いのちのフロンティア」という生活実践学校を開講している吉田比登志(ひとし)さんと精子(せいこ)さんに会いに行った。
ここは、有機農業をはじめ、建築、料理、染色、そしてカヌーなど、年間を通じて季節のプログラムを組んでいる学校だ。僕達2人は数年前、比登志さんと精子さんに、ここから車で2,3時間離れたところにある美麻村というところで大変お世話になっている。久しぶりの再会ということもあって話す事も自然と多くなってしまい、今晩の宿をお世話になる事になった。
美麻村でその時に頂いた知恵や学んだ事などがとても多いのだが、そのほとんどが頭ではなく、体で覚えている事だけだということに気がつく。「聞いた事がある」「見た事がある」が意味を成さず「体験した事がある」だけが少しだけ役に立つ、そんな事もあるのではないだろうか。何と言われようといろいろな事を体験する事は良い事だ。しかし残念ながらその体験が都会では役に立たない事が多い。だから都会では「聞いた事がある」「見た事がある」が意味を成す。だから都会ではあんまり本気になる事がない。寂しい事だ。だからと言って都会が嫌いなわけではない。なんでだろう。  (匠)


関連サイト: 神稲いのちのフロンティア 歳時記365

ヨシエサン、ヨシコサン。 2006年6月19日 (月)
せかいへいわといのりの日

昨日は草津から松本。松本から近い高ボッチ高原というところへ行った。高ボッチ山の頂上近くで寝る事にした。
高原の朝は寒い。夜も寒いが・・・・。早くからカメラを持った人たちが高原の駐車場に集まりそこら辺を散歩している。定年を迎えて暇そうな夫婦ばかり、若い人は1人もいない。
その後、鉢伏山、諏訪湖、諏訪大社、伊那。伊那に住む、ヨシエさんという女性を訪ねた。ヨシエさんは2日後、6月21日夏至の日に「WPPD せかいへいわといのりの日」の主催者だ。明日、会場である山中湖に向うという忙しい時に訪ねてしまった。2日後の夏至、1年のうち太陽が一番長く照っている日、「大切な1日を過ごしたいね」と2人で話をしている。皆さんはどう過ごされるのだろう?  (匠)


関連サイト: WPPD せかいへいわといのりの日

旅人が草津の湯に浸かる事を「貰い湯(もらいゆ)」という 2006年6月17日 (土)
草津で貰い湯

地図を見ると近くに草津温泉。2人とも行ったことがないのでひとっプロ浴びてから旅立とうと、温泉街へ。街の中心地、テレビで見たことあるようなお湯が流れる景色。ふと辺りを見回すと公衆便所と思いきや、公衆浴場。男湯の入り口に椅子が1つ、その1つしかない椅子にヤクザな兄さんが1人座っている、どうやらお風呂から出てきたばかりのようだ。僕が入り口に近づくと兄さんが「最高だよ」と一言。そして「これほどいい湯は他にはないよ、長く入るなら水分もっていきな。あと、右側のお湯は47度はあるから気をつけな、左側も45度くらいはあるけどな。」と付け加える。「ホントですか、かなり熱いですね。で、お金はどこで払うんですか?」と僕。「無料」とニヤッとしながら答える兄さん。
「じゃあ20分くらいね」と公衆浴場へ入る。入り口の扉を開けるとすぐ目の前に裸の男達と湯舟が2つ。ちょっとお湯を触ってみると信じられないくらい熱い。足からかけ湯を始め、肩からかけられるようになるまで約2分。このお湯を洗面器ですくって、いきなり裸の人にかけたら、その人は本気で怒り出すだろう。そして本番、湯舟に浸かる。ゆっくりとちょっとずつ歯を食いしばりながら、お湯をできるだけ動かさないように。肩まで浸かっているやはりヤクザ風なおじさんがこっちを見ている。男を試されているようだ。足を入れてから肩まで浸かるまで約2分。その時、おじさんが湯舟から出ようとしてお湯が大きく揺れた。「ばかやろう、もうちょっとゆっくり出ろ!」と心の中で叫ぶ。そして、2回湯舟に浸かってから出てきて、外の空気を思いっきり吸い込んだとき「これは今まで入った中で最高のお風呂だ、草津。」と思った。病気やケガとかが治ってしまうのがわかる。
川で洗濯。界面活性剤が入っていない石鹸を日ごろから使っているので川も安心そして信州松本を目指して車を走らせる。途中、河原で洗濯、昼ごはん。晴れていたので、何とか乾くだろうと思っていたが、だんだん曇ってきたので半乾きの状態で取り込み車の中で乾かす事に。夜は小雨の降る中がんばって焚き火でご飯を炊き、最後の竹の子料理と、リッチにおいしい日本酒。草津のお湯がまだ抜けていないのもあり、ゆっくりとした時間が流れる素敵な夜だった。
話し変わって今後の予定、7月半ばから約1ヶ月間、軽井沢にて大工仕事をすることになったので、それに合わせて行動をする予定だ。それまでの約1ヶ月、紀伊半島近くを回ってこようと思っている。そして8月半ばから北上して、できれば北海道まで行きたいけれど・・・・といった感じだ。  (匠)

一番低い所のロープ。川の中に入って外すのはやめようと思い暫定的に大きな石にくくる 2006年6月16日 (金)
午前2時、増水、非難。

ひと眠りして起きたのは午前1時前くらいか。どれくらい増えているかなと川を覗いてみるとタープ(昨日の写真にある大きな屋根)を張るためのロープが川の中に浸かっている。これはもしかしたなと思い、焚き火に薪をくべてお湯を沸かす。お湯割りを飲み終えるか終わらないかのところで佳子が起きてくる。「もしかして?」「うん、もしかして。」びくびくしながら寝るより、ゆっくり片付けて安心して眠ろうという気持ちは2人一緒だったので、暗闇の中、ベースキャンプを撤収する事にした。夜、雨、砂、撤収するのには悪条件だが、「やっぱ太陽っていいね」とか言いながら、雨の中、濡れて砂だらけになったテントなどを丸めたり。みんなにも経験してほしい。無事だと分かっていれば結構楽しいものだ。そして、旅が始ってから初めて車の中で眠った。
大乾燥大会朝、それほど遅くない時間に目が覚めた。雨が少し降っていて、「早く太陽を見たい」と、そんな気持ちだった。そしたらなんと、お昼には青空が見え、日焼けするほどの太陽光線、願ったら通じた。もちろん、大乾燥大会。1日で濡らして、しまって、乾かして、しまう。僕達は何やってるんだろう?と思ってはいけない。それは何で生きてるんだろうと悩むこととにているから。今、この時間をできるだけ体中に浴びる事が生きている意味なのかもしれない。ところで、1日はまだ半分以上ある。どっちへ向かおうかな。  (匠)

雨の川原生活 2006年6月15日 (木)
川原で生活

今日は昼前からずーっと雨。移動しないでもう一泊することにした。こんな日はどんな生活をしているのかはからめの1日をちょっと紹介。
朝。まず、起きたいときに起きる。起きたらコーヒーとか飲みたいのでお湯を沸かす。お湯を沸かすために、焚き火の火をつける。昨日の火が少しでも残っていると着けるのが楽なので、昨日の焚き火の終わりはそのことを考える。
もう1泊しようと決めたので、薪を拾いに出かける。薪は生活のエネルギー。明かり、暖、料理、考え事、そして地球にも自分にもやさしい、などなど人が作り出すどんなエネルギーよりも優っている。時々「これ薪にすんのもったいないなぁ」っていう流木が落ちている。今日も綺麗に乾いた流木発見。数日前に100円ショップで佳子が太い「かぎ編棒」というのか、先がクッと引っ掛けられるようになっている鍵編みようの棒を買おうとしていたのを見て僕が「こんなの作れるよ」と言ってしまった。それを思い出し、その流木を削って「かぎ編み棒」を作った。クッっていうところを削るのが結構きわどい作業、ナイフに神経集中、匠の技。精魂込めた力作を見て「100円儲かったね」と佳子。
細い竹の子は、丸焼き丸かじり夕方、ハーモニカとオカリナの練習。それぞれ3分ずつ。夕飯の支度、ご飯をとぎ、佳子が朝から戻しておいてくれた黒豆を加え後は炊くだけの状態に。松村家から頂いた野菜を炒め、秘密基地より持ってきたジャガイモをなどでカレーのようなスパイス料理。
ほとんど一日中雨の今日の「はからめ」はこんな感じだった。そんな日こそ人間が試されているような気がする。(勝手な思い込み)何もすることがない時に何をするのか、いろんな人のその時を見てみたい。
雨とダムのせいで吾妻川の水量が増えてきているので、夜一度起きようと心に決めて眠りについた。もしかしたらもしかするから・・・・・・。  (匠)

久々の野営 2006年6月14日 (水)
吾妻川の川原にて

お昼前に松村家を後にする。「これ持っていって」と持たせてくれたのは、玄米、さやえんどう、切干大根、にら、キャベツ、たまねぎ、ねぎ、にんにく、メープルシロップ、そしてお母さんが仕込んだ自家製味噌。嬉しい。当分の間、食材には不自由しなそうだ。
お昼、早めに寝床を探してゆっくりしようと利根川の支流である吾妻川(あがつまがわ)に沿って車を走らせる。この川は流れのあるところには岩も多く、2人でカヌー1艇に荷物を積んで旅をするのは困難だが、とりあえず川原を本日の家とする。
竹の子が幾ら食べても無くならない。というわけで今晩は玄米竹の子ご飯。そして今日頂いた沢山の野菜に味噌汁。お腹が満たされると心も満たされる。食後に飲む少しのお酒は、人生のスパイス。(車を走らせているとき通りがかった酒屋の看板にそう書いてあった。)2人で話をする。何を話しているのか・・・・、僕達が旅をしている意味。創る事を目的として創り始めるのに、創っている間が楽しくて創り終わったら寂しくなる事。出会った人達に新しい風を送る意味。僕達は風。けど風邪は引きたくない。など、そんな答えを必要としない事を眠くなるまで話していると、その時にはもう眠くなっているので、「寝ようか」と言って寝る。  (匠)

赤城神社への橋 2006年6月13日 (火)
大沼、霧の中へ

松村家から車で約40分、赤城山を登ったところに大沼という湖がある。その湖のほとりにある赤城神社の水辺にカヌーを浮かべた。
霧が深く、視界10mといったところ。カヌー2艇で、青のカヌー(イムカット)にはきんちゃんと佳子、僕は赤いカヌーに荷物を積んで1人。霧の中へ漕ぎ入っていくカヌーは幻想的という以外に言葉が浮かばない。霧の湖は一瞬方向感覚を失いそうになる。どこを向いても白い世界に少し水が見えるだけ。かすかに聞こえる鳥や虫の声がする方が陸だ。風は寒い霧の湖から陸へと抜ける。
上陸してお昼ごはん。赤城神社の御神水と、採ってきた竹の子で作った御神水パスタ。ちょうどご飯を食べているとき一瞬霧が晴れ、「こんなところを漕いで来たのかぁ」と初めて気がつく。そしてまた霧に包まれる。
夕方、近くのカラオケ付き温泉に入り、きれいさっぱりした後、松村家にもう一泊させていただいた。松村家の素敵なお父さん、お母さん、しゅうちゃん、ありがとう。  (匠)

きんちゃん、しゅうちゃん、よしこ 2006年6月12日 (月)
赤城 松村家

秘密基地を出発し、利根川のほとりでゆっくりしようと車を走らせた。地図を見ながら走っていると、赤城山がすぐ近くに。「きんちゃんいるかな?」「もうペルー行っちゃってるよ」「一応連絡してみよう。」と携帯電話で連絡。いた。16日にペルーへ発つ予定だという。そして、なりゆきで今晩は松村きんちゃん家にお世話になる事に。
きんちゃんとはアースデイ東京でも会ったが、最初の出会いはペールーのクスコという街できんちゃんが日本食レストラン「きんたろう」を経営して、そこに僕が遊びに行ったのがはじまりだ。「きんたろう」すでに他の人の手に渡っているが、いろいろ訳あり、今回もう一度クスコの町へ旅立つ事になったという。
ペルーで別れた後、日本でも何度もあったが、きんちゃんが生まれ育った赤城を訪ねるのは初めてだ。松村家に近づくにつれ周りに人家が見えなくなっていく。「こんなところで育ったきんちゃんがペルーに行こうと思ったのがすごいなぁ・・・」と2人で話しながらたどり着い松村家は、すっごい広大な土地と畑がある素敵な家だった。夕食には、お母さんがその場で打ってくれたそばや、アスパラ食べ放題など、ほとんどの食材は玄関の外に生えている採れた手のものを頂いた。
ご飯を食べ終わったらきんちゃんの弟のしゅうちゃんの部屋に案内してもらいサッカーを観た。すっげーでかくて薄いTV。僕が大好きなんだけれど、エコライフフェアで合成洗剤を配っていたから微妙な心境のヨドバシカメラでは見たことがあったが、一般の家でこのTVを見たのは初めてだ。日本は残念ながら負けてしまったが、大きなTVで見たからなんだか満足してしまった。  (匠)

竹の子供 2006年6月10日 (土)


今日は秘密基地の裏にある竹林を綺麗にした。綺麗にするといっても掃除機をかけるわけではなく、軍手して、のこぎり持って、汚れてもいい格好をしての山仕事。長い間手を入れていない竹林は、枯れた竹や曲がった竹など、右から左から、前に進むのも困難なほど。それを空に向かってまっすぐと伸びる青い竹だけの林にするのはかなり努力の要る作業だ。それでも、かぐや姫が出てきそうな竹林にしたい気持ちが勝り、顔中を蚊に刺されながらひたすら枯れた竹を切っては揃え、切っては揃える作業を繰り返した。
ひと段落してあたりを見回すと、ニョキッと顔を出しているは竹の子。このあたりはマダケなので、モウソウダケと違いそんなに太くはならないが、灰汁抜きなどしなくても茹でただけで食べられる嬉しい竹の子だ。もちろんこの時期は竹の子食べ放題。この時期の竹の子に限らず、まじめな部分が少しでもある人の山生活で、食に困る事はまずないだろう。人間、食べる心配がなくなった心は大きく豊かになるだろうなぁってよく思う。この秘密基地、数日間には杏が数千個、もうちょっとしたら梅が数万個実になる。その時期に群馬にいられるかが1年間の日の丸弁当を大きく左右する事になるわけだ。  (匠)

はからめの田植え 2006年6月9日 (金)
はからめの田植え

ついにはからめの田植えをした。ご覧のようにひろーい田んぼのほんの一画で。くわで耕してひとつひとつ手で植えた。意外と楽しかったけど、だんだん腰が痛くなってきた。こんなに広いのに耕したのはこんな感じで、農家の人から見るととても珍しいに違いない。お隣さんは機械で耕して機械で植えていた。手植えなんてやりきれないもんね、わたしたちも来年があるなら機械を使いたいくらいだ。旅の途中の田植えなもんで、これから先は天任せになっちゃう。多分はからめの看板を立てておくので、通りがかったら水やりや草取りをお願いします。 (佳)
そう、昨日の夜に群馬の秘密基地に到着し、今日はなんと雨の中を田植え。伊豆から運んできた苗(写真で佳子が持っているのが2つ分)を、訳あって今年は空いている田んぼの一角に植える事になった。通りがかりのおじさんが少し話した後別れ際に「秋が楽しみだね。」と言いニコニコして去っていった。その時僕は、分かってはいたけど田植えの目的は田植えではない事をじわじわと感じた。「はから米」はいかに。  (匠)

塗り絵 2006年6月7日 (水)
塗り絵

先週、伊豆でお世話になったリサに塗り絵を描いてもらった。正確に言うと塗り絵の線か。それを昨日から塗り始めた。昨日は友達のChuChuもいたので3人で塗り始めることになった。使うのは色鉛筆、僕が小学校のときから使っている色鉛筆だ。久しぶりに見たら12色の色鉛筆1本1本に小学生の僕が書いた「鈴木」という文字が書かれていた。今まで何回「鈴木」っていう文字を書いたのかなぁなんて考えてしまった。
塗り絵は他の仕事とは違い、おしゃべりをしながら
できるから魅力的だ。「匠君、そんなに強く塗っていくの?」「日本筆圧選手権」「そんな選手権いやだ。」そんな話をしながら3人ともそれぞれの塗り方で塗っていく。写真のように沢山塗るところがあるので1日では終わらず、昨日に続き今日も塗っていた。しかし今日は、塗り終わるのがもったいなく感じてきて、少ししか塗らなかった。できあがったら、いつか僕達が住む家に額に入れて飾ろうと話しているところだ。
明日は群馬の秘密基地へ向かう。秘密基地では、田植え、梅とり、などなどをする予定。   (匠)

奥に掛かっている濃く綺麗に染まっているやつは日和子作 2006年6月5日 (月)
藍染め

今日は、1日藍染ワークショップ。最近何でもかんでもワークショップと言ってしまうが、「藍染を楽しみました」という以外に特別な事は何もない。僕にとっては生まれて初めての経験だ。何か染めるものは無いかなぁとここぞとばかりの貧乏性がはたらく。こんなときに僕達は車の中にたんすを持っているのが強みだ。汚れてしまったズボンや、白いTシャツ、普通の靴下などなど、「こうなったら何でも染めちゃえ」って気持ちが大きくなっていく。そんな中、ただ藍色に染めるだけではなく僕は型染めってやつをやってみた。紙で型を切り抜き、そこに澱粉を塗ると、染めたときに塗った部分だけが染まらずに写真のように抜けるという方法。最後の方は藍が薄くなってちょっとしか入らなかったけれど「こんな事もできるんだなぁ」と少し嬉しくなった。
僕達が作業をしているすぐ隣では、1日中、道路工事をしていた。現場のおじさんたちが、僕達が染めたものを見て、昔別れた女房が染物をやっていたという話や、藍とは何なんだ?という話などなど、僕達との会話でちょっとだけ和んでいた様子だった。おじさんの1人が志村けんのまねをして「アイーンじゃないよね。」と言っていたので、僕は「アイーンじゃありませんよ」と言ってあげた。   (匠)

月の布ナプキンワークショップ 2006年6月3日(土) 4日(日 )
エコライフフェア2006

僕たち人間が無知だったせいで地球が、生き物全てにとって住みにくい場所になっている。そんな中、どんな生活をしたらこの下降線を上に向けることができるのか、ってな事を考えている人たちが集まる環境イベント「エコライフフェア2006」に2日間参加してきた。佳子は布ナプキンワークショップを行い、僕は新製品「はからめ壁掛けキャンドルホルダー」を売っていた。
地球にやさしい事、それは自分にやさしい事だと思う。もしくは自分が産んだ子供にやさしい事とか、とにかく直接自分に関係があると実感できなければ、人は誰も動かないものだ。だから、「私は地球」「私は水」とか自分の存在が大きいものだと感じている人ほど、エコロジカルな生活を送っているのではないだろうか。
そんなエコライフフェアをまわってみて寂しくなるのは企業スペースだ。「私達の会社はこんなに環境にいいことをやっています。」ってアピールするのに、なぜ雇われミニスカートのおねーさんが笑顔で・・・・ホント馬鹿みたい。僕の大好きなヨドバシカメラなんか景品のA賞とかに合成洗剤を配っているし、笑えるほど無知だ。でもみんな知らないんだと思う。それか脳みそをところてんにされてしまったか。毎日、どうやったら物が売れるのかばっかり考えている人たちが、利益ってやつを全く考えないで地球の事、自分の体の事、考えられるわけないもんね。かわいそうな人たちなんだ。みんなもそう感じた企業の事をかわいそうな目で
見てあげてほしい。でも、その前に自分がかわいそうじゃないかを考えてみて。かわいそうな人がかわいそうな人を指差して「かわいそうだね」って言っている光景ほどかわいそうなものないもんね。  (匠)

ハルさんの12角形ハウス 2006年6月1日 (木)
伊豆かまたね

目が覚めると12角形の天窓が目の前にある。自分の家でいつものように眠っている人を、そーっと、この12角形の床の真ん中に連れてきて目覚めさせたらまだ夢の中だと思うことだろう。
今日は伊豆を後にする日だ。リサとニャンコのナツ、モスケに別れを告げて、アビと一緒に、「いしがまや」に立ち寄ったあと帰り道の途中である伊豆高原にあるアビが少し前に建てた12角形ハウスを見に行った。
ハルさんという方の家の隣に建てたこの空間。天井はガラスの6角錐。床の真ん中には
6角形の掘りごたつ。トイレには12角形の窓、などなど遊び心があふれていた。人が集まりみんながみんなの方を向いて話ができる、そんな感じになるのかなぁなんて僕は考えながら頂いた美味しいお茶を飲んでいた。
そして、僕たちは2人になり一度横浜へ。車の中で話したのは、伊豆の旅ではテントも寝袋も広げなかったし、自炊もしなかったこと。明日は3,4日あるエコライフフェアの準備だ。  (匠)

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